ギムルの場合
ヴェホル家の温室ではホースで水やりをしようとグレッグが準備していた。
水やりの仕方を間違えると、すぐに枯れてしまう繊細な薬草たちが植えられている温室はグリフィカの渾身の作品だ。
「だぁ! そんなやり方をしたら枯れるぅ!」
「おっ?」
「これは朝に霧吹きで葉っぱを湿らす程度!」
「おぉ!」
「そっちは一か月に一回だけ!」
「くくく、調子が戻って来たな」
ギムルが温室の様子を見に来る時間に合わせてグレッグは水やりをしようとしていた。
必ず止めてくると予想して。
「うん? まだ気にしてんのか? グリフィカに毒を盛ったこと」
「俺・・・」
「気にすんな。だいたいアイツが毒を飲んだくらいで死ぬタマかよ。致死量の毒を盛った食事を出しても『おいしゅうございました』とか言ってくんだぜ」
「だけど・・・」
「お前はグリフィカが認めた後継者だろ? 俺は褒めてんだぜ? 毒を盛ったこと」
「はぁ?」
どこの世界に毒を盛ったことを推奨する者がいるのか。
ギムルは信じられないとグレッグを見た。
気にしないようにと言っているだけかと思ったが、本心からのようだ。
「まぁ座れよ」
「・・・」
「毒を盛る行為そのものは褒められた行為じゃない。犯罪だな」
「・・・っ」
「だけどな。ギムル、お前は自分で選んだんだろ? 毒を飲ませるってことを」
グリフィカからギムルが毒を盛ったときの状況は聞いている。
姉のパーシェと違い動揺することなく毒を盛った。
さすがに毒でグリフィカが倒れたと思ったときには動揺していたが、それまでは気配を悟らせなかった。
「毒を飲ませるってことは殺すことだ。それでも毒を盛ることを選んだということは、自分の中で何か譲れない物と天秤にかけた。違うか?」
「・・・っ」
「お前は毒を盛って人が苦しむのを見て楽しむヤツじゃねぇだろ。そんなヤツならグリフィカが後継だと指名するはずがないからな」
「っぅ・・・・・・うっひっく」
結果的にグリフィカは死ななかったが、毒を盛ったら死ぬということは頭で分かっていても実際に見るのでは違った。
譲れない物のために選ぶ強さを持っているギムルは、まだ戻れると確信していた。
「俺ら薬師は薬師であるために絶対に忘れちゃいけないことを教えられるんだ。それは責任と覚悟を持つこと。人を相手にする以上は何が起きるか分からない。新しい薬だと、その恐怖は計り知れない」
ギムルは、泣いてはいるがグレッグの言葉を聞いている。
「人を助けるための薬で人を殺すかもしれない。俺たちはその覚悟を持って薬師をしている。そんな覚悟、他人任せにできるはずがねぇだろ。お前は自分の目的のために、自分で行動した。それは薬師であるために必要なことだ。それを忘れたら、ただの人殺しだ」
「うっ・・・うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「今は泣け。泣けんのは子どものうちだ」
ギムルの泣き声が小さくなってきた頃に温かいお茶を持ってヴェホル家の当主がやって来た。
子どもが道を踏み外さないように見守ってきた。
「いやぁ懐かしいね。毒を盛って泣くとか十年ぶりくらいかな?」
「親父」
「ギムル、君のしたことは消えない。だけどね、やり直すこともできる。忘れなければ大丈夫だよ。だいたいグリフィカは死んでないし」
「それ、親が言うことかよ」
「グリフィカの名前は、かの有名な不死鳥のグリフォンから取ってるから。殺しても死ななそうな娘がいいねってアンジーと話してて決まったんだ」
「それはフェニックスだろうが、まぁグリフォンも王の象徴だから死なないかもな」
間違った思い込みから名付けられた妹に少しだけ同情したグレッグだが、本人の名前も適当な由来だったりする。
産まれた年に人気だった喜劇王の名だ。
「だいたいね、子どもが一回やそこらの失敗で泣いてちゃダメだよ。グレッグだって何回、毒の盛り方に失敗してグリフィカに見破られてたか分からないよね」
「そこかよ!」
「そこだね」
「俺らヴェホルが毒を盛られたくらいで気に病むはずないだろうが、それに帝国に師匠がいるんだろ? 怒られるんならそっちに怒られろ」
グリフィカに毒を盛ったことは揺るぎない事実で、そのことを抱えながら生きていく。
グレッグに付き添われながらギムルは帝国に戻った。
師匠に全てを話し、そして拳骨を食らった。
「このっバカモンがぁ」
「ごめんなさい」
「だいたい死ななかったから良いちゅうもんじゃないぞ。お前はまだまだ半人前で子どもで、もっと大人に頼れ。本当に、一線を越えんで良かった」
「ししょう、ごめんなさい」
この場にグリフィカはいない方がいいとしてグレッグが最後まで説明した。
もう一度、最初から鍛えるとして師匠はギムルに薬と毒の危険性の話から始めることにした。
「このたびは不肖の見習いが、済まなかった」
「頭を上げてください。妹に何もありませんし、わたくしどもは毒のヴェホルです。気にしないでください。グリフィカもきっと同じことを言うでしょう」
「だが、それは結果に過ぎん。ギムルが留まれたのもグリフィカだったからのこと」
「そうですね。それは否定しません。ただギムルは留まるべきだったからグリフィカに出会った。そう思っています」
いつものように薬を求める年寄りを相手にギムルは奮闘している。
グリフィカが関わらなければ、そんな毎日が続いていたのだとグレッグは考えていた。
「いつか、ギムルが薬師になりたいと思ったときはヴェホル家は歓迎します」
「毒のヴェホルには、やらん」
「では、他の薬師でもいいですよ。今回のことでギムルの可能性を知った薬師たちが動き始めていますから」
薬師の繋がりは目に見えないだけで強い。
グリフィカがヴェホル家の後継にと言ったことは他の薬師にすぐ伝わる。
ギムルの争奪戦が起きるのは、そう遠くない未来だった。
薬師初の複数の流派の知識を持つ薬師が誕生した。
だが、本人は生涯を小さな診療所で町の人を相手に日々、薬を作り続けた。




