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05

視点 バーバリ



 見たことのない男だ。

「新しい従者か」

 声をかければ、その男がまず振り向き、俺を見る。続いて、こちらを見た女は、うさんくさい笑みを口元に貼り付けて、いつも通り、頭を下げる。

「いちいち面倒くさい、とっとと俺を見ろ」

「あらあら、形式美というものもありますよ」

「カスティーナ、これは誰だ」

「私の影です」

「お前の影はこんなに傷だらけだったか?」

「私の影ですから」

 答えるつもりがないらしいので、その影を見る。顔の中心を走る一本の傷、覗く首にも細かい傷、手だけは綺麗だ。髪は整えられてはいるが、痛みがあり、肩のあたりが乱れて跳ねる。その黒い瞳は、伏せられることも、剃らされることもなく、俺を見ている。真っ直ぐに、この俺を観察している。

 こんな目は、見たことがない。

「面白い」

 その影の顔を掴む。

「寄越せ」

「は?あげませんよ!」

「ただの影なのだろう?」

「影は私につくものです!」

「ならば」

 手を広げ、空を指す。

「なにをっ」

 雨雲を呼び寄せながら、その影を見る。影は、顔を俺に掴まれてなお、俺を見ていた。怯えることも、怒ることもなく、ただ、俺のこの目を見て、俺の心を探り続けている。

「何をしているんですか!私の、この、カスティーナ・ラスベルのものですよ!」

 雨雲が空を覆い、廊下から、光が消える。

「光がなければ影も見失うだろう。カスティーナ、この雨の中、お前は自分の影をなくすだけだ」

「なんて、ことを……そんなこと許すわけがないでしょう、離しなさい!」

「この、俺が、欲しいと言っている」

「この、私は、あげるとは言っていない!」

「お嬢」

 手の中の顔がやっと音を出した。

「俺のために、声を荒げるな」

 そう言いながらも、俺から目を逸らさない。その顔に表情はない。

「影よ、名前はなんという」

「ナイト」

「夜か」

「ああ」

「夜ならばちょうどいい。影も何もないな」

「……俺が欲しいのか?俺はスリだ。庶民の中でも貧民だぞ。お前のような綺麗な人がそう、触っていいものか?」

「そんなつまらないことが、脅しのつもりか?」

 俺が笑うと、その影は表情も変えずに「お前らは俺らを人として見ない。ゴミとして見る」とこの国の事実を吐いた。そう、この国は、だから、つまらないのだ。

「ラスベル孤児院か……こんなものを隠し持っていたのか、なんという……素晴らしい!ああ、素晴らしいな、お前は!こんなに欲しいものはない!」

 両手でその顔を、その頬を包めば、やっと、無表情が崩れた。目を少し開いて、口が軽く開く。これは、驚いているのか。なお面白い。ここで、驚くか。

「お前、とは、俺のことか?」

「そうだ。この俺を見られるものは限られる」

「限られる?なぜ?お前は透けているわけでもないだろう」

「ははっそうだな。確かに俺は透けていない」

 ぱちぱちと瞬きをしてから、観察する目をやめて、俺を見る。

「お嬢は俺に、ものを見る目を持てという。……俺の目はお前が見える。いけないことなのか?」

「ナイト!もうやめなさいっ!そいつと話してはいけない!」

 顔が笑ってしまう。こんなに、自分の感情に振り回されたことはない。面白い。面白い。面白い!

