蜉蝣人
蜉蝣人
あたしは卵で生まれたの。
ころんと大きな殻に包まれて、自分で破ってどうにか孵ったんだって。
あたしのお母さんも卵から生まれたの。
そのまたお母さん……つまり、あたしのお祖母さんも、そのまたお母さんも、そのまたお母さんも……。
だから、あたしももうすぐ卵を産むの。
きっと大きくて、ころころとしてて、綺麗な殻で覆われているんだろうね。
あたしを包んでいた殻は、銀色だったんだって。
じゃあ、あたしは金の卵を産みたいな。
やがて孵るあたしの娘の髪も、きっと綺麗な金髪ね。
だって、銀色の殻で覆われていたあたしの髪が、銀色なんだもの。
あたしはその金の髪を手で梳いて、娘にお話しするの。
よおくお聞き、あなたはね……――。
ラドというのがその青年の名前だった。
彼は、いつも深緑の帽子を被り、目立つオレンジの羽の付いた矢を使って、弓を射る狩人だった。その弓矢で毎日狩りをし、捕まえた獲物の毛皮や肉を売って、生計を立てていた。彼の売る毛皮や肉は質がよく、目利きのも良さに定評があった。いつしか彼は《森人》と呼ばれ、街に品物を売りに来るたびに注目を浴びたのだった。
そんな彼の隣で、ちょこちょことうろつく連れの存在が確認されたのは、つい最近のことだった。銅の長髪を靡かせた、少女。非常に薄い茶色の目は、いつもどこか虚ろな表情をしており、行動も何処か危なっかしいものだった。名は分からない。だが、少女が間違いなくラドの連れであることは確かだった。
少女とラドの関係は誰にも分からなかった。恋仲とも違う。主従にも見えない。かといって、ただの連れというのも何処か違和感があった。この二人はいったい、如何いった関係なのだろう。誰もが疑問に思ったものだが、聞くに聞けずという状況の中で、彼らに纏わる噂が色々と流れていった。
きっと少女やラドの耳に入り込まないなんて奇跡だろう。だから、すでに彼らは自分たちに纏わる噂をいくつか聞いていたはずだ。中には根も葉もない心無い噂もあった。だが、聴いているのかいないのか、彼らは全く動じず、全く変わらなかった。やがて、少女も成長していき、あっという間に豊潤な魅力溢れる娘へと育った。同時に、嘗てのようなあどけなさは消え、妖艶さ漂う不思議な女性へと変わっていった。不思議なことに、ラドの姿は変わっていなかった。以前よりも落ち着いた雰囲気になったものの、全く老けたという様子は見られず、依然と変わらない若々しさに満ち溢れている。娘の方だけが、ラドに近づいたのだ。こうなれば、自然と噂は一纏めになってしまう。つまり、一旦消えた恋仲という噂が、ほぼ確定となったのだった。
また、その頃になると、この伴侶娘の名前も、気になっていた人々の耳に入るようになった。シエラというのが彼女の名前らしい。やがてラドとシエラは、度々共に町に表れては、若者達の熱い視線を浴びることとなった。美しい番いとして、若者たちの憧れの的だったのだ。
だが、ラドもシエラも、そんな視線を全く意に介さなかった。自分たちだけの世界をしっかりと持ち、自分たちだけの生活をしっかりとこなしていたのだ。人々がやがて二人に子のないのを疑問に思っても、二人は全く気に留めたりしなかった。
「ラド、そろそろあの罠の様子を見に行った方がいいんじゃない?」
そうシエラが言ったのは、ついさっき二人の子が見たいなどと言われた直後、しかし別段気まずくなることなく、そのまま町に居座り、近くの店で茶を飲んでいた時だった。
あの罠とは、ラドがこの街に来る前に森の小道の傍らにかけておいたものだ。予め糸を張り、その糸に触れて警戒した生き物が飛び退るだろう場所にトラバサミをかけておいた。鼻の良い生き物に気付かれないように、寧ろ見える場所に幾つか同じトラバサミをかけておいた。これで、寧ろ気付かれてほしくない罠の隠蔽率が上がる。
「そうだね。狐がかかっているといいんだがな……」
ラドはそう言って、立ち上がった。
罠をかけた小道は、街からそんなに離れていない場所だった。だから数十分後、然程時間もかけずに二人は罠へとたどり着いたのだが、其処で二人とも絶句してしまった。
罠にはなにか掛かっていた。ラドの策略通り、糸に警戒してかかってしまったようだ。だが、その掛かっていた者が問題だった。
それは、銀の肩までの髪を靡かせる少女の姿の生き物。
