羅城門前
しばらくの間暗闇が続き、俺たちの体は土管の中を行くように落ちていった。そして土管と表現するからには当然のことではあるが、出口があるのだ。それもこのケースから行くととびっきりひどい出口が。そしてその嫌な予感は的中した。
視界に光が入ってきた、と思えば次の瞬間激しい向かい風が俺の顔に猛烈なタックルをかましてきた。そのタックルは別に痛いわけではなかったが、顔の形状がどこか変な形に変わっていった気がした。上空高度なんメートルだよ、と思わないまでもないこの高度。有り体に言えばこのまま地面に激突すれば俺はただただ死ぬだけのこと。
ていうか、ナカ=トガの話が本当なら俺はもう一度死んでるわけだからこれは人生の二週目?つーか、二週目の人生も転落死とかどんだけついていないんだよ。あー、クソ。死ぬ!死ね、ナカ=トガ。
周りを見回しても飛行機とかヘリとか飛んでないし、俺には羽生えてないし、やっぱりあの浮遊頭部俺のことただ殺すだけだろう!
しばらく落ちてると、眼下に大きな街が見えた。砂漠色の煙が宙に舞う周囲を平地に囲まれた囲碁盤にも似た街だ。街の上方はしかして華やかで下方とは大違いだった。黒瓦の日本屋敷が立ち並び、道は整備されていて、砂漠色の煙も撒き散らされていない。まさに貴族の華やかな上京と下京、外京といったありさまだ。昔からよく見る平安京の情景そのものだ。
あー、これが年貢の納め時か。最後の冥土の土産か。
とすべてを諦めて、流れに身を任せたときだった。ドサン、と柔らかい衝撃が俺の背中を襲った。そして次の瞬間に俺は落下が止まったことに気づいた。
すぐに視線を下に向けると、そこは見る限りが死体の河だった。俺が着地したのは死体の山の上だった。それもまだ死んで間もない、冷たくなっていない死体の山の上にだ。それはさっき俺が見た平安京の下京、あるいは下京とも言える最南端。芥川龍之介の作品で名高い羅城門前だ。小説で紹介されるだけの死骸の臭さと光景の酷さは間違いなく悲鳴ものだった。
「ひっ、」
しかし思った以上の悲鳴は出なかった。代わりに息をすおうとした時にしゃっくりをしてしまったかのようなか細い音が漏れた。ただただ恐ろしいだけの光景。言ってしまえば彼岸と此岸の間にいるような心持ちになっていた。
それもかなりの高さから落ちてきた俺が無傷なほどの死体の山とくればかなりの高さだったはずだ。誰かがここに死体の塔でも作っていたのだろうか?
とにかく降りなければならない。死体を滑り台に見立てて勢い良く滑り降りた。死体スライダーとは中々にひどい使い方だ。
羅城門が間近に見えたが、ひどい有様で二階が半壊していて、汚い服を着た人が何人も割れたお椀をふりながら唸っていた。中にはそれこそ棒きれと形容してもいいくらいにやせ細って、ただ座っているだけの銅像みたいな人までいる。頭を丸刈りにした坊主ですら、死体の中にある。俺を受け止めた死体の山の上には冠を被った亡骸もある。
これが平安時代?
