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三章31 眠る息子と見舞う父


 「あたし、明日は普通に登校するね」


 健吾の容態は安定しているがすぐに目覚める様子はないため、三人は一度帰宅して休息を取ることにした。健吾の病室に持ってくる荷物の準備をする必要もあるし、家事もしなければならない。病院を後にし、敷地を帰路に向けて歩く最中、かがみが誰に向けるともなく口にした。


 「いいのか」


 何がいいのか、口にした穹良にもよく分からなかった。おそらく、健吾の傍に居なくて不安ではないのか、と訊きたかったのだが、その原因を作った自分にはっきりと言葉にして訊ねる資格はないという思いが、質問の意図を曖昧にさせていた。


 だがかがみは、穹良の質問の意味を正確に受け取っていた。夜空を見上げ、軽く目を伏せながら、諦めに似た心情を言葉に乗せる。


 「こういう時だからこそ、普通を演じなきゃ。今度はあたしが、健吾の居場所を守る番だよ。テストもあるしね」


 かがみの言っていることは正しかった。今回の事件がどのように報道されるかは分からないが、万が一半竜が起こした事件だと報じられた時に、関係者だと思われるのは好ましくない。被害者を報じる際にかがみの名前が公表される可能性はこれまでの報道の傾向から限りなく低いと思われるが、事件の次の日に学校を休めば、要らぬ疑念を抱かれかねない。


 「私も……」


 「穹良は健吾の傍にいてあげてよ」


 言おうとしたことを先回りされ、遮られて、穹良は言葉に詰まった。立ち止まったかがみが振り返り、不安げな視線を寄越す。


 「早く治るように、手伝って。それに穹良は巻き込まれたわけじゃないんだし、休んだって変に思われないでしょ」

 

 「それは、そうかも知れないが……」


 「だったら、お願い。きっとあたしや暮月の竜力じゃ足りない。あたしのために体張ってくれたあいつの力になってあげて」


 かがみや暮月と健吾が過ごしてきた時間は、穹良のそれの何倍もある。そして健吾が負傷した責任は穹良にもある。ならば、穹良自身がしたいと思うことをするのではなく、かがみの意向に従うのが筋だろう。それが、今回の事態の責任を取ることにも繋がる。だから穹良は静かに頷いた。


 「分かった。そうする」


 時刻は午前二時を回り、周囲に人の気配は全くない。公共交通機関はとっくに最終便の時間を過ぎ、徒歩で帰ろうとすれば夜が明ける。ならば手段は一つ。


 「二人とも」

 

 手招きしてかがみと暮月を呼び寄せる。不思議そうな顔をするかがみの隣で、暮月がもしかしてという期待感に目を輝かせる。


 「飛んで帰るん?」


 「正解だ」


 背中から四枚の純白の羽を広げつつ、呼び寄せた二人の腰に腕を回してホールドする。右脇にかがみを、左脇に暮月を抱えた状態の穹良がふわりと浮かび上がり、大きく羽を羽ばたかせて一気に上昇した。






 健吾宅にかがみと暮月を送り届けた穹良は、自宅に戻らず、健吾の部屋にいた。星明りに照らされた健吾の部屋には当然主の姿はなく、散らばったままの机の上や無造作に畳まれた衣服が、哀愁を誘う。時間が止まってしまったかのような部屋の中心でしばし佇んでいると、どうしようもない虚無感に包まれた。


 静かに胡坐をし、うなだれて両手で顔を覆う。今は何も考えたくない。虚無感に圧し掛かられているかのように体が重く感じられ、背中の丸みに拍車がかかる。このまま眠りに就いてしまいたかったが、それは出来なかった。


 どれほど時間が経ったか、ふと気配のようなものを感じて穹良は顔を上げた。


 「……健吾?」


 気配の主の名を口にして、静かに頭を振る。穹良より下位の存在である健吾の気配を感じ取ることは、意識してでなければ難しい。今は完全に無意識に感じたもののため、健吾の気配を感じた訳ではなさそうだ。


 だが今の健吾は無意識下にあるため、彼の竜力が制御されずに放出された可能性もある。体の再生のために膨大な竜力が彼の守護者である<トラク>から送り込まれてるであろうということを考慮すれば、健吾の竜力を感じ取れたとしても不思議ではない。だが、その竜力に違和感を覚えて、穹良はしばし思案した。結果、立ち上がり、部屋を出た。違和感を無視して健吾に何かあったらと考えると、様子を見に行かないという選択肢はなかった。






 病室に戻った穹良が最初に見たのは、開け放たれた窓から吹き込む風に揺らされるカーテンだった。病室から出た際には確かに閉まっていた窓が開いていることに驚いていると、ベッドの傍らから呼びかけられて思わず驚いた。


 「よお、穹良ちゃん、久しぶり」


 「裕孝、さん」


 木の根を思わせるような複雑な形状の羽をゆっくりと閉じながら、西島裕孝は椅子から立ち上がり、穹良に向かい合う。一メートルを超す尻尾の先端がゆっくりと弧を描き、全身に残された大樹の表皮を思わせる鱗が窓から差す僅かな光を受けて煌めく。新月の前後にしか人の姿になれない裕孝が無理をして人型となったということが容易に想像できるその姿に、穹良は目を見開いた。動くたびに歪な鱗が擦れ合って音を立て、剥がれ落ちて床に散らばる。


 穹良が感じたのは健吾の竜力ではなく、父親である裕孝のものだったのだ。どうにかして健吾の状況を掴み、自衛隊の監視網に掛からないように竜力量を削ぎ落して様子を見に来た、ということだろう。発声器官が人のものになり切れておらず、前に聞いたような図太く張りのある声とは程遠いかすれた声が、穹良の胸に響いた。不完全な姿であっても様子を見に来る。裕孝にとって健吾はそういう存在であり、遠路はるばるやって来させたことへの申し訳なさ、そして何より他人の息子に大怪我をさせたにも関わらず、連絡していなかったという不義理を働いたことへの謝罪をと、穹良は大きく頭を下げた。


