三章13 初めての友人
月曜日の朝。
かがみは、決意を胸に、天智駅への道を歩いていた。昨日健吾と買い物に出かけ、色々話が出来たおかげで、葵との今の中途半端な関係性に終止符を打つ決心がついた。その決心を、学校で彼女に伝えようと、朝から張り切っていた。
心意気がいつもより勇んでいるせいか、かがみの後姿は、いつもより肩がいかっている気がする。そんな妹の後姿を眺めながら、穹良は隣を歩く健吾に顔を向けた。
「あいつ、何かあったのか?」
この問いに、素直に答えようかどうしようか、健吾は一瞬悩む。健吾自身も、かがみに何があったのか、正確に把握している訳ではなく、彼女の言動から推測しているに過ぎない。だから、答えようがない、というのが正直なところだ。
「何かあった、みたいだな。でも、自分で解決しようとしてるみたいだよ」
「なら、見守るか」
二人の前方、約十メートル先を歩くかがみの、青いポニーテールが左右に揺れるのを見ながら、穹良が口元をほころばせる。妹が頑張ろうとしている姿を眺めるその視線は、姉のものというより母親のもののようだ。
「ところで」と穹良が話題を変えた。声のトーンが下がったのを聞いて、健吾は世間話が飛び出してくるわけではないということを知る。
「今更でほとんど意味がないかも知れないが、かがみと一緒に帰るのはお前に頼みたい」
「どうして」
「連中の目的が、私の守護者だからだ。多少離れているとは言え、こうして一緒に歩いてしまっている時点でもう手遅れかも知れないが、かがみと私の関係性を、これ以上外で晒さない方が良いと思う」
かがみは、朝は健吾や穹良と別に家を出る。たとえ同じ電車に乗って学校に行くときも、別に家を出る。それはいまだに穹良とのわだかまりを感じているからではなく、学校に行く心の準備を道中でしているからだという。心の準備に集中する為には、一人で歩いている方が都合がいいというのだ。
一方で、その準備が必要ない帰りは、三人で一緒に帰る機会も増えてきている。だから、穹良も口にしているが、今更、という感が強い提案に聞こえる。
「俺とかがみの距離感と、俺と穹良との距離感を観察されたら、どのみちかがみとお前の距離感も分かっちまうぞ」
「それも、そうだな」
健吾の反論を理解して、穹良は引きさがる。だが、土曜日の夜の会話内容を思い出して、健吾は考えを変えた。
「でも、少しでも可能性を減らすっていう意味では、お前とかがみが外で一緒にいる時間を少しでも減らした方がいいか。なら、明日から朝も別行動にしよう」
穹良との時間を削らざるを得ないのは残念だが、かがみのためなら仕方ない。
「分かった。そうしよう。というか、今からそうしよう。私はそこの自販機に寄ってから行く。先に行っててくれ」
「え、あ、うん。じゃあ、先に行ってるよ」
自分の出した提案を最大限活用するためには、穹良の行動は正しい。正しいが、あまりにも割り切った対応に、健吾は心の奥がチクリと痛むのを感じた。そしてすぐに、そんな痛みを感じている場合ではないと、痛みを握り潰す。
雨が降ってきそうな、曇天の朝だった。
昼休み。竜ヶ台学園中等部三年一組の教室で、かがみは窓の外を眺めて溜息を吐いた。四限開始頃から音を立てて降り出した雨は勢いが納まる気配を見せず、視界がうっすらと灰色がかって見えるほどだ。外が暗いと、心も塞ぎ込んで精神状態に良くない。
「すごい雨だね。まだ本州は梅雨入りしてないのに」
声がするので振り返ると、かがみの机の傍らに葉山葵が立っていた。葵は視線を窓の外からかがみへと移すと、にっこりと微笑んで見せる。
「お昼、一緒にどう?」
「あたし以外に、一緒に食べる相手いるでしょ」
「いるよ。でも今日お休みで。それに、私に興味持ってくれたんでしょ? 一緒に食べたら、もっと興味持つかも知れないよ?」
かがみは不機嫌そうな表情をしたが、提案に明確な答えは示さなかった。それを肯定と受け取った葵が、自分の弁当と椅子をかがみの机の元に運んできて、机を間借りする。