本当に地獄のような時代だな。一刻も早く、どこか安全な、いやまずは茜と言うのと合流すべきだろうか。ナカ=トガが彼女が脳筋担当だとか言っていたしな。
あーでもひょっとしたらもう死んでるかもしれないな。彼女もナカ=トガが空中から叩き落としたわけだし、もしかしたら硬い地面とかにぶつかって死んでいるかも。
「死んでたら死んでたらで、それも困る……gへ」
突如、硬いもので背骨を強打された。そのあまりの痛みに俺は顔をひきつらせた。
「はぁ?誰が死んだだ、このものぐされ野郎。このあたしがあの程度の高さから落ちたくらいで死ぬわけないでしょうが」
どこか幼さの残った憎まれ口を叩いて俺の背骨を強打した張本人は偉そうに背中に体重をかけた。有り体に言えば俺のことを踏み台扱いしていた。
その少女と言うのが、鞘に収まった大太刀を肩に担いだどこかの中学校の制服を着た少女で、短髪黒髪で前髪に鮮やかな赤髪が流れていたなんとも時代錯誤も甚だしい格好の少女だった。制服は胸元に金色の校章が輝いているブレザータイプで、中学生にしてはかなり短いスカートを履いていた。具体的に言えば太ももにかかる程度の長さのスカートだ。まだ幼さの残るその顔つくりはどこか保護欲をそそられた。
胸元は年というのもあってかなり控えめ。それどころかほぼタイラーまである。身長もどこかこしゃまくれていて、まだ成長段階、といった感じだ。
そんなロリに足蹴にされて、ゴミを見るような冷たい目を向けられるだけで俺の全身の血液が急速に加速しだしていた。
「あたしはあんたと違ってそれなりに強いの。あんたみたいに死体のベッドに落ちなくても、高度たったの千メートル程度。大太刀と能力使えばどうにでも衝撃を拡散できるわけ。大体、あんたのその不幸顔が気に入らないのよ。そんなんでこのイフの平安時代を乗り越えられるわけ?」
「あのさその前に俺の背中からどいてくんない?そのまま乗られてると俺の中で何かが弾けそうなんだけど」
「なにそれ、玉袋?あ、いっそここで去勢しとく?どうせ使いみちのないものなら別に失っても怖くなでしょ?」
去勢の趣味でもあるのか、茜は肩に担いでいた大太刀を一部鞘から抜いてみせる。その漆黒のきらめきは太陽と反射し、濃い紫色の刃を俺の瞳に刻んだ。薄い微笑を浮かべながら茜はまるで女王様であるかのように振る舞い、俺は為す術もなく、遠慮します、とか細く答えるのが精一杯だった。
「そ。まぁ、あたしは優しいからね。どいてあげる。ほい」
どこか気の抜けた掛け声と共に茜は俺の背中をドダにして背後へと一回転をし、肩に担いだ大太刀を地面に突き立て、柄尻の上に器用に着地した。
「それで、これからどうする?」
着地するなり俺に聞く限り、彼女はかなりノープランだったらしい。俺の去勢云々というのも冗談だったんだろう。謝って損した。立ち上がりながら深くため息をついた。
「とりあえず、羅城門の中に入るのが一番安全だろうな。今が平安時代のいつかはわからないけど、とりあえず都の中なら外よか治安は守られている。検非違使もいるし、都で蛮行をしようなんていううつけもいないだろうしな」
もし今が平安時代後期、それも1100年代とかだったら武士が都にはいる。検非違使も合わさって二倍の意味で都、それも上京なんかは安全だろう。
「ふーん。ひょっとしてあんたって歴史に詳しかったりするわけ?」
「そりゃ、社会のテストで百点満点以外は採ったことないからな」
「うーわ、出たよ歴史オタク。なんでナカ=トガのアホもこういうなまじ歴史に詳しいのを送るかな。ひょっとして故意に歴史を変えようとしている?バカでしょ。歴史なんて……」
茜はぼやくが、今は無視だ、無視。とっとと羅城門の中に入るべきだ。羅城門が壊れかけで直されていないのなら、今は推定でも980年以降のはず。なら、都への出入りはかなり緩くなっている、はずだ。
「おーい、茜ちゃーん。行きますよ?」
「はぁ?あんたに茜ちゃんとか呼ばれる筋合いないんだけど」
「じゃ、なんて呼べばいいのよ」
「茜様、とお呼び!」
うわ、マジかよこのクソアマ。
「じゃぁ、俺のことも夕霧さま、と呼べ」
「なんでやねん」
「古っ」
「あんたなんて夕霧で十分でしょ。それともクソオナ野郎の方がいい?」
夕霧でいいです、茜様。そんな侮蔑的なあだ名で呼ばれるくらいなら本名で呼ばれた方がましだ。とまぁ、こんなくだらない話をしていると、もう羅城門の前に着いてしまった。
しかし、すぐに都の中に入ることはできなかった。なぜなら、
「おい、そこの二人。ちょっと止まれ。通行手形を見せろ。戸籍表もだ」
明らかに役人っぽい刀を腰に下げた黒冠に止められてしまった。