鱸丸と平清盛
「おーい!開けてー!」
清は身の丈以上ある巨大な門に向かって吠える。しかし、中からはなんの返答もない。人の動く物音などはしないし、ひっそりと静かなものだった。今気がついたが、屋倉の上にも見張りがいないのだな。もし家の中の人間全員が寝ていたらひょっとしたら気がつかないかもしれない。
「おらぁ!開けろ!このあたしが帰ってきたんだぞ!開けるのが筋とか忠義ってもんだろうがぁ!なんで開けないのさ!これが世にいう無視ですか?ハブりですか?酷くありません、か!」
力任せに清は門をバンバンと蹴りつける。来ているのが浴衣に似た着物なだけに彼女が足を振り上げればその白い太ももが覗かれる。しかもそれは彼女が暴れれば暴れるほどに着物が崩れていくので、より明確に肉眼に記憶されていった。
「……ひぇー、ちょいお待ち下さいひめー」
しばらく蹴られてると、門の奥の方からひ弱そうな声が聞こえてきた。どこか小動物を連想させるその声は暴力的な女性としかここ最近付き合ってこなかった俺にとってはとても癒やされるものだった。なによりあのちょっとおどおどした感じがいい。絶対かわいい女の子だよ!
「あのー、閂を取りましたぁー」
「そ、。……じゃぁ、開けるとかいう配慮はないわけ?あんた一応あたしの家人でしょ、鱸丸!」
清に理不尽なまでに叱責されて、顔を出したのは年も茜と同じくらいの少女だった。黒髪短髪で、黒目の少女。ショートボブの髪には明らかにこの時代の日本のものとは思えない見事な細工の金色の素体に宝石を散りばめた見事な髪飾りを付けていた。
着ている服は朱を基調としたもので、清の着ている麻色のボロボロの着物とは大違いだ。ただ、彼女が着ているのは白拍子が着る装束に唐衣を着せたもので、この時代の女性が着るものとはまた一線を画していた。悪い言い方をすればちょっと流行とズレていたのだ。
「あの、清様。閂を外すのが送れてしまって……も、申し訳ございません!かくなる上はこの、鱸丸が自ら首を裂いて清様に献上を……」
「え、いらない。あたしあんたに死ねとか言ってないし」
「ありがたき幸せ!」
ひどい主従関係を見ている気分だ。歴史の中じゃイヴァン雷帝みたいなヒステリックツァーリーとか、某中国の社会主義国の初代書記長みたいな破滅思考の主人はいくらでもいたけど、こうもマッチポンプがひどい主従関係見ていたくない。好き勝手罵倒しておいて部下が自決しそうになったら助けてやるとかもうたらしもたらしだ。
そしてそれに頭を下げてしまう家臣も家臣だな。Mなのだろうか?いや、間違いなくこの鱸丸とか言う女はMだろ。現に今土下座の態勢で清にポカスカ殴られているけど全く反応を示さないからな。
「と、ところで姫。お連れの方々は一体どのような、御方たちなのでしょうか?」
土下座した態勢で鱸丸が俺たちに視線を向けてくる。彼女の俺に向ける視線は奇異なものを見たそれだ。小学生女子がゴキブリを見てギャーギャー喚くあれだ。
「んー?こいつらは……あたしの新しい家人!つまり、あんたの念願の後輩よ。良かったわね!」
「えぇぇえぇ!?後輩?私めに後輩ですか?いえ、私まだ姫の家人となって五年やそこら。武芸も文才もまだ非力の身。その私めが後輩を持つことなど恥も良きところにございまする。いや、本当にまだ後輩とか早いので、私が教育係とかにはなりたくないんですけど」
地面に頭がめり込まん勢いで鱸丸ちゃんは否定してきた。よっぽど自分に自信がないのか、あるいは後輩というフレーズが嫌なのか。はたまたその両方か。とにかく後輩を持つのがすごく嫌だ、というのがよくわかる否定の仕方だった。
さすがに清も予想外だったのか、ちょっとドン引きしていた。
「えー。あんたそんな性格だったっけ?」
「私はもとよりこのような性格です。姫様、どうか御慈悲を!」
最近腹の調子が悪いんです、ちょっと熱っぽいんです、めまいがします、後輩の単語を聞いただけで喉に虫がわきます、といった調子で必死に鱸丸は清に懇願した。
さすがに清もこのまま俺たちを後輩として鱸丸の下につけるのは気が引けたのか、わかったわよ、と短く答えた。それを聞いた鱸丸の歓喜の顔ときたらもう形容しがたい。とにかく涙と鼻水を流して、土が涙で流されて茶色の痕をつくり、口に入ったり鼻に入ったりしてむせるわ、痰を吐くわ、と激しかった。
「うん、これがあたしの一の家人の鱸丸。あんたはこれからこの子と一緒に働いてね」
「それはいいけど、具体的には何すりゃいいのさ。槍働きか?」
「夕霧、あんたにはそんなもの求めないわよ。あんたはそうね……。ねぇ、あなたこの国の外がどうなってるか知ってる?」
「一応は、な。でも俺が知っていることなんて微々たるものだぞ?」
「それでも構わないわ。この平の清盛様にすべてを明かしなさい!」
清は、いや平清盛と名乗った少女はその身体にはやや不釣り合いな覇気をもって高らかに宣言する。彼女の瞳には静かな海への野心が宿っていた。
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