三章19 雨の中の犯行
同日。京都府東部山中。
「だいぶ雨脚が強まってきたな」
林冠に打ちつける雨音が強まったのを聞いて、サントソは顔を上げる。彼の後ろには、湿った枝葉を踏みしめる足音が四つ。サントソのすぐ後ろにルディが続き、さらに今朝未明に工作船で到着したスラバヤ連合の構成員が三人、隊列を組む。
ふと、雨の音の中に、甲高い人工の音が混じっていることを察知して、サントソは隊列に無言で静止するよう指示を出す。身を屈めて木々の隙間から狭い灰色の空を睨みつける。すると「ヒイィィィィン」というような飛行音が近づいてき、トンボを機械化したような巨大な航空兵器が一機、ゆっくりと頭上を通過していく。陸上自衛隊の<メガネウラ>だ。
「サントソ、あの機体は俺たちを探して?」
増援に来たメンバーの一人が、静かに訊ねる。
「ああ。ここんところ、この辺りで竜人を狩ってたからな。勘付かれてはいるが、まだ見つかっちゃいない。見つかる前に一矢報いるつもりだったが、丁度よくお前たちが来てくれた。戦力倍増となれば、俺たちの存在がばれる前にあの女を食うことができる」
「食うって、どういうことです? 俺たちがここに来たのは」
二人目が、サントソの発言に異を唱えるような口調で疑問を呈する。その質問に、サントソは鬱陶しそうに応じた。
「ああ、分かってる。だがな、あいつらはもう死んだ。俺たちが何も出来ない間にな。だから、元凶の女を食って天使の力を奪い取る。お前たちには、その手伝いをしてもらう」
そんな話は聞いていない、というような困惑が三人の間に広がる。
「天使の力を奪うって、そんな事俺たちに出来る訳ないじゃないですか。その天使が出てきたら、ひとたまりもありませんよ」
明らかに不安そうな表情を浮かべた三人目が、増援組全員が思っている懸念を口にする。だが、サントソは表情一つ崩さない。
「問題ない。策は講じてある。それにこの国の天使は自衛隊に管理されている。むやみに動かすことは出来んさ。決行は本日夕刻。所有者の妹を人質に、天使の力を奪取する」
雨の山中を行軍しながら、偵察に出たディオからの情報を待つ。その間、サントソは増援組の三人に、作戦概要を説明する。
そして午後四時。ディオからの連絡で、各自配置についていった。
同時刻。竜ヶ台地区。ジャスト店内。
「あ、雨降ってきたみたいだよ」
モール内の窓からふと外に視線を向けた藻玉が、視界に映る雨筋を捉える。
「あ、ほんとだ」
彩矢も外に目を向けて同意の声を上げ、葵が懐からスマホを取り出して天気予報アプリを立ち上げる。
「これからひどく降ってきそうだよ」
「んじゃ、今日は早めに解散する?」
葵のスマホを覗き込んで、藻玉が皆に目配せをする。
「そうだね、あんまり濡れたくないし」
彩矢が同意を示し、付き合いが浅いかがみにも声を掛けて意思を確認する。
「かがみちゃんも、それでいい?」
「うん、いいよ」
初めての大型ショッピングモールを歩き回り、人の多さに気圧されて疲れてきていたので、正直言って帰りたいと思っていたところだった。だが素直に言い出すことも出来なかったので、皆が帰ろうと思うきっかけが出来たことは少しありがたかった。ひとり静かに、降り出した雨に感謝した。
「じゃあ、また明日ね」
「テスト、頑張ろうね」
竜ヶ台駅改札口で手を振る藻玉、彩矢と別れ、かがみと葵は帰りの電車に乗り込む。動き出した車内で、かがみは思わず深いため息を吐いた。
「疲れた?」
葵が静かに訊ねてくる。気を遣わせてしまったと思ったかがみは気丈に振舞おうかとも考えたが、彼女の穏やかな口調に、素直に応じることにした。
「うん、ちょっとね。あんまりああいうとこ行かないから、緊張しちゃって。それに、彩矢とはまだ普通の話もそんなにしてないから」
確かに、仲が良いわけでもない人と一緒に出掛けるのは疲れるかも知れない。その点に対する配慮が足りなかったことを反省しながら、葵は弁明を試みた。
「ごめん。かがみちゃんがもっと自然に振舞えるようになればいいなって思って。でも、急だったかなって反省」
かがみも、誘ってきた葵の意図は何となく読み取っていた。自ら一緒に出掛けようと提案できるだけのコミュニケーションスキルを持たない以上、やってきた機会を利用してスキルアップするしかない。だから誘いに乗ったので、葵を咎めるつもりは全くないということを言葉にして示す。
「そんな事ない。疲れたけど楽しかったよ。誘ってくれてありがとう」
かがみの言葉を聞いて、葵は安心したように微笑む。そして、何かを思いついたような顔をした。
「ねえ、一つ前に駅で一緒に下りない?」
「え、いいけど……」
唐突な提案に少々戸惑ったが、かがみはそれに応じた。天智駅の一つ手前の駅、川原駅は間もなくであった。