 「すみませんでした」


 裕孝の足音が穹良の目の前で止まり、静けさが訪れる。半竜の穹良と違い、上位の古竜に相当する裕孝の竜力は濃密で重く、下げた頭の上に圧し掛かる。


 裕孝の短い吐息が聞こえ、直後に「顔を上げてくれ」と声がした。恐る恐る顔を上げると、眠る健吾の顔を見やる裕孝の、雲った横顔が目に入った。


 「俺も幸子も、面倒らしい面倒は見て来なかった。俺が人間に惚れちまったばっかりに、生まれたのは半竜だ。だからってのもある。忙しさで自分のことを考える暇がない方が、幸せに感じるのかもってな。こんな時だけ気に掛けるのは、自分本位かも知れない。でもな、たった一人の大事な息子なんだ。何があった? 謝られんのは、それを聞いてからだ」


 優しく諭すような声に、穹良の緊張が解けていく。穹良は事の顛末をすべて話して聞かせた。一通り話を聞いた裕孝は一つ呻り、太い腕を組んだ。


 「かがみと穹良ちゃんを守った代償に右腕一本か。俺の息子ならもう再生していてもおかしくないが……」


 「医者もそう言ってました。遅いって」


 「まあ、そうだろうな。生えてきても、人間のものじゃないだろう。守護者がへそ曲げちまってるみたいだからな」


 「それって一体……?」


 シーツを持ち上げ、裕孝は健吾の患部を撫でる。包帯に包まれた肉がわずかに鼓動し、熱を帯びてる。だが再生に消費される竜力は感じない。彼の体には守護者からの竜力が流れ込んでいないようだ。


 「一回は生えたって言ってたな。守護者ってのは、生存本能の塊みたいなもんだ。所有者が死なないように守るが、こいつらにもわずかに自我がある。今まで放って置かれた報復として、<トラク>が竜力の供給を渋ってるんだ。ガキみてぇに。今頃きっと、対話してるんじゃねえかな。もう一人の自分とさ。それが終われば、きっと生えてくる」


 シーツを掛け直し、健吾の頬を軽く叩く。


 「よく頑張ったじゃんか。さすがは俺の息子だ。もうひと踏ん張りだ。お前なら頑張れる」


 眠る息子に語り掛け、裕孝は慈しむように微笑む。代わってあげられるならそうしたかった。半端者を生んでしまった責任を取りたかったが、それは無理な話。だったらと、裕孝は自分の竜力で部屋を満たす。今の裕孝にはそれしか出来ない。


 ふと、枕の左側にきらりと輝くものを見とがめて、裕孝はそれを拾い上げた。金属製のらせんの中に入れられた、両端が尖った形状(ダブルポイント)をした真紅の六角柱の結晶を手に取る。竜力が凝縮された竜魂石は、昔裕孝が健吾にあげたものの一つだ。その鮮やかな赤色と、内側に秘められた穹良の竜力を感じ取り、裕孝は穹良に見られないように笑う。随分と大事にされていたらしい竜魂石は、暖かな光を反射していた。


 「話してくれてありがとう。あと、お前の謝罪は受け取らない。悪いのはお前じゃないからな。幸子には俺から話しておくが、きっと駆けつけるはずだ。そしたら悪いが、また話してやってくれ」


 裕孝は羽を広げ、窓辺へと寄る。開いた窓枠に手を掛けた裕孝の後姿に、穹良は心細さを覚えた。


 「行くんですか」


 「俺の竜力は鈴音に預けてきたが、そのうち俺に引かれて流れてくる。そうなりゃ国内で地竜の姿晒して、自衛隊のお世話になっちまうからな。ちょっと疲れたからそこら辺の森にでも身を隠して、暗くなったら帰る。健吾のこと、頼んだぞ」


 穹良の返事を聞く前に、裕孝は窓から飛び降りた。穹良が窓に駆け寄ると、落下した裕孝が羽を広げ、滑空していくところだった。あっという間に小さくなっていくシルエットを見届ける。返事をする間もなく、というのは裕孝の気遣いのように感じた。断るつもりはなかったが、断れない状況に否応なく置かれたということが、どこか嬉しかった。同時に、申し訳なかった。


 「悪いのは私じゃない、か。慰めるのが上手な人だ。だが……」


 振り返り、健吾の寝顔を見やる。裕孝の慰めを素直に受け取るつもりには、到底なれそうになかった。


 窓を閉めた穹良は健吾の左側に座り、左手を取る。だったら、誰のせいなのか。やはり自分のせいだろう。この地に戻ってこなければ、かがみや健吾の前に姿を現さなければ、きっとこの事態は避けられた。彼らが築き上げてきた輪に入り込み、加わろうとして壊したのは紛れもなく自分だ。


 自分が退けば自分が加えた亀裂が治るのかは分からない。だが、どの面を下げて居座ろうというのか。十年間、人間関係らしい関係性を持たず、他人の心情を察する能力に劣る穹良にも、それくらいのことは理解できた。


 東の空が白み始める頃、穹良は再び帰宅した。疲れているはずなのに眠りに就くことが出来ず、瞼を閉じて疲労を回復させる。膝を抱えてフローリングの床に横たわっいると、重力に引かれた徒労感が体から溶けて抜けていくように感じた。一緒に生気まで抜け落ちて、思考がまっさらになる。


 このまま溶けて消えてしまいたい。どこまでも自分勝手な願いを抱きながら、穹良は朝を迎えた。

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