蜜
キーワードにネクロフィリアを追加します。
あれからずっとアルヴィを抱いていると、心無しか冷たくなってきているのが分かった。
(血液がないから体温が上がらないんだ。でも治療は出来てる感覚はあるよな・・・。なら治療魔法で体温は戻せなくとも、腐敗は止められそうだ。)
かつては細胞単位で活性化させることが出来たんだ。命が無くとも、体だけは清潔に保存しなければ。
アルヴィとは、ずっと一緒だって約束したんだ。アルヴィにはずっと綺麗なままでいて欲しい。
俺のイメージするのは、記憶の中のアルヴィの笑顔、仕草、髪の毛、匂い、柔らかさ、そして声。
アルヴィに幻滅されないように、俺の全てをかけて今度こそ君を守りたい。
その一心で、気を失う前に使っていた方法で魔法を使う。頭の奥ではチリチリと何かが切れていくような感覚を覚えた。
新たな決意を胸にしながらも、アルヴィに優しい魔法をかけ続けていた。
アルヴィのサラサラした髪を手櫛で梳かしていると、全身に感じていた振動が止まった。
俺のいるところから一番遠くの壁から、急にオレンジ色の光が差していた。
反射的に目を手で庇って、恐る恐るそこを見やると、布のような物を開いている人が見えた。
(あそこが乗り降りするところなのか。じゃあ俺は一番奥にいるってことか。)
逆光で顔は見えないが、鎧を着ている事から騎士のようにも見える。外は夕方のようで、少し見える景色は草原のような特徴のないものだった。
「今日はここいらで野宿にする!さっさとメシ食って明日に備えろ!今起きねえ奴は魔物の餌にすっからな!」
声を荒げている粗野な男がそう言ったあと、何人かが乗り込んできて何かが入った器を檻の前へ置いていった。
その中には俺よりも大きい子供もおり、こちらを蔑むように一瞥をくれたあと、それからは何もなかった。
他の檻には拘束されていない者がいるのか、汁をすするような音が聞こえてくる。
当然、俺の檻の前にも置かれるが、鎖で繋がれているためにそこまで辿り着けない。
手足が自由な同類達は、そんな俺に憐れみの目や見下すような目を向けてくる。
(こんなクソみたいな環境でも、優越感に浸っているなんて悲しい奴らだ。)
そんな奴らよりも自分が劣っていない事は分かる。せいぜい年齢くらいの事だろう。
周りの視線を歯牙にもかけず、檻の中央辺りに座り込む。
それからは特に何をするでも無く横になって過ごした。メシは相変わらず届かない所に置かれるので、周りからの視線とそれに抵抗する自己肯定感で心は荒んでいった。
空腹は耐えられない程ではないけど、喉の渇きの方が問題だった。
ここはほとんど閉め切られた場所で、人が密集しているためか相当暑い。
汚物もたまに外に捨てられるくらいで、基本的には中に溜まっていて衛生面は最悪だ。
そんな状況では病気になるのは当然で、対抗する術のない者から嫌な臭いを放つゴミに成り果てる。
地獄、そう喩えてもなんらおかしくない。ここだけなら〈ヴォーガ〉の壮絶さを軽く上回るだろう。
図らずもスキルの『病気耐性』が俺を無事でいさせたのが、余計に地獄から逃れられない生活を余儀なくしている。
そんな場所でかく汗も、もちろん変な味で、自然と口に浸み入ることさえ嫌気がさしていた。
そんな環境だったからか、普段の自分では思いも寄らない考えが頭によぎった。
移動中はガタガタと振動を感じているのだから、自分の腰元の水筒の中に入った液体が主張していることも分かっていた。
当初は、そもそも飲料として考えていなかったこともあって考えの外にあったけど、今ではそのタガが外れてしまったのか、無性に欲しがってしまっていた。
自分の腰にある袋状の水筒に手を伸ばす。中からはタプタプと振動に合わせて揺れ動いている液体を感じる。
袋の口を緩めて中を覗くと、むせ返るような濃い匂いがした。
ただ俺はその匂いにウットリとして、先程よりもそれを欲してしまっていた。
ゴクリと生唾を飲み込んで、水筒の中をジッと見る。
こぼしてしまわないように、ゆっくりと水筒を少し傾けてから雫を舐めた。
(・・・美味い!今まで味わったことのない美味さ。アルヴィが俺の体に染み渡っていくような気すら感じる。これが・・・アルヴィの味、なんだ。)
喉は一瞬で渇きを癒やし、顔は恍惚とした表情をたたえていた。
ひとしずく、ひとしずくと舐めとる毎に頭が活性化していく感覚が広がっていく。
刺激的な味におかしくなってしまいそうだったが、足にフワリと何かが乗る感覚に気付いて我に返った。
触ってみれば、もう動くことのないアルヴィの手が、俺の足に添えられていた。
「っ!・・・ごめんね、アルヴィ。変だったよね?気持ち悪かったよね?・・・うん、分かってる。アルヴィには嫌われたくないからね。」
俺はまるでアルヴィと会話しているかのように、自分から水筒の口を閉じた。
それからはアルヴィをギュッと抱いて横になった。
俺はアルヴィに、抱きかかえられているように幻視しながら眠りについた。
◆
あれから1ヶ月ほどが経っていた。初期の頃より檻の中の人間は、入れ替わり立ち替わりで最初からいた者は俺だけになっている。
この環境でも生きながらえている俺には、外の護衛達──冒険者だった──も、恐れて近寄ってくる事はなくなった。
1週間おきに数滴ずつ舐めている水筒は、もう半分くらいしか残っていない。
自制はしているものの、残り少ない命の源に対して、そこはかとない不安を感じていた。
いつになったら外に出られるのかわからない。
そんな思いに支配されていると、おもむろに荷馬車が止まったかと思えば、ガタガタと荷下ろししているような音が聞こえてきた。
(ついにここを出るのか。俺は一体どこにいるんだ。)
俺は一番奥にいるので、あらかた作業が終わるまで、もうお別れになるかも知れない住処を無気力に見る。
作業している場所から明るい光が漏れているので、今では良く周りが観察出来た。
檻自体は、赤く錆びているものが多く、その中身はひどく衰弱している者が多い。
檻ごと持ち上げられ動かされる度に、ピクピクと反応するので生きている事が分かるがそれだけだ。
檻は外に出されて空になって戻ってきている。外には更に大きな檻が見えるので、あそこに貯められているのだろう。
そう思っているとついに俺の番がやってきた。
男達数人でユサユサと持ち上げられている感覚は、まるで前世に見たお殿様のようだと苦笑した。
(前、世・・・?俺はなんでそんな事を思ったんだ?・・・言葉は断片的に思い出せるのに、情景が思い浮かばない。記憶の糸を無理に引きちぎって、バラバラになっている感じだ。)
荷馬車から下ろされ、別の馬車にむき出しで乗っている大きな檻のそばにそのまま置かれる。
俺だけ鎖で繋がれているようだから、まとめられないのだろうか。
カンカンと照りつける明るい光に、手ひさしを作って周りを見てみる。
誰を見ても俺を視界に入れないように怯えているようだった。
(確かに痩せていてみすぼらしい子供だけど、目を背けるほどなのか?・・・しかしここはずいぶんと都会って感じがするな。)
俺はそう思ってそばにいるアルヴィを撫でながら、街中を練り歩く馬車の上で、座りながら周囲の景色の目新しさに目を奪われていた。

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