「シエラ、とんでもないものがかかってしまったよ」
ラドは、二人を見て不安げに蹲る少女を見ながら、隣で同じく呆然としているシエラに言った。やがてシエラはまじまじを少女を見つめた後、興奮醒めきらない声で呟いた。
「ラド、これは、蜉蝣人じゃない……」
「蜉蝣人? これが?」
ラドは目を見開いた。
蜉蝣人とは、いるのかいないのか分からない人外の生き物だった。一度も見ることなく人生を終える人ばかりなので、幽霊やその他妖精のように、伝説上のものとして捉えられている場合が多い。仮に、狩人が小妖精を捕まえたと言っても、迷信深い者の戯言として処理されてしまうのだ。長く狩りをしてきた彼だが、罠に小妖精がかかったという他人の話は聞いたことがあっても、蜉蝣人なんて見たこともなかった。
「シエラ、俺たちはついているかも知れない……」
ラドは夢か現かといった様子でそう言った。というのも、蜉蝣人はその存在を伝説上のものと捉えられているくせに、蜉蝣人の翅や長い尾毛は、妙薬の材料として信じられないほどの値が付くのだ。それが、そのものとなれば、もっともっとそれこそ、想像もつかない程の値がつくはずだ。
ラドは震える手を伸ばし、少女に近づいた。少女の薄い緑の目が、ラドを不安げに見上げている。弱々しい翅が生えていること、その尾に長く薄い毛が伸びていること。それらを除けば、本当に人間の少女に見える。
少女の腕にかかったラドの手を、少女はじっと見つめた。
「ねえ、ラド……」
シエラが口を開いた。
「どうするの? その子を……」
ラドは答えに詰まった。少女は逃げるわけでもなく、反撃するわけでもなく、じっとラドとシエラを見上げている。足をがっちりとトラバサミに挟まれ、其処は決して少量でない出血を起こしている。だが、その痛みも感じていないかのように、ただ、不思議そうに、話し合うラドとシエラを見上げていた。
「売ってしまうつもり? 分かっているの? この子を売るってことは……」
「君は、この子をどうしたい?」
ラドは頭を掻きながらシエラに訊ねた。何の迷いもなく売り飛ばすつもりだったのに、シエラに丁寧に確認されたことで、少し気持ちが揺らいでしまった。そう、この少女を売るという事は、この少女を間接的に殺すという事に繋がる。それも、自分たちが考えるよりも、ずっと残酷で非道な方法で、だ。
尚も不思議そうに見上げてくる少女を見ていると、ラドは少しでもそんな輩に売り飛ばそうとしていた自分が極悪人なのではないかと思ってしまった。見れば見るほど、人外の生き物に見えない。翅と尾毛がある以外は、本当に人間と変わらない。それも、非常に美しい娘だ。妙薬作りや仲買いなどに売ってしまうのが惜しまれるほどの端麗な顔立ちをしている。出来れば自分達の宝にしたいほど……。
そこまで考えて、ラドは我に返った。何だか今、自分がとても怪しい事を考えていた気がした。しかし、そうだとしても、シエラがこの少女を売るのに反対のようであるならば、強引に売るという事も出来なさそうだ。それに、別段大金が手に入らなくとも、二人で生活するのには全然困らなかった。それが、三人になったところで何も変わらない。ラドはそう意を固めて、シエラに聞いたのだった。
シエラはまっすぐとラドを見据えると、不意に目をそらし、蜉蝣の少女に目線を合わせた。今や少女から恐れは消えており、いきなり目の高さが合わさったシエラを、不思議そうに覗きこんでいる。
「あなた、名前は?」
シエラが少女に訊ねた。突然話しかけられたためか、少女はもじもじと体をまごつかせた。だが、暫くそうやっていると少し落ち着いてきたのか、少女はシエラを横目で見つめ、恥ずかしそうに答えた。
「ミシュ」
たった一言そう言っただけで、少女はしっかりと口を噤んでしまった。ミシュと名乗った彼女は、反応を見るようにまっすぐとシエラを見つめた。
「ミシュ」
シエラが繰り返すと、ミシュは大きく一つ頷いた。どうやら、彼女の名前であっているらしい。シエラはほっと一息吐くと、ミシュに話しかけた。
「ミシュ。あなたは私の愛玩になるのよ。きっと他の狩人に見つかったら、その場で犯されて、解体されていたでしょうね。でも、私達は違うわ。今からあなたが頼るのは、私……シエラと、ラドよ」
