悠久の人外代表
「ざんねんでしたー!」
暗闇の中、とても陽気な声が聞こえた。それは死を祝福する天使とか、悪魔とか鬼とか天女とか、俺が死んでから会うのかもしれない、と想像していたものではまるでなかった。むしろクイズ番組で回答者がミスをして煽る司会者あるいは出題者のような、そんな言葉の軽さがあった。
触覚もあるし、嗅覚もちゃんとあるし、何より俺自身が体がある、ということを認識していた。手を動かそうとすればちゃんと動かせるし、足も引き寄せられる。地上五階から思いっきり垂直降下をしてまるで痛みもない。むしろ体が軽く感じる。例えるなら豪華マッサージを気の済むまま受けて、その後に薬膳風呂に浸かって体中の血の巡りがよくなったような心持ちだ。
状況を確認しようと目を開けると、そこにはぼくがこれまで見たことのない変な塊が浮かんでいた。
それは某超有名米国産宇宙戦争物語の四つ腕将軍の頭部左半分と、黒い半球状の頭部が合体したかのような物体で、半球状の頭部には白い正円の瞳、長方形の口が付いている。反対側の頭部には人間らしい目、そして細長いかっぱにも似た頭部だ。
「いやぁ、本当に残念だったねぇ。うん、君は運が無いね。なにせ、死なずにここに送られてきちゃったんだから!いやはや、それにしてもひどい不幸顔だねー。映像で見た時はもうちょっとイケメンに見えたけど、映像の精度が落ってしまっているのかな?」
その浮遊頭部は口がないのに陽気、軽快な口調で軽口を叩く。どこでどうやって発声しているんだろう、とどうでもいいことを考えてしまうくらいに今の状況がまるで飲み込めなかった。
周囲を見渡すが、白いドーム状の場所にいることくらいしかわからない。ドームのつくりは西洋の遠近法を駆使して書かれたアンドレア・ポッツォの著書、『建築と絵画の遠近法』という本に描かれているドームによく似ていた。あるいはそれをイメージして造られたのかもしれない。
ドームの中心にはかまくらぐらいの大きさの白い山がせり上がっていて、山を取り囲むようにしていくつもの立体映像が浮いている。それらは時々ブレながらも映像を鮮明に映し出し、いろいろなひとの姿を見せていた。
「これは……?」
「これが気になる?うん、そりゃ、そうだろうさ。でも……教えなーい!なぜなら、君には知る必要性がないから、だ!」
うわ、殺したい。このウザイ浮遊頭部を棒か何かで思いっきり叩き潰してやりたい。
「だがしかし!ぼくの正体くらいは教えてやってもいい。そして、君をなんでぼくが殺したのかも教えてあげてもいい!」
おい、今なんて言った?
たった今目の前の浮遊頭部は恐ろしいことを口走った。俺を、殺した?浮遊頭部の正体なんかよりもそっちの方が死ぬほど気になる。いや、殺されたのならもう死んでいるのだろうけど。
必死の形相になっているであろう、俺の顔を見て浮遊頭部はククク、と低く笑う。その人を食った様な態度が余計に俺を苛つかせた。
「さて、まず何から話そうかな?ああ、そうだ。まず君を殺した理由から話そうか。でもこれだとお話がすぐに終わってしまうよ。どうしよう?……まぁ、いいか。
んとね、君をね、殺したのはぼくなのよ。で、なんで殺したかって言うとね。それを説明するにはこれまた別の説明が必要なんだよ」
浮遊頭部は楽しそうにドームの中を漂い、さらに続ける。
「まず、ぼくはナカ=トガ。悠久の人外代表さ。ちなみに人間じゃないよ?君たち地球人のややあやふやな言葉で言うなら、宇宙人、と言ったところかな?ぼくがどこの星で生まれた、とかそういうのは言わないよ?だってどうせ地球人があと一億年天文台の望遠鏡で覗いたって、ぼくの母星は見つからないだろうからね。
そんなぼくの今の趣味は各知的生命体生存惑星への歴史干渉!いやー、こぉれが面白くてね。初めのうちはただの暇つぶしだったのに今じゃ趣味さ、趣味!
そんなことを五百年くらいしてたらふと思ったんだよ。あれ?これひょっとしたらイフの時間帯にも人送り込めばもっと面白いことになるんじゃね?ってさ!試しにグノヴァっていう太陽系から遠く離れた別の宇宙軸の惑星のイフの時間帯にその星の正史の人間を送ってみたらあら不思議。イフの時間帯だって言うのにさらに運命は予想外の方向へと向かって行っちゃったのさ。
本来なら死ななければいけない人間が、あるいは造られるべきでない素材が作られたことで、その星はこれまでの正史とは打って変わって屈指の数奇さを引き出したさ。見ていてぼくは笑ったものさ。その運命を変えた生物も、何もかも、ぼくの長い長い時間の暇を潰してくれたよ」
ナカ=トガと名乗った浮遊頭部は自慢げに語るが、その中で俺には理解できない単語が何個も出てきた。悠久の人外代表だったり、宇宙軸だったり、イフの時間帯だったり、とか一般の高校生の俺には理解のできない言葉の数々だ。それに目の前の浮遊頭部が歴史に干渉しているしている、と聞いたときも驚きだ。それが本当なら俺がこれまで学んできた歴史もこの男の手先が改変したかもしれない歴史ということになる。
そんな文字通り神様みたいな人が俺を殺した?じゃぁ、あの時の地震も、あるいは俺が三限目をふける、というのも全部こいつが仕組んだことだったのか?
