後の祭り~プロローグ~
久しぶりに、あの瞬間を見た。父を殺す瞬間である。
大学生になり、一人暮らしをするようになってからの事だった。それも、いつもの想像ではない。
今回は〝夢〟だった。
ナイフから滴り落ちる血の感触が、妙に現実味を帯びていた。生ぬるい温度を感じて、跳ね起きると、両手に大量の汗を掻いていた。
夢の中で、うつ伏せで倒れたままの父がそこにいた。その周りには、血の海がフローリングの床に広がっている。
それを眺めながら、ある事を思い出そうとしていた。どうやって父を殺したのか、という事だ。
だが、おかしい…。どうしても、思い出せない。どうしても、殺した後より、その前が思い出せないのだ。
結局、夢の中では思い出せず、起きた後もしばらく考えていた。だが、駄目だった。
必死になって、天井を見つめてみたりしても意味が無かった。
こうなれば、殺したきっかけすらも定かではない。
彼は、程なくして考えるのを辞めた。
そして、それから間もなくの事だった。
彼が、警察に逮捕されたのは…。
彼には、殺人容疑がかけられた。それも、一人ではない。複数人である。
成人男性は一人。他の三人は、幼い男の子ばかりだった。彼は、世間から猟奇的な殺人犯として、その名を知らしめた。
事の始まりは、彼の家の裏庭で男性の遺体が発見された事だった。土の中から出て来た遺体は、四十代~五十代と見られる男性で、死後数か月は経っていた。
損傷も酷く、胸から腹部の辺りにかけての広範囲に、数十か所の刺し傷があった。
遺体の身元はすぐに分かった。それが、彼の実の父親だったからである。
裏庭は、彼の実家の真後ろにある雑木林だった。愛犬と散歩中だった近所の住民が、偶然発見したのだ。
発見された場所から、彼にはすぐに逮捕状が出された。逮捕された後、家の中を調べてみると、証拠品と思われる物がフローリングの床下から幾つも出てきた。
彼は大学の構内で逮捕された。大学一年の夏の頃だった。
テレビのニュースや、報道では連日のように彼の事を取り上げた。
彼が注目されたのは、その若さからは考えられない程の異常性だった。
彼は、何も覚えていなかったのだ。人を殺した事も、ましてや殺した犠牲者の顔もだ。
身に覚えのない容疑に、彼は否認を続けた。
だが、凶器に使った包丁からは、彼のDNAが検出された。最初から罪は確定していた。
彼には、精神鑑定がされる事になった。
私はその時、彼を鑑定した医師である。
彼の名前は、杉崎進。当時十九歳。
取り調べで、彼は実の父親から虐待を受けていた事を明かした。
彼の体にも、それを物語るものがあり、無数の古傷がその壮絶さを証明していた。
母親は、父親からの日常的なDVを受けていた。その為、杉崎が五歳の頃に離婚。その後は、父親と二人暮らし。
杉崎は、母親に引き取られる事は無かった。
母親とは、それ以来会っていない。
当時、世間からの同情の声も多くあった。勿論、大半は批判の声である。
だが、過去にこれだけの殺人を犯した者の刑が軽くなった事は無い。未成年とはいえ、死刑は免れないだろう。
警察の追求にも、彼は淡々と顔色一つ変えずに話していた。それも、まるで他人事のように…。
その常軌を逸した態度は、皆を唖然とさせたらしい。しかし、決して彼は頭のおかしな人間という訳では無い。
彼は、とても頭のいい人間である。私の診立てだと、事件当初も責任能力は十分にあったと考えられる。
それなのに、学生時代の成績は常に中の上を保っていた。他人からの干渉を避ける為、目立たない自分を演じていたと考えられる。
彼は、他との違いを認識していた。だからこそ、意図的に制御していたのだ。
慎重で大胆。なおかつ、衝動的で冷静。
常にその正反対のものが、心の内でせめぎ合っている。それが、二重人格にも近い様な闇を生んだと推測した。
そしてその兆候は、幼い頃から表れている。