川原駅で降りた二人は、天智駅方面へ向かって住宅街を歩いていた。駅前の通りは片側二車線の道路が通っているが、一本脇道に入れば閑静な住宅街が広がっている。高い建物が少なく、道が広くないところを見るに、古くからある街並みなのだろう。はじめて歩く道のりを観察しながら、かがみはそんなことを考えていた。
「私の家は天智駅と川原駅の中間くらいにあってね。運賃はそんなに変わらないから、定期は天智からにしてるんだ」
「へえ。なんか、落ち着いてて、いいところだね」
「でしょ。あ、あそこの家には可愛い犬がいてさ」
そんな、他愛のない会話を繰り広げる少女たちの背後で、一発の乾いた銃声が湿った大気を切り裂いた。
直後、車の甲高いブレーキ音が響き、ほぼ同時に大きな衝突音が響く。
「え、銃声?」
「なに? 事故?」
二人が今来た道を振り返る。するともう一度銃声が響き、車がぶつかる音がした。雨具に身を包んだ男が発砲し、タイヤにパンクさせられた車が濡れた路面で制御不能に陥り、多重事故を引き起こしているのだ。
「なに? 何が起こってるの?」
湧き上がる興味に突き動かされて、葵が現場を見に行こうとするのを、かがみは腕を掴んで制止する。
「行くのはヤバいって。銃声がしたんだよ。今すぐここから離れようよ」
かがみの切迫した声に我に返った葵が一瞬かがみの顔を注視し、もう一度事故現場の方を見てから、慌てたように頷く。ただの事故現場なら行って何か出来ることがあるかも知れないが、銃を持った人間がいる場所に向かえば、標的にされるかも知れない。そんな当たり前のことが分からなくなるくらい、葵も動揺していた。
とりあえずこの場所を離れようと駆け出した二人の背後から、一台の自転車が迫ってくる。雨音と鳴り出したサイレンの音に紛れて二人に近づく自転車には二人とも気付かない。自転車を運転している浅黒い肌の男は口元を不敵に歪め、雨具の背中から金属バットを引き抜いた。
そして車道側を走っているかがみを追い抜きざまに、彼女の後頭部を金属バットで殴打した。
鈍い痛みに襲われたかと思った瞬間に視界がブラックアウトし、かがみは勢いを付けた状態で受け身も取れずに倒れ伏す。
「え、ちょっと、かがみちゃん!? 大丈夫? かがみちゃん!?}
葵からしてみれば、隣を一緒に走っていたと思っていたら急に倒れた格好になる。何が起きたのか理解が追い付かぬまま声を掛けるが、昏倒したかがみは目を覚まさない。
「ちょっと、ねえどうしたの? ねえ!?」
雨に濡れていくのも構わずに呼びかけるが、反応はない。助けを呼ぼうとスマホを探すが、動転していて手が思うように動かない。そこへ、一台の乗用車が急停車した。何事かと思って車の方を見るが、ヘッドライトを向けられて目が眩む。
「君、大丈夫カイ」
片言の日本語を話す男が駆け寄っていて、身を屈める。日本人ではない大柄の男が、慌てふためく葵に構わずかがみを抱き上げた。
「コノ子ハ病院二連レテ行クカラ、君ハ帰リナサイ」
「え、あ、あの……」
目まぐるしく変わって行く状況の変化に完全に置いてきぼりを食った葵に、男を止めることは出来なかった。
男は素早くかがみを積み込むと、車を急発進させて走り去って行く。途方に暮れた葵は、小さく彼女の名を呼ぶことしか出来なかった。
「おい! 大丈夫か!」
今度は何かと思いながら、葵は怯える顔を声の方に向けた。そしてこちらに走って来る人物を認めて、さらに恐怖心を募らせる。額の端から血を流した青年が葵めがけて駆けてくるところだ。
ヒッと悲鳴を漏らしたが、脚がすくんで動けない。すぐに青年に追い付かれ、目の前で身を屈めた。
「おい、かがみはどこだ! どこに連れて行かれた!」
葵の肩を掴んで怒鳴るように問いかけるが、恐怖に見開かれた瞳は大きく動揺していることに気付いて、健吾は手っ取り早く情報を得るための方法を探る。そして、ズボンのポケットに手を突っ込んで生徒手帳を取り出して見せた。
「俺はかがみの義兄だ。君はかがみの友達だろ?」
「あ、は、はい……。葉山葵って言います……。かがみちゃんが急に倒れて、どうしたのかと思ったら車が来て、あっちに……」
葵が震える手で車が去った方を指さす。その方向を見ても、もう車の姿はない。健吾は湧き上がる怒りと自分の不甲斐なさを込めて、固く握りしめた拳を塀に叩きつける。
だが、雨の冷たさが健吾に冷静さを取り戻す。すぐにスマホを取り出して、穹良へ電話を掛けた。数コールで繋がり、健吾は真っ先に謝罪を口にする。
「すまん、かがみを連れ去られた。――――ああ、車だ。となると、離れ場所だろうな。――――かがみの友達がここにいる。――――分かった。一緒に帰る。本当にすまない……っ」
数往復のやり取りで電話を切ると、健吾は葵に手を差し出した。
「悪いが一緒に俺の家に来てくれ。かがみを助けだす準備をする」
健吾の言動を疑う余裕も、提案を拒む気力も既になく、葵は黙って健吾の手を取った。
雨脚が一段と強くなり、サイレンの音が幾重にも重なって聞こえる。楽しいはずの日曜日は、全く想像しない形で、最悪の日に変貌した。




