門出
この状況でも変わらぬ眠り姫を抱えるようにして入り口へと戻る時にそれは響いた。
その凛とした透き通るような声は鋭く俺の耳に抵抗もなく入ってきたのだ。
「また私から奪うのね。」
その声は、長い髪を腰元まで下ろしているフィオレンサだった。2度にわたる王皇族殺害の割を食っているのは彼女だ。
彼女にとって俺は憎むべき存在なのだと言う事は分かっている。
「俺が憎いですか、フィオレンサ様。」
「ええ、とってもね。・・・でもあなたに救われたのも事実ですもの、表に出すことはしないわよ。」
そう言うフィオレンサはどこか遠くを見ているようだった。もしかしたら、王国の方を見て懐かしんでいるのかもしれない。
今は亡き弟王子との日々を想起しているのだろうか。
なら俺は悪逆非道の弟殺しとして、一生彼女に恨まれながら生きていくしかない。
長い沈黙の後、ゆっくりとフィオレンサは口を開く。
「でも王国を出られたのはここの皇子に感謝しているのよ。あの国でお姫様なんてやっていられなかったもの。」
「・・・今なら俺が連れ戻せますよ。」
「私はもうここの国のお妃よ。勝手に戻るなんて許されないし、するつもりもないの。私はここで生きていく。
だからあなたももう暗い事ばかりやっていないで、彼女を安心させてあげなさい。」
フィオレンサは決意のこもった眼差しと優しげな口調でそう言ってくれていた。
俺から言う事はないとそう思っていたが、咎められても言わなければならない事がある。
「フィオレンサ様、シータイト様の事、申し訳ございませんでした。深く苦しみを与えてしまった事、心から謝罪します。」
「あら、殊勝なものね。じゃあ私に殺されてくれるかしら?なら許してあげるわ。」
「・・・えっ?」
「嘘よ、うそうそ。殺し合っていたらいつまで経っても平和にならないもの。私が思い描いた平和は、もっと穏やかで幸せなものなの。
私はこの帝国でその幸せを築いてみせるわ。あなたも見ていなさいね。」
彼女の顔は晴れやかだった。後悔や悲哀を内に押さえつけていてもなお、未来への希望を持っている。
「・・・そうだわ。最後にひとつ頼まれてくれないかしら?」
「なんなりと申し付けください。」
「街へ出たらこの国の最も大きな建物をぶっ潰しちゃって。ここを平和にするなら、あんなのいらないわ。」
「必ずや成し遂げてみせましょう。」
これで彼女の気が済むのなら存分に力を振るおう。圧倒的な暴力を望むのなら、俺はそれに応えるだけだ。
話は終わった、とでも言うようにフィオレンサは俺の目の前にある、外に続く扉を開けた。
「じゃあもう帰りなさい。ルイスによろしくね。支援金も待っているわ。」
「はい、お身体を大事にしてくださいね、フィオレンサ様。それでは失礼します。」
「ええ。・・・ありがとう。さようなら。」
最後に見えた彼女の顔は、変わらない決意に満ちている。これからこの帝国がどう変わっていくか分からない。
だが彼女が治めるのならば、多少は好転するのではないかなんて楽観的に思える。
フィオレンサが開けてくれた道を歩いて外に出た頃には、すでに夜の静寂が帝国を支配して、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
法佳の身体を抱え直しながら姿を隠して辺りを見回す。フィオレンサの望みを叶えなくては、と思って暗闇に目を凝らす。
この夜の暗闇の中、高い場所に光源が見える。あそこだけでこの帝国の隆盛を誇っているかのような存在感すら感じられる。
幸いこの場所からは離れているので、あれが崩落してもフィオレンサには影響がないだろう。
大体の目測をつけて飛び上がり、最も高い建物に向かって崩壊魔法を撃ち込んでいく。
自分の記憶と代替わりするように帝国の知識が増えていくようだ。
しばらくするとついにその建物は根本から崩落し、強大とされた帝国はこの一瞬で陥落する事となったのだった。
◆
それから5日後、王国の国境門を法佳とともに2人でくぐる。法佳は帝国を出発した辺りで目覚めていたらしく、少しゆっくりめに帰路についた。
途中、聖女を連れて聖国を縦断したので、2日ほど拘束されたのが面倒だったがそれなりの収穫もあった。
帝国への道中に俺とマリウスを間違えて道を通してくれた女性が、法佳の母親だったということだ。
(僕と君を間違うなんて、そいつはあんまり信用出来そうにないね。瓜二つって訳じゃないんだからさ。特にすぐ人を信じるコーダは近寄らない方がいいね。)
(うぅ、面目ない。でも僕らって君の記憶にあったドッペルゲンガーってやつじゃないの?異世界にもあるんだよ、そういうの。)
マリウスを取り込んでからは前世の記憶を間接的に取り戻した事もあってか、脳内が騒がしい。
今では何の抵抗も無く前世の話題を話すことが出来るようになったので、法佳との会話も気を遣ってもらう必要がなくなった。
(こういう面倒があるから僕は浸透魔法を作ったのに。君も闇属性持ってるんだし使えるだろ?)
(あんなよく分からないもの使いたくない。それに長旅になっても、法佳と駆ける空は格別なんだよ。)
浸透魔法とはマリウスが移動に使っていた魔法のことだ。地中などに管を通してそこを移動するのだとか。管が弛緩と収縮を繰り返して移動速度は上がるらしいが、真っ暗闇を進むのは少し気味が悪いのだ。
聖国では聖女奪還の旨を事後報告した事となる。それがどう受け取られたのか知らないが、秘密裏に解決した事を感謝されてしまった。
元凶と同居している俺にとっては苦笑いを浮かべるだけで、大問題にならなかった事を安堵した。
そんなこんなで行きの倍ほどの時間をかけて、王国に到着したのだった。