シエラの言葉に、ミシュは目を丸くした。言葉はちゃんと通じているらしく、ミシュはシエラの言ったことをすべて理解している様子だった。シエラに肩を撫でられながら、ミシュは確認するように二人の顔を見比べていた。
「こうしたいの。よく分かった?」
ふと訊ねてくるシエラに、ラドは笑みかけた。
「よく分かったよ」
ラドの言葉に、シエラの目が輝いた。
その二人の様子を、ミシュはずっと不思議そうに見ていた。
ミシュは変わった生き物だった。伝説上とされる以上、シエラもラドも何を食べるかすらも分からなかったけれども、取敢えず木の実を欲しがるようだったため、二人は木の実を与えて世話をした。
そして街によく行くため、目立つ容貌のミシュに、茶色の外套を被せてやった。最初でこそ、その外套を撥ね退けたミシュだったが、次第にその着心地になれたのか、三日もすると嫌がることなく外套を羽織るようになった。
翅や尾毛は外套で隠れた。これだけで、誰もミシュを人外の生き物だと思う者はいない。そう、翅や尾毛以外は、本当に人間の少女と変わりないのだ。
寄り添いあって歩く三人は、まるで、家族の様でもあった。
ミシュがシエラに懐くのは、思いのほか早かった。ラドは、言葉少なに追いかけてくるミシュを、シエラは微笑みながら見つめていた。
懐いた後のミシュは本当に可愛かった。もともと、どんな人間も振り返ってしまいそうな可愛さだったが、懐いたことで更にそのことに拍車がかかった。シエラは勿論、ラドもこの少女を失いたくなくなった。懐いてしまった後では、売るなんて考えられない。ミシュはシエラとラドの娘同然だった。その二人の愛は、時に濃厚にミシュを愛し、時に柔らかくとミシュを見守った。
「あたし、シエラのこと、好きだよ」
ある夜、ミシュは突然そう言った。シエラに愛されて、ラドに愛されて、その身を静かに二人に委ねていた時だった。
「もちろん、ラドもだよ?」
慌てたように付け加えたミシュに、二人は微笑んだ。明らかに後付けだったが、ラドはそれでも満足だった。もともと、ミシュはシエラにあげた愛玩だ。シエラに懐けばそれでいい。ついでにラドにも懐いてくれるなど、ラドは考えたこともなかった。だから、ミシュの言葉が、ラドにはとても嬉しかった。
「ずっと一緒にいてね」
ミシュの言葉に、二人は柔らかい愛撫で答えた。
その次の日、シエラとラドは、現実の恐ろしさを実感した。ミシュが誘拐されかかったのだ。
ほんの少し目を離した隙に、ミシュの手を引いて見知らぬ男が立ち去ろうとしていた。それも、蜉蝣人だと分かっての誘拐ではなかった。そっちも気にしなければならないというのに、ミシュを誘拐しようとしたのは、全く別件の誘拐だったのだ。
後少しで、人ごみに紛れられてしまうところだった。
ミシュはというと、警戒はしても、されるがままについて行ってしまったらしい。
この日から、シエラは、町ではミシュの手を離さない事に決めた。ミシュはその事を「どうして?」と何度も訊ねてきたが、シエラも、ラドも、答えなかった。
ミシュは知らなくていい。知らない方がいいことが、いっぱいある。知ってしまったら、ミシュはどうなるだろう? おとなしく、シエラとラドだけの言う事を聞くようになるだろうか? いや、二人はそうは思わなかった。もしかしたらミシュは、森に帰りたがるかもしれない。二人の元を去ってしまうかもしれない。
シエラもラドも、それだけは避けたかった。
「あたし、二人のこと、好きだよ?」
ミシュは確認するように、度々繰り返した。そして、握ってくるシエラの手を握り返し、ミシュは緑の目をそっと細める。その笑みに、シエラもラドもどんどんとのめり込んでいった。
しかし、それはいつまでも続くものではなかった。いかに、シエラとラドが守ろうとしても、指の隙間から零れ落ちるように、ミシュは滑り落ちてしまったのだ。
その者は、たった独りでシエラとラドに襲いかかった。最初から、ミシュのことを居るかどうかも疑わしい蜉蝣人だと確信しての襲撃だった。シエラも、ラドも、彼を捉えるのは勿論、阻むことすら出来なかった。彼によって作られた傷を引きずりながら、必死にミシュへと呼びかける。だが、その声も空しく、ミシュの手は、彼の手に包まれた。
「さあ、おいで」
ミシュは逃げようとしていた。シエラとラドの元へと駆け寄ろうとしていた。だが、出来なかった。動こうとした瞬間に、ミシュの項を、彼の手が襲ったからだ。
