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傭兵は命を散らす  作者: 和泉茉樹
第一部 彼の別れと再会
10/213

1-10 一年後

      ◆



 一年はあっという間だった。

 母は俺に父の話をした数日後、どこかへ泊まりで出かけて行き、それからは二ヶ月に一度は同じように出かけることを始めた。

 俺は小作人として、ひたすら畑の面倒を見ていた。冬はあまり冬らしくなく、短い寒い時期が過ぎると、すぐに暖かい日が始まった。

 何の変わりもない日々だったが、何も起こらなかったわけではない。

 十五歳の洗礼の時、ウォーリアーのファクトを手に入れた少年が戦場へ旅立ったその数ヶ月後、戦死報告が届いたという噂が周囲に広まった。

 傭兵として戦場に立ち、魔物に殺され、遺体は損傷が激しかったためにその場で焼かれたという。

 戻ってきたのはささやかな持ち物と遺骨の入った小さな壺だけであったようだ。

 その少年の家族は、周りに明るい表情を見せ、言葉を使っていたが、どうしてもどこかに悲壮さが漂っていて、俺はどう応対すればいいか、わからなかった。

 俺は剣術の稽古を続けたが、独りきりなのでどうしても実戦的ではなくなる。

 頻繁にリウに教えてもらった型を思い出し、何度も何度も繰り返した。

 雨の日も、風の日も、雪の日でも俺は一人で棒を振った。そうすることで、自分が何かになれる気もしたし、逆に、進歩しない自分に何にもなれないという悲観も持った。

 矛盾だ。自分というものに迷った。

 何はともあれ、徹底的に時間をかけて、形だけの型を体に染み込ませていったわけだけど、実戦の場が何もないので、自分の実力のほどは、皆目わからない。

 実力を知りたくて、冬の寒い日、レオンソード騎士家の屋敷を訪ねた。家からは程近いのだ。

 そこには守備隊の男たちが詰めていて、もしかしたら、手合わせをしてもらえるかもしれないと思ったのだが、この願望はあっさりと途絶えた。

 屋敷の門衛が俺を通さず、ほとんど怒鳴りつけるように「お嬢様はもういないんだ!」と言ったのだ。

 つまり、俺はユナの付属品として、門衛にも口が出せないものがあった。

 しかし今は、ユナはいない。

 俺はただの小作人の子どもで、レオンソード騎士家に出入りするような立場はないということだ。

 俺は何者でもなかった。

 無力だった。

 帰り道に、俺が考えていたのは、剣術云々よりも、立場、身分のようなことだった。

 俺には何の後ろ盾もない。小作人で、土地を持っているわけでもないし、家業もない。剣術の腕を見込まれた守備隊の戦士でもない。

 俺は、俺という人間を明確にする必要をこの何でもない、ただの冬の日に理解した。

 その時から、俺は母が話してくれた父の友人という男のことを真剣に考え始めた。

 俺に何の才能も知識もなく、ファクトすらも曖昧でも、あるいは父の息子であるということで、その友人の誰かしらが俺を支えてくれるかもしれない。

 他力本願だが、正直、俺にはもう頼れるものはない。

 レオンソード騎士領はどうやら、ユナの出奔という一事により、徐々に俺には居心地の悪いところになったようだ。

 夏も終わろうかというある日、畑での作業を終えて家へ戻ると、五日前に出かけていた母が帰ってきていた。そして俺を見ると「大事な話があります」と言う。

 この時が来た、と俺は理解した。

 家の中で、母は淡々と言った。

「私は街に住む、仕立屋の職人に囲われます」

 囲われる、という表現が、いかにも卑下している気もしたけれど、予想していたことだ。

 母が泊まりで帰ってこない時、近くに住む少年がふざけた調子で、そう俺をからかった時、そうか、と納得するものがあった。身を売っているのなら、納得できることは多い。

 母は俺のために、全てを犠牲にするのだ。

 悲しいとか、虚しいとか、そんな感情はもう擦り切れていた。

 申し訳ない思いだけがあった。

「路銀をそれで用意しました。旅の支度も整えられます。ここに、五十万イェンがあります」

 母が机の上に出したのは、小さな袋だった。

「いいですか、リツ。これで深き谷にほど近いところにいるという、お父さんの友人を訪ねなさい。名前は、覚えているわよね?」

「ああ、うん、ルッコ・トライアド、だったよね」

 ルッコ・トライアドの名前を聞いたのは、もう半年以上前だ。しかし新しい情報は何もない。母が言うには精霊教会での学者で、しかし異端視されて、辺境に拠点を作ったという。

 通り名は、鷹の賢者。

「本当にいるわけ? お父さんが生きている頃って言うなら、もう二十年近く前でしょ? もしかしたら死んでいるかも」

「精霊教会では、まだ死んだという知らせを受けていないそうよ」

 母は街で精霊教会に問い合わせたのだろう。小作人の中年女にはそんなことはできないかもしれないが、仕立て職人なら、教会のものに個人的に話を聞けたのかもしれない。

「いいわね、リツ、とにかく西を目指しなさい。私のことは気にせず」

 母の言葉にただ、俺は無言で頷いた。

 机の上に地図が広げられ、何度も検討されている道筋が確認された。

 深き谷までは、三ヶ月は旅をしないといけない。それも何も障害がなければだ。路銀は遅延を前提に計算されているので、五十万イェンは十分だ。

 食料を手に入れる場所も幾つか、書き込まれていた。

 ただ、全く安全とは言えない。

 何事にも、確実はないのだ。どこかで失敗があるか、想定外があれば、計画から逸脱していく。

 あと三日で話を詰めていきましょう、と母が地図を畳んだ。

 三日で話をして、それからこの家も小作農としての仕事も、誰かに任せることになるのだ。

 ここに至って、自分がレオンソード騎士領を出て行くのは、あまり実感が持てなかった。

 こんな何もないところにも執着というのがあるのは、自分でも不思議だった。

 もうユナもいない、母もいなくなるここに、俺は何をそんなに引っ張られているんだろうか。

 家の裏手で、この時も俺は棒を振った。

 例の巨大化した花は、あの後の数日で枯れてしまい、片付けるのが大変だった。今はもう影も形も無くなっている。

 汗が滲み、動きに合わせてキラキラとかすかに月光で光る。

 型の通りに体が動く。

 棒は思ったところを走る。

 まっすぐに振り上げ、そしてひときわ強く、振り下ろした。

 棒の先が、ピタリと地面に触れる寸前で停止した。




(続く)

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