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グリフィカの希望通り、過去五年の献立をまとめた本が用意された。
調理方法も一緒に書かれているために膨大な量になっている。
それを一ページずつ確認し、原因となるものを突き止める。
「流石に遠征に出ている間の詳細な献立は難しいわね」
戦争をしている間に食べた物は簡単に記載されている。
記録としての意味合いが強いが、物資が滞ったときに普段は気にしない病を発症することもある。
人命のために必要な記録でもあった。
「・・・別に脚気になりそうな献立でもないわね」
戦地では脚気に苦しむ者が多く出る。
これは船乗りも同様だったが、今では対策も整っている。
「これは骨が折れそうだわ」
すっかり夜も更けて蝋燭の明かりだけで読むのは辛くなってきた。
窓には月と星が輝いており深夜であること示している。
グリフィカは蝋燭を消して音を立てずに廊下に出た。
ファーディナンドの部屋とグリフィカの部屋は離れているが、一度道を覚えれば問題はない。
「さてと、見張りはいないわね」
おそらく先代が毒殺されそうだったと知らされて皇帝の方へ見張りを増員させたのだろう。
その分、グリフィカの監視は弱くなっていた。
ヴェホル家に出入りしていた暗殺者から足音と気配の殺し方を教わっているグリフィカは誰にも見咎められることなく、ファーディナンドの部屋に到着した。
流石に扉の前には兵が立っている。
「兵を昏倒させる技術は教わっていないわね」
近くの部屋に入るとバルコニーに出た。
壁伝いに行けばファーディナンドの部屋に入ることはできそうだ。
下を見れば見回りの兵がいるが上には注意を払っていない。
「ただ壁を踏み外せば落ちて死ぬわね」
方法として教わっていても実践できるほどの筋力はない。
間違いなく失敗して地面に激突して終わる。
残るは屋根に登ることだが、こちらも滑ったら終わりだ。
「次は兵の交代・・・もしくは隠し扉、よね?」
どの国の城も有事の際の逃走手段として隠し通路が用意されている。
素人目には分からないが、名うての暗殺者ともなれば見つけられるらしい。
そして、その見つけ方は教わっていた。
「この部屋・・・誰の部屋?」
綺麗に掃除されており、誰かが使っているようにも見える。
だけど、違和感は壁の本棚だった。
本は持ち主の好みが反映される。
「さすがに百科事典だけを並べる人はいないと思うのよね」
よく見ると本棚の枠に窪みがあった。
上手く模様で隠しているが、そこを支点に押すと回転した。
予想通りに隠し通路があり、ご丁寧にランプとマッチが用意されている。
手早くランプに火を灯すと本棚を元の位置まで戻した。
「さてと、皇帝陛下の部屋の方向は、あっちよね」
隠し通路は万が一、敵に存在を知られても大丈夫なように迷路になっていることが多い。
だが、グリフィカは迷うことなく進んで行く。
「古い隠し通路だから助かったわね」
隠し通路は侵入者が最も使いやすい経路でもある。
見つけてしまえば、あとは中の状況を調べればいい。
そして仲間内に分かるような暗号を残す。
その暗号はいくつかは解読されており、現在では使われていない。
「さて、ここね」
その暗号すべてを隠し通路から消すことは不可能だ。
見つけられないように巧妙に隠すのだから、いくつかは残っている。
それをグリフィカは探し出し、辿った。
ランプの灯を消して、隠し扉を音を立てないように開けた。
予想通りにファーディナンドの部屋で、すでに寝ているようだった。
「・・・・・・っ」
「・・・何のつもりだ?」
グリフィカの喉元に短剣を突き付けてファーディナンドは低い声を出した。
短剣があることを気にしないグリフィカは小さく首を傾げる。
短い沈黙のあとファーディナンドは再度、同じ問いをした。
「もう一度、聞く。何のつもりだ?」
「何って、嫌ですわ。この状況で淑女に聞くのは無粋というものですよ」
「この状況? グリフィカ嬢が私の首を取りに来たとしか思えないが?」
「えっ? この状況って夜這いではありませんの?」
何か行き違いがあったことは分かり、ファーディナンドは短剣を下した。
一体、どこの暗殺者が来たのかと思い、気配が近づくまで待っていたが、来たのはグリフィカだった。
「はぁ、いろいろ確認しないといけないことがあるようだが、まずは私の上から下りてくれ」
「分かりましたわ」
ファーディナンドの体の上に乗っている状態のまま対峙していた。
グリフィカは手近な椅子に座りファーディナンドの言葉を待った。
「夜這い、と言ったな」
「はい。わたくしは皇帝陛下の側室候補として参りましたから手っ取り早く既成事実を作れば疑われることもないかと思いまして」
「待て待て待て。側室候補?」
「はい。違いますの?」
ファーディナンドは薬師の派遣は依頼したし、それが叶えられない場合は武力行使も考えているとは伝えた。
だが、側室にということは一度たりとも言っていない。
「グリフィカ嬢」
「はい」
「何と言われて来たんだ?」
「まずはユリスキルド帝国より薬師の派遣願いがあったと、そして王妃様がおっしゃるには側室を考えているだろうとのことでしたわ」
おそらくは王妃の考えをグリフィカが鵜呑みにしたことが原因であり、王妃はグリフィカが側室になれば帝国との繋がりが強固になると考えてのことだ。
そんな事情が手に取るように分かってしまいファーディナンドは頭を抱えた。
「そう言えば、どうやって隠し通路を見つけた?」
「それはヴェホル家に出入りしていた暗殺者の方が教えてくださったのですよ。隠し通路の見つけ方や歩き方を」
「それ、絶対にイライアスに言うなよ」
「もちろんです。言えば即行で首を刎ねられますもの」
グリフィカとて命は惜しい。
ファーディナンドに短剣を向けられたときに動じなかったのは殺気というものを感じなかったからだ。
薬師という立場上、力づくでも言うことを聞かせようとする者は後を絶たない。
「今夜は遅い、部屋に戻れ」
「そうします。側室候補をお求めではないようですから」
「私は結婚はしない」
「でも跡継ぎは必要でいらっしゃるでしょう?」
「そんなもの皇族の血を引くなら誰でも良いだろう」
「そういうものですのね。政治には口出しをするつもりはありませんわ。それでは、おやすみなさいませ」
来た時と同じように隠し通路を通って誰にも見られることなく部屋に戻った。
イライアスに言えば、グリフィカへの疑いがようやく晴れたところなのに元の木阿弥になる。
だが、あの侵入する技術は脅威ではあった。
「・・・恥じらいというものはないのか?」
色仕掛けで命を狙われたこともあるが、グリフィカには夜這いをするという意味とその先を理解しているのかファーディナンドには判断ができなかった。
すっかり目が覚めてしまい眠ることを諦めて夜明けを待った。