「手をかける」
彼は一言呟くと、美しい緋色の目を細め、ミシュを担いでシエラとラドを見据えた。
「悪かったね。どうしても、蜉蝣人が必要だったのだよ」
彼はそう言うと、悠然と歩き、シエラとラドの前から立ち去って行った。二人は力を振り絞った。力を振り絞って、彼を追いかけようとした。だが、駄目だった。どんなに力を振り絞っても、どんなにミシュへの思いを託しても、ミシュを奪ったその男の背は、遠くなるばかりだった。
「ミシュ……」
シエラが震える声で呼びかけた。
「ミシュッ!」
だが、ミシュの瞼が動くことはなかった。
動けるようになってすぐ、シエラとラドは、ミシュを探し始めた。
目の前で男に奪われたあの日から、時が流れ出る湧水のように去って行く。気付けば一年が経ち、二年が経っていた。
いつしかラドは、ミシュの事を諦め始めていた。町で蜉蝣を元にしたという薬や飾りを見るたびに、あれがミシュを元に作られたものでないのかと疑うようになった。
だが、シエラは諦めていなかった。ミシュはまだ何処かにいる。どこかで、助けを求めているはず。そう信じて、旅を続けた。シエラが諦めないため、ラドは静かにシエラに付き添った。シエラが受け入れるその日まで、一緒にミシュを探そうと心の中で誓った。
そして、また一年が経つ。シエラは諦めたくないようだった。認めたくないようだった。ミシュはシエラの子どもの様な存在だった。目に入れても痛くないとはこの事だと言わんばかりの溺愛ぶりだった。それほどまでに、ミシュに依存していた。
だから、彼女は諦めたくない。また依存できる相手がもう見つからないなどと、この世から消えてしまったなどと、認めたくないのだ。
シエラは探し続けた。
ラドは寄り添い続けた。
そうやって、もう三年が過ぎ去ったのだ。この状態は、いつまで続くのだろうか。シエラにも、ラドにも、それは永久のように思えた。
「でも、私は諦めたくない」
シエラは毎晩、自分に言い聞かせるかのように繰り返した。
「私は諦めたくないの」
その思いは計り知れなかった。
そんな二人の前に現われたのが、ひとつの金の卵だった。
二人はその金の卵を、とある質屋で見つけた。本物の卵らしいが、子が生まれることはないだろうと言われているらしい。なるほど、殻は思いのほか厚く、作り物のようだが、その手触りは紛れもなく本物らしい。
「ドラゴンの卵という話だが、実際は違う。どこぞの変わり者が、人外の娘に産ませているという専らの噂だね」
煙管を吸いながら話したのは、その店の店主だった。
「その卵、この界隈じゃ溢れるほど出ている。余所では売れるもんだから、すっかり出回っちまってね……なんでも、この卵、本当はとんでもなく貴重な者の卵らしくてね」
店主が声を顰めてそう言うのを、ラドは静かに見つめた。そして、両手にすっぽり収まる、その卵を見つめた。何故だか、その卵のことが妙に引っかかった。そして、それは、シエラも同じだったらしい。
「その、とんでもなく貴重な者って何?」
シエラは、静かに微笑みながら、店主に尋ねた。店主はそのシエラの笑みにつられ、妙に上機嫌に答えた。
「聞いて驚くんじゃないよ。まあ、信じないかもしれんがね……」
そう言って、煙管を下ろし、店主は言った。
「蜉蝣人だよ」
質屋で買った金の卵を大切に抱え、ラドとシエラはとある場所へと向かった。
そこは、町の隅の隅に潜んでいる住宅。金の卵の発生地と言われている場所。住んでいるのは、男が一人。
二人はその家の扉を遠慮なく叩き、出てきた男を押しのけて家に入り込んだ。
一見、普通の家だった。いきなりの挨拶に文句を言わんと走ってきた男をしり目に、シエラとラドは持っている金の卵を示した。男は「知らない」とばかり繰り返したが、その顔色は、嘘をつけていなかった。
「正直だね」
ラドは目を細め、弁解する男を無視して家の中を調べ始めた。こじんまりとしたそう悪くない間取り。置いてある家具は、さり気無いけれども高い物ばかりだった。割にいい暮らしをしているらしい。シエラとラドは、その家の中を隈なく調べた。部屋数は勿論、壁やタンス、絨毯等、抜け目なく。男はすっかり威勢をなくし、おろおろと二人を見つめていた。というのも、ラドを見て気付いたからだ。彼が、自分が到底盾つけないような人物であることを。
「見つけた」
