【短編】皇国の異彩
はじめまして、日向多樹です! 今回は恋のお話を書きました。ぜひお読みください!
「失礼いたします」
公務の担当者が入ってきた。
「命じた仕事は終わったようだな」
この国の20代目国王であり、黒髪の美青年であり暴君と名高い、リアム・セアリウスは口を開く。
「はい。つつがなく」
「……そうか。なら、今、ここで国事記録を読み上げてみよ」
「はっ、
……国事記録12ページより
500年前、この国の12代目国王『オスカー・セアリウス』が治めていた。彼は善君であると名高かったが、青年期は暴君であったともされている王である……」
その者がそう読み上げた途端、リアムの頭を激しい頭痛が襲った。
「……っ」
その直後、目線の先にはこんな光景が広がっていた。
少年が走っている。今、彼は街の中で友達と追いかけっこをしているのだ。後ろを見ながら街を駆け抜けていると、何かにぶつかった。
少年は尻もちをつき、上を見上げると、そこには、高貴な服を着て長い黒髪を束ねている、男が立っていた。
「……おいお前、どこをみて歩いているんだ……?」
男は少年を睨みつける。
「ごっ、ごめんなさい……」
少年は後退りをする。
「はは、謝ることはない……今から殺すだけだ」
男は腰にかけてある剣を抜く。
「うわぁ!」
辺り一体は騒ぎになる。
「いやだ! 怖いよぉ、助けて〜」
少年は泣く。が、男は許したようには見えなかった。
「……俺が手を下すことを光栄に思うんだな。死ね」
そして、剣を振り上げようとした時、1人の女が前に出た。
「なんの抵抗をしていない子供を殺すなんてどうかと思うけれど……」
青みがかったグレーの髪をした、この時期にしては妙に厚着な女が男の前に立ち塞がる。
「……貴様も死にたいのか……?」
ただでさえ癇に障っていて、イライラしている様子の男は怒ったように言う。
「……私を殺したければ殺しても構わないわ」
女は、まるで他人事のように呟くと、髪の毛をくるくるとする。
「ほう、貴様、面白いな。いいぞ、ならこの無礼者は見逃してやろう。代わりに貴様は俺と一緒に来い」
男はそう言うと、女の腕を掴む。
「あなたは何者なのかしら」
女は今から自分がどうなるかなど、微塵も興味が無さそうだった。その異端さに男は興味を持ったのだ。
「俺か? そうだな、俺はこの国の王だ」
男は言う。
「王様なのね」
女はつまらなそうに言う。豪華な服を着ている男のことだ。かなり信憑性があるはずなのに、驚いたりもしなかった。
「そう」
男から見たら、やはり、女はつまらなそうに見えた。
「……」
***
城に入り、ある部屋の前で止まる。
「処刑するまでの間、法に習って牢屋に入れようと思ったが、やはりお前には興味がある。……1ヶ月だ。その間はここで暮らせ」
男は言う。
「それより、お前、無礼だぞ。誰に向かって口を聞いていると思っているんだ……」
男は睨みつける。
「私が気に食わなければ殺しても構わないわ。無礼で礼儀知らずだと思うのなら、力でねじ伏せてみてはいかがかしら」
男の苛立ちは限界を超えていたが、ここで殺してしまったら、この女を連れてきた意味がないと思い、我慢をする。
「…………まあいいけれど。ねえ、ここはお城なのよね? ということは、きっと沢山の本が揃っているということ。なら、私も図書室を使っていいかしら」
女は言う。
「…………いいぞ、お前にはこの城の設備全てを使うことを許可する。なにをするのも自由だし、この城から逃げ出そうとしてもよい。俺を殺そうとするのも自由だ」
男は笑う。
「……そうなのね」
「では、好きに過ごすがいい。俺は自室で公務に戻る」
男はそう言うと、部屋を出て行った。
***
「失礼します、王様!」
役人が入ってくる。
「1ヶ月後、無礼を働いた女を処刑する。殺し方は公衆の面前での絞首刑だ。準備をしておけ」
男は言う。
「はっ!」
「……それと、そうだな。侍女を2人付けてやれ。豪華な食事にしていい暮らしをさせるんだ」
そうすれば、きっと1ヶ月後には命乞いをするか、逃げようとするだろう。と、男は思ったのだ。
***
公務を中断し、休憩中に、ふと思い立った男は、彼女の部屋を訪ねた。
『ガチャ』という音を立てて扉が開く。部屋にはたくさんの本を積み上げられていて、女は窓際に座っていた。
「ほう、本を読んでいたのか」
「ええ。これよ」
女は立ち上がり、積み上げてある本の一番上の物を手に取る。