幼稚園の頃から、彼は虫を殺す事に没頭していた。他の子供達が、遊具や玩具で遊んでいるのをよそに、それらに見向きもしなかった少年が彼だったという。
彼の一風変わった子供時代は有名で、当時の幼稚園の園長は、その話を週刊誌の記者にも話している。
その後の捜査でも、彼を知る人物の何人かの話が調書に記載されていた。
まず、中学の時に同級生を教室のベランダから突き落とそうとした事。それは、同じクラスだった平野という青年が証言している。
―あいつは、普通じゃない。いつか、こうゆう事をやると思っていた。―
平野という青年が語った証言の調書には、最後にそう書かれていた。
これらの事からも、衝動はどんどんエスカレートしていった事が伺える。
彼は、中学校まで友達がいなかった。だが、高校生になった時、転機が訪れる。
真山和義。彼の友達の名前である。
彼は、今年の六月まで昏睡状態だった。事件が発覚する丁度、一か月前までだ。
原因は、杉崎に神社の階段から突き落とされた事だった。当然、この一件も殺人未遂の事件だが、当時は大ごとにはならなかった。
目撃者もいなかった事と、夕方の人気の無い時間帯だった事。
その為、階段から足を踏み外した事による〝事故〟という形で片付けられた。
彼は目覚めた時、杉崎の事をこう言った。
「杉崎と僕は、生い立ちも価値観の全てが似ていました。けれど、今思えば…〝同じ〟だと思っていたのは、僕だけだったのかもしれません。」
杉崎の友達だったという彼に、杉崎に対する敵意はもう無かった。
だが、彼は少し残念そうにこう続けた。
「僕は、ずっと普通の人間になりたいと思って生きてきました。でも、彼にはその感覚すらなかったみたいだから…。」
彼の証言は、杉崎という人物を知る上で数少ない重要な証言となった。
一月某日。二人目の犠牲者が出た。
三橋健太君。当時七歳。
ショッピングモールで、母親と買い物をしていた小学一年生の男の子だった。
少年の母親はすぐに警察に通報。捜索もすぐに開始されたが、少年は見つからなかった。
迷子になったのは昼過ぎの事。母親が、少年を叱ったのを最後に少年はいなくなった。
その二か月後、三月某日。また、三人目の犠牲者が出た。
新井広斗君。当時九歳。
小学三年生の男の子。友達と別れ、近くの塾に行く途中で行方不明になった。
週に三回、決まった時間に通っていた為、通いなれた道で起きた出来事だった。
そして、そのまた三か月後。
六月某日。川村壮太君。
当時七歳。小学二年生、最後の犠牲者になった男の子である。
学校帰りに寄った、近所の公園で目撃されたのを最後に行方不明となった。
両親ともに共働きの家庭だった為、公園で時間を潰す事はよくあったのだそうだ。
杉崎は、この三人の少年の遺体については、父親の時とは違う方法で処理をした。
頭、腕、足、胴体は、全てバラバラにして自宅の庭に埋めた。しかし、少年達の目だけはホルマリン漬けにして個別に保存した。
保存先は、自宅のフローリングの床下。
そこは、外れるようになっていて、一メートル代の板を数枚程取ると、その下は空洞になっていた。
そこに、少年達の目玉が入った、ホルマリン漬けの透明な瓶が三つあった。
理由は、未だに分かっていない。動機も未だに不明な点が多い。
だが、杉崎は遺体を庭に埋め、床下に目玉を隠すと殺人の記憶を消した。部屋から痕跡が無くなると、何事も無かったかのように眠りについた。
だから、せっかく保存した少年の目を見る事は、その日以来無かった。
思い出したのは、取り調べの最終日。ホルマリンの瓶の写真を見た時だった。
「…猫じゃない。」
彼が、最初に発した言葉である。
そこで初めて、彼はそれが〝人〟だったという事を思い出したのだ。
事件から、一年。彼には死刑判決が下った。
法廷で、刑が言い渡された時、彼からの謝罪の言葉は無かった。
ただ、一言…。
「恐怖と高揚は似ている…。」
彼は、そう言って法廷で笑った。