シエラの鋭い声が聞こえ、男はさらに竦んだ。二人が捲った何枚目かの絨毯の下から、地下へと続く階段の扉が現れたのだ。迷いなく扉を開いた二人。すぐさまラドが、男を手招いた。
「この先に行く。お前、先に降りろ」
短刀をちらつかせるラドに歯向かうことも出来ず、男は真っ青な顔で階段を降りはじめた。すぐ後に短刀を握るラドが、そして、最後にシエラが慎重に下りていく。階段はうんと深く、そして、其処まで暗くはなかった。明かりが所々点いており、決して長く放置されているような場所ではないことが、明らかだった。
やがて、三人の前には、扉が立ちはだかった。男は立ち止まり、恐々とその扉を開けた。男を押して部屋に入り、ラドとシエラは目を細めた。睨んだ通りだった。上の部屋の四分の一ほどしかない狭い部屋。寝台代わりに敷かれた布と、食事皿と水皿が無造作に置かれている。それ以外は何もない。あるとすれば、存在だけ。金の卵を抱きしめて、こちらを睨む少女だけだった。
蜉蝣人だ。
薄い緑の目を光らせ、ラド達をじっと窺う少女。その肌は、病的なほどに白い。彼女はしっかりと金の卵を抱え、その薄い金の髪を揺らしながら、威嚇するように小さく呻いた。
そう、少女は金髪だった。
「やっぱりミシュじゃない」
シエラが肩を落とした。見たかったのは銀の髪。あの愛おしい銀髪の少女。落胆するシエラの肩を支え、ラドは震える男に尋ねた。
「これは蜉蝣人だな? いつ頃捕まえた?」
「……もうずいぶん前の事だ」
男は震えながら答えた。
「散歩していたら変な卵を拾ったんだ。金色のね。きっとドラゴンの卵だと思ってわくわくして孵してみたら、生まれたのはこんな奴だった。ドラゴンの一種だと思って育ててたんだが、どうも違うと分かってきて……」
「それで、年頃まで育てて孕ませたのね」
シエラが吐き捨てるように言った。
ラドは威嚇を続ける少女を見た。彼女はラドとシエラばかりを警戒している。生まれながらにこの男に育てられているのだ。恐らくは、この男こそ、彼女の世界すべてなのだろう。この男が死ねば、彼女が生き延びられるかも危うい。
「蜉蝣人だと気づいたのは最近だ。その卵なら、高く売れる筈だと踏んで、売ってみたらこの通りってわけだ……」
男が汗ばみながらもにやけた。
その笑みを見つめ、ラドはため息を吐いた。シエラはすでに、踵を返していた。
「邪魔をした。せいぜい盗賊に気をつける事だ」
そう捨てて去って行くラドとシエラを、男は不思議そうに見送った。
ミシュを連れていた時には耳にしなかったのだが、意外にも蜉蝣人を持っていると疑われている者はたくさんいた。若しかすれば、ミシュを連れていた時のシエラとラドも、そう噂されていたのかもしれない。否、そうに違いないだろう。だからこそ、あの者は、最初からミシュを蜉蝣人と見抜いた。
今のラド達は、あの者のようだった。
蜉蝣人を連れている疑いのある者を探っては襲い、確認する。だが、その度に、シエラが落胆するという結果に終わるばかりだった。もうミシュはいないのだろうか。そんな絶望的な想像ばかりが膨らんでいた頃、ラド達は蜉蝣人についてのある噂を耳にした。
蜉蝣人の翅や尾毛は白い。だが、その髪は、必ずしも同じ白とは限らない。色素は薄いとはいえども、金髪や茶髪、赤毛や灰色など多彩だ。だが、その中でも、煌めく銀髪は本当に稀らしい。稀な存在の上の稀だから、その個体は限られてくる。白でもなく、灰いろでもない銀髪は、日の光や月の光で美しく輝くらしい。
シエラはすぐにミシュの髪を想起した。あれは銀髪だった。白髪といえる純度もなければ、灰色といえる濃さもなかった。更にシエラは見たことがある。ある月光輝く夜、ミシュの髪が幻想的に煌めいたその瞬間を。
「南の大都会で、そんな珍しい蜉蝣人を連れた芸人の集団が訪れている」
二人に教えてくれたのは、酒場で出会った旅人だった。
「蜉蝣人を連れていたのは、緋色の目の美しい青年だった。他の見世物は正直、大したことはないが、その蜉蝣人はなかなかの人気だったよ」
緋色の目。シエラもラドも、忘れられない者の顔を思い出していた。これがあの者でないとすれば、誰だというのだろうか。
旅人と別れた二人は、静かに目を見合わせた。そして、頷き合って、一言口にする。
「南へ」
こうして二人の行くべき場所が、また決まった。