そこには『ローザマリア物語』と書いてあった。
「これは……何の本だ?」
「これは恋愛小説よ。私が大好きな本なの。まさかお城にも置いてあるなんて感激だわ」
女は目を輝かせる。
「どんな話だ?」
「……主人公がローザマリアという少女で、お城に勤めているの。そこで、国の王子様に恋をする」
「そして、王子様も振り向いてくれるんだけど、嫉妬から、ローザマリアは他の人に酷い目に遭わさるの。それを2人で乗り越えていくって話よ」
「ほう……面白さがわからないな」
男は言う。
「そういうものなのかしら……私は面白いと思うのだけれど」
女は笑う。
「……そうだろうか」
「ええ。私も変わっているそうだけれど、あなたも大概ね……。そうだ、私、まだあなたの名前を知らないわ」
女は言う。
「俺の名前を知らぬのか?」
男は驚く。曲がりなりにもこの国の王なのだ。知らぬ者など、会ったことがなかった。
「……俺は、オスカー・セアリウスだ」
はじめての自己紹介に、多少戸惑いながらも自分の名前をしっかりと口にする。
「ふーん、長いわ。オスカーでいいかしら」
女は言う。
「……別に構わんが……」
新鮮な感覚だった。今まで、他人に名前で呼ばれたことなど、ほとんどなかったからだ。
「じゃあオスカー。あなたは? 好きな本とかないのかしら」
女は言う。
「……俺は本を読むことなど殆どしない」
オスカーは言う。
「それは勿体無いわ」
女はそう言うと笑う。
「そうだろうか……」
「ええ。じゃあ図書室に行きましょう。面白そうな本を探してあげるわ」
すると、部屋の扉が開く音がした。
「王様! こんなところにいらっしゃったのですね!? さ、公務のお時間でございます! お戻りください」
役人は言う。
「……わかった」
オスカーはそのまま役人に連れられ、部屋を出て行った。
***
そのまま、今日分の公務全てを終わらせ、ベッドに入った。プロアドと呼ばれた役人はお辞儀をして、王室を出て行った。
暗闇になった部屋の中で、オスカーは考える。
今日はとても珍しいことがたくさん起こった日だった。珍しく、1人も人を殺さなかったこと、暴君と恐れられる自分に敬語を使わずに話しかけてきたり、俺の前に立ち塞がったりする扱いづらい女……。
あの女は何者なのだろう。殺すと脅しても心は揺るがず、あれほど真っ直ぐな目を向けてきた者は初めてだった。
よくわからないことが多すぎて、男は頭に手を当ててため息をつく。そのまま、眠りに落ちた。
***
翌日
午前中を全て使って、公務を終わらせたオスカーは立ち上がる。ずっと座っていた為、足がふらつき気持ちが悪い。
そのまま憂鬱な足取りであの者の元に向かう。
『ガチャ』
「ご機嫌よう、オスカー。今日は来ないものと思っていたわ」
女は相変わらず、辞書みたいに分厚い本、『ローザマリア物語』を読んでいる。
「……好きだな、その本……」
オスカーは頭痛がして頭に手を当てる。
「そうね、でも、昨日は一巻だったでしょう? もう3巻まで読んでしまったわ」
女は言う。
「そうか……」
オスカーは近くにあった椅子を引き寄せて座る。
「大丈夫?」
「ああ、気にしなくてもいい。いつものことだ」
「……そう。じゃあ、昨日言った通り、図書室に行きたいのだけれど……」
女は立ち上がり笑う。
「……めんどくさい」
オスカーは言う。
「もちろん、行くわよね?」
「………………」
結局、図書室に来てしまったオスカーは扉を開ける。すると、司書は王が来たと気づき慌て始めた。
「おっ、王様! お初お目にかかります。わたくし……」
司書は腰を低く曲げる。
「うるさい……大きい声を出すな。今、俺は頭が痛いんだ……」
オスカーは言う。
「もっ、申し訳ございません!! どうか命だけは!!」
「……ちっ、うるさいって言っているよな? いい加減にしないと殺すぞ……」
「はい……」
司書は縮こまる。
「ねえ、オスカー。どのジャンルが好きとか、あるのかしら?」
女は聞く。
(初めて会ったときは子供を助けたのに、こういうことは止めないのか……)
オスカーはますます、女の性格が分からなくなってきた。
「……だから、俺は本を読まないんだ。ジャンルなど知らない」
オスカーは言う。
「じゃあ、『ローザマリア物語』は面白さがわからないって言ってたし、恋愛小説はだめなのかしらね。なら……これとかどうかしら」
女は一つの本を手に取る。その本には『騎士物語』と書いてあった。
「…………なんだこれは」