相手の全知全能性に驚愕を隠せなかった。俺みたいなちっぽけな人間が会うことすら叶わない、いわば超越した存在なのだから。
で、その超越者様が俺に何をさせる?他の人たちみたいに俺を地球の時間帯にでも送るのか?
「さて、それじゃぁ本題に移ろうか。君にはね、地球という星のイフの時間帯で少しあがいてもらいたいんだ。あー、もちろん。君が嫌だ、と言っても拒否権は行使されないよ?君はぼくが望む時間帯で遮二無二、七転八倒を楽しんでくれたまえ」
「あの、だとしてもいきなり第二次世界大戦中のドイツとか、黒死病が蔓延するヨーロッパとかはやめてくださいよ?そんなところに飛ばされたら多分即日即死ですよ?」
「莫迦だなー。そんなところに放り込んだって歴史という名の運命は方向転換しないでしょう。ドイツはちょび髭が支配してるし、ヨーロッパは宗教の力が強すぎるわー。さすがにただの人間である君をそこまで過酷な環境には置かないよ」
笑ってナカ=トガは否定してくれた。もっとも、声だけしか笑っていなかったから心の中ではどう思っているのかわかったものじゃない。実はそんな人外魔境に俺を送ろうとしていて、俺が口にしたからとっさに否定したのかもしれない。
「君が送られるのは……あー、地球の日本の平安時代、かな。そのイフの時間軸。わかりやすく言えば、もしその人物がAならば、という仮定のもとに成り立っている時間軸さ」
気楽言うなぁ。そりゃ、全知全能の神様みたいな存在からすれば大したことではないのだろうけど、平安時代というのはこれがまた恐ろしい時代だ。
あの時代は宗教からの別離を目指した一人の天皇から始まり、権力を武士へと明け渡した次代への引き継ぎという大役を担った時代だ。その歴史は長く、そして謀略、淫楽、暴虐の限りが尽くされたとても平安と呼ぶに呼べない凄惨な時代だ。国内では飢饉、疫病、怨嗟が蔓延し、宗教すら台頭を許されず救いをすべて失ったまさに現世における地獄とも形容するに値する日本史上類を見ない暗黒時代だ。
そんな時代に俺を送る?全くもって冗談じゃない。すぐに取り消してもらおう。
「辞退しますね。俺はもっと平和な時代に送られたい」
そもそも欲を言えばこのままあの意識の闇の中に溶けてしまいたいくらいだ。なんで別の地球のイフの時間軸などに俺が送られねばならんのだ。
「安心しなさい、君一人が送られるわけじゃない。もう一人くらいは送ってあげるさ。ほらー、茜ちゃーん」
「うっさい!死ね」
突如黒い刀身の大太刀が頭上から降ってきて、ナカ=トガの頭上へと振り下ろされた。しかし、その大太刀をナカ=トガはさっと鮮やかに回避し、頭上を見上げた。
刀の柄に人の手が見えていて、それは白く、また細かった。
「このクソ野郎!何がほらー、茜ちゃーんよ。この茜様を長いあいだ閉じ込めておいてそれ?あんた頭の中に虫でも湧いてんじゃない?このあたしを酷使しようなんていい度胸してんじゃない!」
大太刀を振り降ろして登場した少女は太刀をナカ=トガに向けて喚き散らす。その剣幕にナカ=トガもちょっと困ったように肩をすくめていた。(そんな気がした)
「もぉ、怒らないでよ。こちらがこれから君のパーチナーとして一緒に働く、えっと君の名前なんだっけ?」
んなことも知らねーで俺のことを殺したのかよ!
「夕霧。三条夕霧」
「ふーん。じゃぁ、夕霧くん。このちょっと小生意気な子供が雨宮茜ちゃん。平安時代に送られたら彼女と一緒に協力して生活してくれたまえ。彼女は体感時間を意図的に伸縮できる能力があるからね。きっといい護衛になるよ」
「はぁ?なんでこのあたしがこんな人を喰ったような顔してるヤツの護衛なんてしなきゃなんないわけ?」
「そう言ってやるなって。どのみち、茜ちゃんは喧嘩は得意でもおつむが……」
「死ね!いまここで五臓六腑撒き散らして溺死しろ!」
なるほど、おつむが想像以上に悪いな。清少納言の日々の愚痴が書かれたノートレベルの頭の悪さだ。呆れてしまう。
「というわけで!これ以上喚かれても困るので!そろそろ飛ばされてくれるかな?」
はい?
「『落ちろ』」
その一言で、俺と茜とやらの下に黒い穴が開き、当然のごとく俺たちの体はその穴に吸い込まれた。
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