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イライアスが答えを出すまでグリフィカは黙って座っていた。
急かすこともしないのは、どんな結果でも受け入れるという意思表示のようでもあり、諦めにも似ていた。
「貴女が言うように陛下は今の話を本当だと言い、信じるでしょう。私も本当のことだとは思っています」
「それで十分です」
「・・・尻尾を踏む手伝いになれば良いのですが、これをどうぞ」
差し出したのは古びた日記帳だった。
装丁はどこにでもあるもので、特に目立ったものではなかった。
だが内容はありふれたものではなく、グリフィカにとっては取り扱いに困るほどのものだった。
「これは・・・・・・」
「五十年前の法典と同じ棚にあった日記です。ところどころ読めない言語があるので、何かの手助けになるかと思いました」
「手助けどころではないですわ。これは、ドゥーフェ・ヴェホルの直筆の日記です。しかも研究内容の記録も兼ねたもの」
読めないという言語は薬師だけが使う薬の暗号だ。
各薬師の家で異なり、グリフィカもすべて知っているわけではない。
有名どころのリブル薬師のところは読めるが、その他となるとケルシー家のすら読めなかった。
「これは、ゆっくりと読みたいですわね」
「明日からは貴族たちも忙しくなるので、顔を合わせることもないと思いますよ」
「忙しくなる?」
「社交界初日ですから」
高位貴族である公爵家から順番に下の者を招待し、財力を見せつけることと顔つなぎに忙しくなる。
その準備で今はグリフィカどころではないだろう。
もしかすれば、グリフィカを招待できないか考えている貴族も何人かはいる。
「それと、先代が遠征していたときの人物の洗い出しが終わりましたよ」
「早いですわね」
「実際に先代と顔を合わせられる立場の者に絞って調べましたから。それでだめなら範囲を広げます」
あまり下級兵だと近づくだけで怪しまれるし、ある程度の立場は必要だっただろう。
その中には、軍医としてスヴェルもカイウェルもいた。
「中長期的に毒を盛っていたということで、一年以上、遠征軍を離れていない者としましたが問題はありますか?」
「いえ、正しい判断です」
「詳細は今夜、陛下と共にお話します。他に何かありますか?」
「いいえ、今は情報を待ちます」
「そうですか。私からひとつよろしいですか?」
「わたくしが答えられることならどうぞ」
「隠し通路はどうやって見つけたのですか?」
このまま話を終わらせてはくれないようだった。
ゆっくりとグリフィカは伸びをした。
「百聞は一見に如かず」
「はい?」
「どうやって見つけたか実践しますわ」
資料室に出た階段に降りると、燭台の頼りない灯りで壁を照らした。
そこにはナイフのようなもので記号が掘られていた。
「ここに三角形が掘られてますね」
「えぇ、つまり上に出口があるということです」
「これは誰が?」
「城に忍び込もうとした暗殺者の誰かが付けた印です。知識の伝授というものは王族や薬師だけではありません。暗殺者もまた次代に引き継ぎます」
「ヴェホル家に出入りしていた暗殺者の方が教えてくれたのですか?」
「はい。第二王子の婚約者に決まったときに有事の際に逃げられるように、と」
王族に産まれたのなら隠し通路は教えてもらえる。
だが、外から嫁いだ者は教えてもらえない。
最悪、時間稼ぎの駒として扱われる。
「こんなところで役立つとは思ってもみませんでしたわ」
「役立てないでください」
「何事も需要と供給です」
「大人しく部屋で文献の解析をしていてください」
「正直なところ、先代皇帝陛下の原因は分かっているのです」
兵たちに何もなく、先代皇帝だけが鉱毒に悩まされ、知らぬうちに鉱毒を飲む方法など限られている。
その予想が当たれば、犯人はいるとも言えるし、いないとも言える。
「先代皇帝陛下の野営の近くに鉱山はありましたか?」
「えぇ、使われていない鉱山がありましたね」
「おそらくは、それが原因ですわね」
グリフィカの予想が現実を帯びてきた。
それは偶然であって欲しいという思いは捨てられない。
「今夜、執務室でお聞きできますか?」
「はい。調べていただくことはありますが、ひとつの仮説はお話できますわ」
部屋に戻るとグリフィカはドゥーフェの日記を開いた。
モルビット王国を追われたあとのことだから誰も知らない。
「『この日記は後世に残すものだ。私は後悔はしていない。毒の研究に死はつきものだ。ドゥーフェ・ヴェホルの研究に関われたことを誇りに思うべきだ』」
あれだけの罪なき人たちの命を奪っておいて反省も悔恨の念も持っていない。
ある意味では毒の天才なのだろうが、グリフィカからは毒に魅入られただけの哀れな薬師にしか思えなかった。
「それで、お祖父様は言っていたのね」
グリフィカたち孫に何度も祖父は『毒で即死させるのは三流、毒で殺すのは二流、一流は毒で人を殺さない』と言っていた。
その教えに従って毒で人を殺したことはない。
「『面白い子どもを見つけた。物覚えもいい。きっと私の後継になるだろう。あの子なら私が完成させた毒を使いこなせるだろう』」
ヴェホル家が五十年かけて全貌が分かっていない毒について、日記に書かれた子どもは教えられているかもしれない。
それは脅威でしかない。
毒だけでも頭が痛いのに、天才と言われたドゥーフェ・ヴェホルが認めた後継はグリフィカと同等の知識を持っている。
「誰が“あの子”なのかしら」
名前は書いていない。
ただ本当に優秀なのだというのは分かった。
何度も出てきては次に何を教えるのか楽しそうに書かれている。
「・・・ドゥーフェは本当に天才だったのね」
途中の研究の結果は既存の毒の解毒方法の開発だった。
グリフィカが思いつかない方法であったり、毒は毒で消すという方法だったりした。
「生きていたら会って話をしてみたかったわ」
グリフィカも天才と言われているが、ドゥーフェには敵わない。
だからドゥーフェが作った毒を解毒できないでいた。
ドゥーフェの日記というよりも“あの子”の成長日記のようなものだった。
 