「これ? 私もあまり読まないのだけれど、たしか騎士団に入団した青年の戦いと主従と友情のお話よ」
「……友情? なんだそれは、虫唾が走る」
オスカーは言う。
「物語に文句を言っても仕方がないでしょう。とりあえず食わず嫌いをしないで読んでみてくれないかしら」
女はその本を差し出す。
「…………いいだろう。暇な時に少しだけなら」
「ええ。読み終わったら感想、教えてね。私も少し気になってはいたの」
「だから、最後までは……」
「じゃあ司書さん、これ借りてもよろしいかしら」
(聞いていない……)
「もっ、もちろんでございます! ど、どうぞ!」
司書はおそらく、あの残虐な王に敬語を使わずに接している女に驚きを隠さなかったのだろう。
「じゃあ失礼するわ」
そのまま、2人は部屋に戻ってきた。
「じゃあ私は、何回も読んだことがあるけれど、『ローザマリア物語』の続きを読むとしようかしら」
「……なら俺は、この……『騎士物語』とやらを読んでみよう……」
***
「王様! あの者、王様のことを呼び捨てにして呼んでおりました! ああ恐ろしい! なんてことをするのでしょうか!!」
彼女に付けた侍女の1人が言う。
「……そうか」
「今すぐにでも死刑に処すべきです!!」
男は一瞬、面食らったような顔をして
「……そう、だな……」
と言い俯いた。
***
翌日もオスカーは彼女の部屋を訪ねた。
「……いらっしゃい、オスカー。どう? 読んだかしら」
女は笑う。
「ああ。悪くはなかった」
オスカーはそうとだけ言うと、椅子に腰掛けた。
「そう、続き、読みたくなったかしら?」
女は言う。
「…………あるなら読んでやってもいいだろう」
オスカーは言う。
「そう! じゃあ、今からまた、図書室にいきましょうよ!」
「……しょうがないな……」
不思議なことに、彼女は決してこの城から逃げようとしなかった。普通なら脱走をしようとするはずだ。「死刑はやめにしてくれ」と命乞いをするはずだ。だが、彼女はいつも、その部屋にいた。
彼女がなぜそんなことをするのか、オスカーにはわからなかった。もともと、城から脱走させて、途中で捕らえて絶望させてやろうという魂胆だったのだ。それができないのは残念だったのだが、それよりもどうして逃げないのかと言う疑問の方が勝っていた。
その疑問を晴らすため、それからというもの、毎日欠かさず、どんなに忙しい日でも間を見つけては、オスカーは彼女の部屋に通った。けれど、どこかに出かけるわけでもなく、ただ、他愛のない会話をして、お互い、本を読んでいるだけだった。
結局、疑問は晴れぬまま、あっという間にあと一週間で死刑になる日がやってきた。もう、国民も処刑が行われることが知れ渡っているころだ。
「……ああ、あと一週間なのね」
女は窓の外を見つめて、静かに『ローザマリア物語』という本を閉じる。
「……そうだな」
いつも通り、人を殺す。いつもと同じことのはずなのに、オスカーはなぜか、心が重かった。
一週間後、たくさんの国民が城の前の処刑場に集まる。どんな罪を犯した者であれ、処刑日は平民からしたらおめでたい、パーティーなのだ。
そんなパーティーが始まるというのに、オスカーの気持ちは浮かなかった。自分では、なぜなのか理解ができなかったのだが。
『お前に殺されることはこの国民において、栄誉であり誉れである』
父の教えだった。この教えに従ってきた。どれほど心が痛んでも、逆らう者は皆、自分の手で殺してきたのは、殺すことを楽しんだ残虐な王だからではなかった。それを栄誉だと思い、疑ってこなかったからだったのだ。
オスカー・セアリウスはそれを信じてきたのだった。
「王様。あの女を殺す絞首刑の準備、着々と進んでおります」
従者のプロアドはそう言い笑う。
「……そうか」
「あの……王様、最近、公務のスピードが格段に落ちてきています。これでは今月中にいつもの量をこなせるか……」
「………………」
「わかっていますね……? このまま処刑を止めるなど、国民たちの信頼を失い、何より、政治官たちの反感を書います。もしかしたら、あなたは王座を下ろされ、第二王子のミルヴァート様になってしまうかもしれない……」
プロアドはオスカーに顔を近づけて言う。
「………………ああ、分かっている」
***
「あら、今日は遅かったわね。何かあったのかしら」
女は読んでいた本を閉じて言う。
「……別に何もなかった。ただ、遅れただけだ」
「そう? ならいいけれど」
