鴨川の水――座すに能わず、動くに能うが人ならば――
翌日の早朝、忠盛公が帰参の道に入ったのを見計らって清はその前に立ちふさがった。もちろん俺も同行している。ちなみに義朝ちゃんは殿中から出ると早々帰っていってしまった。彼女も自分の父親の醜態を見てしまったのでこれ以上俺たちと一緒にいるのは気まずいのだろう。俺としてもせっかくの親子同士の会話に競い相手の人間がいては本心で語れない、というものだ。
俺?俺はいいんだよ。一応清の家人だし、忠盛公自らが家人に任命してくれたしね。それに、今回の件に一枚噛んでいるわけだし、清が忠盛公とどんな話をするのかを見届ける権利はある。
「父上。此度の宴はいかがなものでございましたか?」
以外なことに清の言葉は落ち着いていた。てっきり、父上がどーのこーのとまた叫ぶのかと思ったが、それなりに感情の制御はできているみたいだ。
「昨夜の宴は初めて見る殿上の世界。それを見ることができた良きものであった。やはり、殿上の人間は常に権謀術数を使い、己の望む政治を実現しようとたゆまぬ努力をしておる」
忠盛公の答えは淡々としたものだった。しかし、忠盛公が殿上人をそうやって評価している、というのは少し意外だ。もう少しマイナスに評価してるのかな、と思いきや彼は殿上人を己の望む政治を実現しようとしている人種だと評した。これは彼自身もそうなりたい、という意思表示かもしれない。大して生きてもいない俺はそう思った。
「それはようございましたな。しかし、父上が評される殿上人とやらは父上を殺そうとしたではありませぬか!それは父上が思い描く『己の望む政治』とやらの邪魔になるのではありませぬかな?」
よく忠盛公の言葉を吟味し、清はしばらくして言葉を吐く。それはあけっぴらに自分が渡り廊での一件を目撃した、というのを知らせるものだった。そしてそれに気が付かない忠盛公ではない。すぐに言葉の理解し、思案するようにしてアゴに手を添えた。
「見た、ということは内裏へと入ったか。それを咎め立てすることはせぬが、果たしてお前は何を見た?私を殺そうとする公家か、またはその先の陰謀か?」
「どちらでもござりませぬ。私が見たのはあのような使い捨てに甘んじる公家衆ではございませぬ」
「では、何を見た」
清は一呼吸置いて応える。
「私が見たのは、國でございます」
「ほう。國とな。してそれはどのような國だ」
「それは今の殻にこもった國にございます。いつまでも外ではなく、中とのみつまらぬ諍いを起こす國にございます。白河の法皇の三不如意に鴨川の水、というのがございますが、それはあの御方とて時代の流れを止められぬ証。しかし、今の國は総出で時代の流れを止めようとあがいておられる。それは、悲しきことにございます」
白河の法皇の三不如意。それは生前、現し世を生きるもののけと畏れられた白河法皇がただの三つ。思い通りにすることができなかった、と語るものの総称だ。一つは鴨川の水、一つは双六の賽、一つは山法師。ただ受け取ればその通りの意味で終わってしまうが、それを彼の治世と比較して見れば意味は大分違ってくるはずだ。あいにくと俺は清のように頭は回らないから言葉でうまく説明することはできない。しかし、清はその中の一つを時代と掛け合わせて表現してみせた。
「それは、真に己の口から出た言葉か?」
「はい。ときに父上は変えられるのですか?この國を」
「私は……私はただ地盤を作るのみだ。この國を変えるための地盤をな」
「変えるのはどなたでしょうか?」
「それを語るのは今ではない。今語ったとてそれはまだ水気の残った干物を喰らおうとすると同じこと。食ってもどこかぼやけた味がするだけよ」
随分とおっさん臭いことを言う。あ、おっさんか。でも的を射ている比喩だな。今ここで「清お前が後継者だ」と言っても清の向上心を削ぐだけだ。
「わかりました父上。引き下がるとしましょう」
清もわかってくれたようだ。俺はほっとして胸をなでおろした。
「……ああ、そういえば父上。最後に一つお聞きしたいことがございました」
「何だ?」
「父上は結局帯刀して行かれたのですか?公家衆に銀色の刀を覗かせたではありませぬか」
「ああ、それか」
忠盛公はおかしくてしょうがないのか、白い歯をむき出しにして自身の飾り刀を清に投げてよこした。受け取った瞬間、清は違和感を感じたようできょとんとしてみせる。そして中身を確かめるために飾り刀を抜き放った。
現れた銀色の刀身はキレイだったが、しかしそれは本物の刃の刀身と比較してどこかキレイ過ぎた。試しに清が刀身に触るとすぐにその違和感に気がついたのか、親指を刀の腹に押し付け、ビッと引いた。すると彼女が親指を移動させた箇所から銀色は薄汚れた木の色になってしまい、彼女の指にはしわくちゃになった銀色の紙だけが残った。
「これは……?」
「銀箔だ。もしもに備えて家貞と三条が提案してくれた」
「三条が?」
驚いた様子で清は俺を見る。
「清盛よ。これもまた、殿上人のやり方というものよ。例え武器を持ち込めぬ場所でも己の身を守る武器を守る手段を用意する。そして常に堂々とし、辱められても恥じることなく己の政務に励むのだ。報いなど求めず、ひたすらに己の政治をする。それが、殿上人だ」
そして、二人の似たもの親子は互いに覗きあうと、同時に吹き出し笑いだした。それは心からの感情の発露で、見ていてとても心地の良いものだった。
「ふはははははははは。父上は、やはり食わせ者でございますな!武士、武士でございます!」
「ならば、お前もこの私に追いつけ!殿上とはお前が思う以上に面白き場所だぞ!」
絶えることなく笑う二人の親子。決して完全な和解とは言わないが、互いのわだかまりは少しは拭えただろう。その達成感はどんな難問を解くよりも甘美で、心から喜べるものだった。
しかし、この二人の親子は知らない。これからさきに訪れるであろう血にまみれた厄災が彼らが笑える世界を奪うことを。
俺だけは知っている。それは知識として。
破滅してしまう未来を




