清
連れられるがまま、俺と茜は平安京の下京の中へと身を繰り出した。すでに太陽の赤黒い光が西の空に沈みかけていた。夜で、暗くなっているということもあって下京を出入りする人の足は早い。みんな、灯りを求めてそそくさとネズミのように道を小走りで走っていた。誰も俺たちのようにゆったりと歩いている人などはいなかった。
「そういや、まだあんたたちの名前聞いてなかったよね。名前、なんて言うの?」
振り向いて清は俺と茜の顔を交互に見る。薄暗くなっていて彼女の顔が伺えないが、多分ニカっと笑っていると思う。そんな気がした。
「俺は、三条夕霧。で、こっちのちっさいのが……」
「ちっさい言うな!言うてあたしはちっさくない!これくらいの大きさなんて中学3年なら当然だ!みんな150センチ後半くらいか、中間よ!」
ちっさいと言われたのを気にした茜が激昂してみせる。しかし、俺からすればただちっちゃなませた餓鬼が叫んでいるようにしか見えない。いくら罵倒されたって勃つもの勃たん。そっぽを向いて無視をすればいよいよ茜は歯ぎしりをして担いでいた大太刀を振り回し始める。
「そんんあい身長がコンプレックスならドラ○もんでも未来から呼んできてビッグ○イトでも浸かってもらえればいいだろ。それともあれか?実はちっさいあたしかわいい、とか思ってるとかか?それでもちっさい言われるのは理不尽にイラつく、とかか?うわ、お前面倒な女だなぁ」
「うっさい、この歴史オタク!あんたなんてこのあたしの大太刀で一刀両断してくれちゃるわ!」
「おい、ここは天下の公道だぞ?そんな大物振り回すな!迷惑になるだろ」
注意を喚起してようやく茜はまわりに視線を向けてくれた。そして持ち上げた大太刀を再び肩に担ぎ、忌々しげな目で俺を睨んだ。
「あ、これが雨宮茜です、はい」
「あ、うん。それと別にどうでもいいんだけど、可能な限りらんちき騒ぎとかはしないでね?あたしが家人を御しえていない、とか思われるから」
清は俺と茜の喧嘩をらんちき騒ぎと断じた。片方しか理性を失っていないから別にらんちき騒ぎではないと思うのだけどなぁ。
家人とか言う限り、清は武士なのだと俺は推測する。別に武士以外でも家人という言葉は使うが、主に武士の部下、という意味合いで使われることのほうが多い。そして清の一存で家人を雇えるくらいなのだから間違いなく大きな武家の家だ。
佐藤義清がいて、院政が敷かれていて、そして何より鳥羽上皇の治世。このキーワードがあればこの時代の大きな武家は自ずと限られてくる。それは後世、現代日本でおいても有名も有名な武家の棟梁。
それすなわち源氏と平氏。武家の二大勢力、東の源氏と西の平氏。
「そういやあんたはなんて名前なんだ?俺と茜は清、としか聞いてないんだけど」
俺の問いに一拍遅れて清は俺へと振り返った。歩く足を止め、彼女は不快そうな表情をして見せる。そういえば自分の父親のことを成金親父とか言っていたしな。ひょっとしたら地雷を踏んでしまったかもしれない。
「どうせ屋敷につけばわかるよ。それより今度はあたしの方から質問してもいい?」
「どうぞ。歩いている間は暇だろうからな」
苦笑交じりに俺はようやく顔を出した月の欠片へと視線を向けた。三日月がそこにはあった。月の左部分しか出ていないからもうすぐ新月か。
「あんたらってどっから来たの?服装とかもだけど、なんか雰囲気が全然違うし」
その問いに少し口ごもる。生まれは東京、育ちも東京の俺だけれど、この時代でそんなことを言っても東京なにそれ、状態だしなぁ。そうだ!武蔵国から来ました、とか言えば通じるかもな。
「武蔵国の方だな。茜もそう、だよなぁ?」
少し語気を強めて茜に口裏を合わせるように促すが、茜は清々しいくらいに俺のことを無視してくれた。
「あたしは鹿児島から。てか、武蔵ってどこ?宮本武蔵?」
宮本武蔵は人名だ!大体、宮本武蔵から来ましたとかおかしいだろ。アレか?武蔵の腹の中から生まれました、とか言いたいのか、俺は?武蔵男だぞ。
「かご……しま?……ああ九州の!」
清は少し首をひねるが、すぐに茜の言わんとすることがわかったようで得心がいったような顔をした。この時代ではまだ薩摩、なのかもしれないな、と思いながら俺は恨みがましい目を茜に向けた。
「でも、九州、坂東でそんな装束を着るとか聞いたことないんだけど。ひょっとして語ってる?もしくは本当に鬼とか?」
「違う、違う。あたしたちはちょっと先の未来から……あ……」
「おい!」
茜はしまった、とばかりに俺へと視線を向けるが、俺にはどうすることもできない。もう未来から、のフレーズは発せられてしまった。賽は投げられた、ルビコン川を渡ってしまった。
心臓の鼓動が通常の三倍の速さでバクバクと揺れる。俺の背中を汗がびっしょりと濡らし、瞳はありえない速度で開閉を繰り返した。
「ふーん、未来から、ね。面白い。面白い戯言ね。おかしきことを何度も語るつまらない詩人や歌人はいっぱいいるけど、戯言を言う家人は初めてみたわ」
清は静謐さを醸し出しながら、微笑を浮かべた。月明かりが彼女を青白く映し出し、その微笑はどこか不吉な影を感じさせた。
「その話はあとで聞くとして。はい、ついたわよ。ここがあたしの家。そしてあんたのこれから住む家でもある」
清が指差したのは三メートルばかりの柵。歴史の教科書で見るような屋倉があり、松明の明かりが細々と光っている。門番がいないのが少しさみしいが、都でそんな狼藉をする人間がいない、という何よりの証しだろう。