オスカーは『騎士物語』を開く。
例え、自分が王座を下ろされたとしても、やるべきことがあるのではないか。このまま、やつらの言いなりでいいのか。彼女を殺さなければいけないのか。
***
約束の1日前。つまり、彼女が処刑される前日。
オスカーはいつも通り、彼女の部屋を訪ねた。
「こんにちは、オスカー」
いつもの笑顔で女は言う。
「……ああ」
「そうだ、『騎士物語』、どうだったかしら?」
変わり映えのしない口調で女は言う。
「全巻読んだ。面白かったぞ」
「そうなんだ……。来世があるなら、私も読んでみたいわ」
女は笑う。
「……」
咄嗟に、オスカーは彼女を抱きしめた。自分にはこんなことをする資格がないことはわかっていた。が、これでもう最後だと言うことも、わかっているのだ。
「ちょっ、あはは、どうしたのかしら」
「俺は……俺はお前の処刑を止める……」
オスカーは言う。
「!」
「……だめよ」
女はオスカーを突き放した。
「急に取りやめなんかしたら大変でしょう? それにあなたが反感を買うのではないかしら。私、大してあなたのことを知らないから、どんな事情があるのかなんて分からないけれど」
「……それに私、約束を守る男の方が好きよ」
彼女は冗談っぽく笑う。
「だが……!」
「ああ、私、あなたに言っていなかったわね。実は、私は元々3ヶ月後に死ぬの。病気で」
彼女は冷静に言う。
「……どういう、ことだ……?」
「本当よ? 初めて会った時、抵抗しなかったのはそのせい。どうせ死ぬんだから、どっちでも変わらないでしょう?」
「…………」
「だから、どっちにしろ、私は死ぬの」
「でも……俺は……」
「…………聞いて。私の病気はね、罹ってから10年を過ぎると、皮膚が焼け爛れ始めるんですって。それで、その1ヶ月後には死ぬ。私、あと2ヶ月で10年目なの。だから、……ね、皮膚が爛れた私なんて見せたくないじゃない」
「そんなの、俺は気にしない」
「……………………いい? 予定通りに、オスカー、あなたは明日、処刑人の手で私を殺すのよ」
***
当日 城前
この時期にふさわしい、少しだけ冷たい気温だったが、城の周りは熱気に満ちていた。大勢の人が押し寄せる処刑会場の真ん中にある椅子に腰かける。プロアドが大声で民衆に向けてなにやら話しているが、何も入ってこない。ただ、目の前が真っ暗だった。
「罪人の入場です!!」
綱で縛られた女が出てきた。そこに向かって、民衆が石を投げつけ文句を飛ばす。
「……っ」
「では! 処刑、始め!」
プロアドが叫ぶと、女は絞首台に立たされる。
「……待て!」
オスカーは大声で言い放った。
「なんだ!?」
「王様!?」
民衆がざわつく。
「……………おれが……」
オスカーは
「俺がこの手でこの女を殺そう!」
と言い放った。
「うおぉぉぉぉぉぉぉお!」
民衆は歓喜の声を上げる。
プロアドがオスカーに剣を渡す。そのまま、オスカーは絞首台を上がっていく。そして、彼女の前に立った。
民衆に背を向けた王の顔は見えない。が、きっと歓喜に満ち溢れているのだろうと民衆は想像し、心を躍らせる。
「……すまない……」
オスカーは呟く。
「何がでしょうか、王様。私はとても幸せでした」
彼女は言う。
「…………」
オスカーは剣を振り上げる。
「ありがとう、オスカー」
彼女は花のような笑顔でそう言った。
オスカーの手は少し震える。うまく狙いが定まらなかった。が、精一杯の力を振り絞って、決して痛みを与えぬように、静かに剣を振り下ろした。
***
数日後
いつもならすぐに消えるはずの剣の感覚が、中々消えずに手の中にいた。
「王様。その死体を調べた結果、そのような病気の痕はございませんでした」
医師は言う。
「……そうか。わかった。下がってよい」
「はい、それと……実はあの死体、服の下にたくさん痣や傷跡があったのですが……」
「…………下がれと言っているだろう」
「っ、すみません!」
医師たちは早足で王室を後にする。
「………………はぁ」
王はため息をつく。
「痣……」
彼女の過去は知るよしもない。あれだけ知りたいと思っていた彼女のことも、今となっては知らなくてもいいことに思えてくる。彼女が俺に伝えようとしなかったことは、きっと知ってほしくないことだ。ならば、知らないでいるのが正解なんだと思ったからだ。
何も手につかない。何も考えない。ただ、『空虚』がそこにはあった。
