1-1 男でも女でもない頃
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僕には幼馴染がいて、彼女はユナという名前だ。
明らかに女性を意識した名前が、彼女にとっては煩わしく、そして不安の種だったようだ。
僕などは、リツという男にも女にもなれる名前を与えられていた。今は亡い父がそう名付けたと、母が何かの折に口にしていた。
僕もユナも、知り合った時はまだ四歳くらいで、性別は決まっていなかった。
五歳の時、性別の儀と呼ばれる神事があり、そこで性別を与えられる。
「僕は決めたよ、リツ!」
山と山の間にある限られた平地に切り開かれた田園を見下ろす、崖の上でユナは僕にそう言った。
目の前にある世界が、僕達の全てだった。
ユナは、それを背景に胸を張っていた。
「僕は女になる、女になって、それで見返してやるんだ」
「見返してやるって?」
そう問い返しながら、この子はやっぱり女の子になるべきだろう、とぼんやり僕は思っていた。
まだ幼いけれど、ユナはとにかく顔の作りがいい。
僕の母親も「ユナさんはいいお嫁さんになるね」と言ったりしていた。
肌も白いし、髪の毛も艶やかだった。
そんな恵まれた特徴を持っているユナは、世界中に宣言するように堂々と言った。
「女になって、傭兵になる。それで魔物を滅ぼして、有名になる! お父さんとお母さんに、伝説の女傭兵の両親、っていう自慢をさせてあげるの!」
へぇ、としか言葉を返せなかった。
僕には見果てぬ世界ではあったけど、今、この小さな大陸では魔物と呼ばれる生物との死闘が繰り広げられていた。
大陸中部にはどこまでも東西に延びる戦場が続き、日夜、人間と魔物が戦闘を繰り返している。
傭兵という職業は、子供たちからすれば英雄のようなもので、勇敢で、強くて、とにかく、輝いて見える対象だった。
国の軍隊に入ったり、騎士と呼ばれる立場になるより、傭兵で出世していく方が評価されるように見えるほどだった。
「へぇ、じゃなくてさ、もっと別にいうこと、ないの?」
ユナに睨みつけられて、僕はどう答えるべきか、少し考えた。
「すごいと思うよ」
「他には」
他?
考えても、他に言うべきことはなかった。
僕とユナが生まれたここは、大陸中部西方に領地を持つルスター王国で、ルスター王国は百の騎士の血筋、俗に「騎士百家」と呼ばれる者たちが実際的には分割統治していた。
そして僕とユナの故郷は、レオンソード騎士領で、ユナはまさに、そのレオンソード家に生まれた子どもだった。
レオンソード家はすでに戦士や兵士を輩出することは無くなり、純粋な統治者という立場で、しかし必ずしも有能な統治者でもなかった。
領地の開墾は思うように進まず、税を取り立てようにも取り立てるものがない。そして取り立てるほどの大胆さもない。
領民に嫌われてもいないが、慕われてもいない。
僕の母親に言わせれば「ほどほどの領主様」ということになる。
ユナが男になれば、自然とレオンソード騎士家を継いで、領主になる。そうなった方がマシかもしれない、と思わなくもないけど、きっとそんなにうまくいかないと、僕の幼い頭でもわかっていた。
まずユナには領主になる意志がない。
そしてレオンソード騎士家の当主であるユナの父は、ユナに女になってもらい、どこからか有能なものを招きたいと思っている。
すべてがチグハグで、子どもながらに何か、筋が通らないものが僕の目には見えた。
「傭兵なら、男がいいんじゃない?」
念のために、というか、形の上でそう確認すると、「こんなところを治めたくない」とユナは唇を尖らせていった。
「でも女で傭兵って、相当に才能がないと無理じゃないかな」
「剣術でもなんでも稽古をするし、体も鍛える」
「領主様が許さないんじゃないの?」
「隠れてでもやる」
ああ言えばこう言う、という感じで、もうユナの中では性別は女で才能のある傭兵になる、という未来は決定しているらしい。
「リツはどうするの?」
「わかんない」
それが正直な気持ちだった。
僕は今、母と一緒に畑仕事している時間が多い。今日はたまたま暇ができたので、ユナの冒険に付き合った形だった。
父と母は流れ者で、レオンソード騎士領にいるのも、何かの弾みのようなものだったらしい。
もちろん、土地なんて持っていないし、知り合いもいないし、似たような流れ者の集団である小作人の集まりに加わった。
僕が生まれて、ほどなく父は亡くなり、母は僕を背負って畑仕事をして、僕が最低限のことをできるようになるとやっぱり僕も畑仕事をしている。
誰かが作った子供用の道具があり、手のひらには硬いマメがいくつもできていた。
どうするもこうするも、体力が身につくとされる男を選んで、そのまま小作人として生きていくしかない。
「リツも傭兵になればいいじゃない」
「無理だよ」
そう答えたけど、でもどうして無理なのかは、わからなかった。
子どもなのだ。実際のところは何も、わからないのだった。
世界のことも、未来のことも、隣にいる幼馴染のことも。
「じゃあ、農民として生きるわけ?」
挑戦的なその言葉に、僕は手に持っていた木の枝を無意識に二つに折り、崖の下へ投げた。
何の音もしない。まるで奈落に落ちたようだった。
「それしかないよ。お母さんを一人にはできないし」
我知らず、悲観的で、頼りない口調になっていたからだろう、ユナは話題を変えて別のことを言った。
「僕が傭兵として有名になったら、自慢するといいよ。あの伝説の傭兵、ユナ・レオンソードと同郷で幼馴染だった、って」
「女になるなら、僕、じゃなくて、私って言わなくちゃ」
そうやり返すと、ユナは嫌そうな顔をして「お行儀を学ぶのって、向いていないんだよ」とそっぽを向いた。
この日のことを覚えているのは、何故だろう。
ユナが女になると宣言したことが、鮮烈だったからか。
やがて、五歳になって僕たちは性別の儀を迎え、性別を決めた。
僕は男を選んだ。
ユナは、女を選んだ。
僕の日常にほとんど変化はない。
僕は畑で仕事を続け、土を耕し、雑草を取り除き、肥料を撒き、水を撒き、収穫する。その繰り返しだ。晴れの日も、風の日も、雨の日も。
ただ、ユナが毎日、夕方になるとやってくる。
そして二人で、適当な棒を手に、剣術の真似事を始めた。
誰も何も教えてくれない。しかし、誰も止めようとはしない。
それが優しさだったと気付いたのは、だいぶ後になってのことだ。
(続く)