「……そんなことで、外に出したか。バカなことをしたな。カスティーナ」

「っあなたに見つかるなんて思ってません!」

「俺も安く見られたものだ」

「私のナイトです!」

「いいや、今からは、俺のものだ」

 顔を離し、その腰を引き寄せ、自分と同じ高さにあるその黒い目を見る。

「バーバリ・ドールゴンだ」

「……お前が?この国の皇太子か?」

「そうだ。俺が見せてやる。カスティーナでも見せられないものを。全て、お前の力にするといい」

「……それが、お嬢の役に立つのか」

「お前はいつまでもあの女の手で踊るのか。いつまでもあの女の背中についていくのか。そんなことを、あの女が求めているのか」

 黒い瞳が揺らぐ。それが面白い。

「お嬢は、……俺にひとりで、隠れることなく、生きられる、ように、と」

「なら、俺の手をとれ」

「ナイト、駄目、戻りなさい」

 カスティーナの白い手がナイトに伸ばされる。俺もまたその腰から手を離し、一歩下がり、手を差し伸べる。

「俺とともに来い」

 ナイトは、俺の黒い手とカスティーナの白い手を見比べて、ひとつ、息を吐く。

「……お嬢」

「ナイト、そう、私の手を」

「あの時、お嬢の手を取った……闇の中で。お嬢を頼りに、俺はここまで来た」

 ナイトは、ただ、その白い手を見るだけだ。

「何を、……何を考えているのです!」

「もう、俺が、重荷だろう?」

「そんなはずないでしょう!」

「だから俺をここに連れてきた」

「ちが、違います!私はただ、あなたの道を」

「ならば、道はつながった」

 その手が、俺の手を掴んだ。カスティーナの目が見開き、その膝が床に落ちる。

「お嬢、孤児院はもう俺がいなくても回るようになった」

「そんな、こと……」

「次の代に継ぐべきだ。俺たちは、すぐに大きくなる。上が抜けなければパンクする」

「そんなことない、ねえ、ナイト、待って……」

「何より、これが皇太子なら、この申し出をお嬢は断れない」

「そんな……そんなことないっ!あなたの幸せが一番なのっ」

「俺の幸せはお嬢の幸せだ」

「なん、なんでそんなことを、あなたが、犠牲になるなんて、だめ、絶対にだめ……」

「なんで?……そんなもの」

 ナイトは俺を見て、うっすらと笑った。

「このクソ野郎の教育をするために決まっているだろ」

「は?ぐっ!?」

 その手が俺の首を掴む。ごりごりと、今まで聞いたことがない音が自分の喉から聞こえる。

「俺は人体には詳しいぞ、バーバリ。この場で折ってやろうか」

 この国の皇太子に首をかけて、骨をきしませて、その男は楽しそうに笑う。

「俺が欲しいなら、お嬢にひれ伏せ。できないなら、俺はお前のものにはならない。隣を歩いてやってもいいが、後ろは歩かないぞ?どうする……?」

「……くっくくっあっはっはっはっ」

 耐えきれず、締められた首から、笑いがこぼれてしまった。ついでに、軽く、手から炎がこぼれ、手袋がこげたが、どうでもいい。

「っ……さいっこうだ……」

 両手でその首を掴めば、自分の喉にかかった手がさらに食い込む。ごりごりと骨が鳴る。口の中が血に染まる。が、目の前の男は止める気がない。ああ、素晴らしい。両手を首から離せば、やっと、首から手が外された。

 一度咳をして、口元を拭う。血がついていた。自分の血を見るのなど、初めてだ。鉄の味がする。

「お前は俺のものではない」

「なら、俺はお前と対等だ」

「ああ。……友になってくれ、とは、さすがに頼まないさ」

「頼まれなくとも、そのつもりだが?」

 見れば、ナイトは当然のように、そう言っていた。

「首を折りかけておいて?」

「お前も首に手をかけていただろう。正当防衛だ」

「正当防衛……皇太子相手に……クッククッ」

「何がおかしい?俺はこの国から何ももらっちゃいない。お前の地位など、どうでもいい」

「……カスティーナ」

 床に座りこんだまま、こちらを睨む女に笑う。

「子離れだな」

「……うちのナイトを泣かせたら、国ごと潰しますよ」

「ハッ!俺は、こんな国ごときに収まるつもりはない」

 血のついた手袋を脱ぎ捨てる。国章など、俺には何の価値もない。

「カスティーナ、俺の弟をやろう」

「……あなたに言われなくても私のものだ!」

「これは正式な、我が国の声明だ」

 その鉛の瞳に、弟のような、なんの含みのない笑顔を見せてやる。帰ってきたのは憎悪の目だ。空に手を伸ばし、雨雲を吹き飛ばす。

「嬉しいだろう?笑ってみせろ」

「……そんな、国の許可などではない、私が欲しいのは」

「では何が欲しい」

「レオンの心だ!」

 そんなもの、とっくにその手に入っているだろうに。本当に鈍い女だ。だから、俺らしく笑ってやる。女は悔しげに唇を噛み、それからこちらに噛み付いてきた。

「あなたはっこの国に収まらず、何になるつもりです?魔王、とでも?」

「そうだ」

 カスティーナの目には驚きはなかった。そうなることがまるで、わかっていたかのような顔だ。

「……好きにすればいい。レオンがこの国を守るでしょう」

「実質はお前か」

「あなたは、レオンを安く見過ぎだ。それに、あなたが隣に置いたのは、私の育てた夜。何かあれば、その首、飛ばしてでも、私の元にひれ伏せさせてくれるでしょう」

「ク、ククッ」

「っ今は、好きに笑っていればいい!これは負けではない!」

 その細い足で立ち上がり、こちらを一瞥してから、彼女は育て上げた夜に抱きついた。ナイトもまたそれを受け止め、その背中を撫でる。

「……寂しくなる」

「いずれ来る時だった」

「そうだとしても、今日とは思わなかった」

「俺は、いつも、今日だと思っていた。甘えてすまなかった。そのぐらい、あなたの腕の中は居心地がよかったんだ」

 その声は、震えてはいなかった。その手はただ、優しく、力もこめることなく、小さな女の背中を撫でる。

「俺はずっと、あなたがくれた道の先を、自分の足で、歩いていく。もう逃げも隠れもしない」

「ええ、あなたなら、それができる。私の最高傑作よ」

「それは、これからを見て決めてくれ。これから、俺はあなたのために、あなた以上の力を得てみせる」

 笑いそうになる口元をおさえる。これは、本当に、この俺をただ、利用するつもりなのだ。面白い。実に、面白い。無論、その感動的な別れにいつまでも付き合ってやる理由もない。踵を返し、歩き出す。

「さようなら、……あなたは俺の母だ」

「っええ、さようなら、ナイト」

 その声の後、軽やかな足音と、隣の熱量。

「クックククッ」

「悪役みたいに笑うな」

「ふふっ」

「気持ち悪い声で笑うな」

「どうしろと言うのだ」

「笑うな」

「はっはっはっは」



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