ふと、思い出す。あの騎士の物語の本。もうあの本を読むこともないだろう。そうだ、図書室に返しに行こう。と、そう思い立った。
重い腰を上げて立ち上がり、本を片手に図書室へ向かう。いつも、2人で歩いた場所をたどる。
図書室に着く。本を司書に預ける。
「世話になったな」
「いえ! めっそうも……」
ふと、司書のカウンターにある本が目についた。タイトルは『ローザマリア物語』と書いてある。
「…………」
思わず手に取る。何も考えずとも、手が動く。ページを捲る。めくる、めくる……
「……これは……」
あるページの間に、小さい紙が挟まっていた。それを開く。
『オスカーへ
こんにちは。これをあなたが見ることは、ないと思うわ。だから、これはただの、私の自己満足のために書くことにする。
私はね、貧しい家の生まれで、兄弟も多かったから、物心つく前に、お金のために闇市で売られたの。まあ、家の中でのことや、家族のことなんて一つも覚えていないのだけど。
買われたところで、体を売る商売をしたわ。嫌で嫌で仕方なかったけれどね。家族のためと思って、耐えていたの。
そこで出会った金持ちの男に、個人的に買われたの。『俺の館で働かないか』って。やっとこの辛い生活から抜け出せると思ったわ。でも、そんなことはなかった。たくさん暴力を振るわれてきたの。
あなたと初めて会ったあの時は、私があの男の館から逃げて2日目の昼。もう食料もなかったし、宿に泊まれるようなお金もなかった。きっとすぐにあの男の使いがきて、連れ戻される。このまま死んだ方がマシだと。そう思ったの。そんな、絶望の中にいた時、あなたに会ったの。
少なくとも、私の最期の1ヶ月はとても幸せな時間だった。あなたのおかげよ。ありがとう、オスカー・セアリウス。
ペルシアより』
目の前に広がるのは先まで続く草原。青みがかったグレーの髪を風になびかせた女が立っている。彼女はこちらに振り向いて、笑ったように見えた。
そんな幻想を見た。あり得るはずもない記憶だ。おそらく彼女は、外に出たことすら少なかったのだろう。ただ、オスカーは上を見上げる。ずっと、自由が叶わなかった少女。きっと、本だけが唯一の楽しみだったのだ。
オスカーは一度だけ、
「そうか、ペルシア……ペルシアと言うのか…………」
と呟くと、瞳を閉じた。
***
現代
「第12代目国王のオスカー・セアリウスは頑なに妻をとらなかったため、後継がいなく、第13代目国王はオスカーの弟の子供となりました。そして、暴君と呼ばれたオスカーですが、ある日を境に人を殺さなくなり、政治も安定した聖君となったと。けれど、その日に何があったかは500年後である今となっては、定かではありません。
……これにて、500年前の国事記録は終了とする』以上でございます」
公務の担当者はここまで読み上げる。
「それにしても、貴方様は本当にオスカー様の肖像画に、とても良く似ておられる!」
「……国事記録は確認した。下がれ……」
リアムは頭を押さえる。急に、映像がフラッシュバックしてきたのだ。
(今の映像は……妙に現実的で……あの男が、『オスカー・セアリウス』なのか……? もしもそうなら、本当に、性格も何もかもが、俺によく似ている……)
なにも分からなかったが、ただ、リアムの頬を涙が流れた。
「王様!?」
公務の担当者は慌てる。
「……大丈夫だ。下がれ」
「で、ですが……」
「いいから下がれ!」
「っ、はいっ!」
いそいそと公務の担当者は王室を出て行く。
(おかしい。こんなこと、たしか昔にも……)
だが、そんな記憶は存在しなかった。
すると、次に付き人のフィリップの声が扉の向こうから聞こえてきた。
「王様、城の近くにいた怪しい者を連れてきました。罰してください」
「…………よい。入れ」
リアムは急いで涙を拭う。
「はっ!」
フィリップが入ってきた。
「この者です!」
そう言うフィリップの手の先には……
引きずられてやってきた女が1人。うつむいているため、顔はよく見えない。
「この者は騎士の1人を殺すことを考えていたようなのです! この国の騎士はこの国同然! この国を殺そうとするということは、反逆罪です。死刑に処すべきかと!!」
フィリップは言う。
女は顔をあげる。その顔を目にした時、リアムの心の中に何かが込み上げてくるのを感じた。
「ペルシア………………?」
これはきっと、誰もが知らない物語。
運命は繰り返す。
繰り返して、繰り返して、いつか、絶望が希望に変わる、その日まで…………