「図々しいやつ」
かがみの机の上で弁当を広げる葵に、かがみが呟く。言葉自体は攻撃的だが、ニュアンスはどこか、冗談めいたものに聞こえて、葵は演技の掛かった所作で広げた弁当を自分の膝の上に移動させる。
「仕方ない。私はこっちで縮こまりながら食べるとするよ」
そう言いながら、葵は横目でかがみのことをチラチラと見てくる。はっきり言ってうざったかったが、そこまで嫌な気分でないのも不思議に思った。
かがみは自分の弁当の包みを机の片側に寄せると、空けたスペースを手でトントンと叩いて、視線を送る。
「悪いね。お邪魔するよ」
「それを先に言ってもらいたかったよ」
反省の色が全く見られない笑顔を向けられて、かがみは溜息を漏らす。だが、やはり悪い気はしなかった。
だが、人と話すことに慣れていないかがみはこの日疲れ果て、朝の決意を実行に移すことが出来なかった。それでも、明日こそは実行するために、自らの退路を断った。
放課後、部活に行く準備をしている葵に声を掛ける。
「なに?」
かがみから声を掛けられたことに驚きを表しながら、葵は手を止め、体を彼女に向ける。
「明日、昼休み、晴れてたら屋上に来て。話がある」
「え、うん。分かった」
唐突な申し出に困惑する葵であったが、了承の旨を述べる。するとかがみは逃げるように、彼女の前を立ち去って行った。去り際、「また明日」と呟いていたのを、葵は聞き逃していなかった。
「また明日、か」
先週とは大きく異なるかがみの言動に、感慨深さのようなものを感じる。あれほど自分を拒絶していたかがみが、また明日と言ってくれたのが、嬉しかった。
「葵、部活行こ」
廊下からの声に振り返り、返事をしてから、葵は再び手を動かし始めた。
翌日の昼休み。雲の多い青空の下、かがみは屋上にいた。
高等部棟の方を眺めると、穹良と二人の女子生徒が、楽しそうに昼食を囲んでいる。穹良の表情はいつもとそれほど変わらないが、雰囲気が楽しそうに見えた。
「あっち、楽しそうでいいなあ……」
口に出してから、随分と高望みするようになったものだと自嘲する。そして、昨日の今頃も、思いのほか楽しかったなと思い出して、かがみは複雑な感情に囚われた。
ふと背後に人の気配を感じて、かがみは棟屋の方を振り返る。棟屋のドアが開き、葵が顔を覗かせた。
「来たよ。で、話ってなに?」
「その前に、こっちに来て」
かがみは、高等部棟から死角になるように、棟屋の横に葵を連れ込む。棟屋の陰が二人をすっぽりと覆った。その陰湿な雰囲気に、葵はわずかに表情をこわばらせる。
「あ、もしかして、秘密知ったから消される?」
ここは人目に付かないということに今更気付いた葵が、半歩後ずさる。その様子を見て、今まで手玉に取られたかがみは、形成逆転とばかりに距離を詰めた。だが、彼女が本気で怯えているのではないかと思い、それ以上距離を詰めるのは止めにする。
「葵、私はね、半竜なの」
唐突な告白に、葵は言葉を失う。そんな彼女の前で、かがみは四枚の羽を背中から展開した。透明感のある青い、妖精のそれを思い起こす羽が、かがみの後ろに現れる。
「やっぱり、きれいだね」
「やっぱり?」
「うん。あの日見た時、すごくきれいだなって思ったの。だって、妖精みたいじゃん」
かがみも自分の羽のことを妖精みたいだとは思っている。だが、だからと言って受け入れている訳ではない。これが無ければ、あの日足の小指をぶつけても、彼女に正体を露呈することは無かったのだから。
そんな羽を、葵は綺麗と表現した。彼女が半竜であることの苦労を認識しているとは思えない。彼女の評価は、しょせん他人事だから下せるものだ。
でもどうせなら、きれいだと言って欲しい。そしてその言葉を、彼女は言ってくれた。半竜だと恐れるのではなく、興味に起因しているとしても、歩み寄って来てくれた。
そんな葵となら。友達になれるのかも知れない。
「ちなみに私、冷気も出せるの」
言って、空気中の水蒸気が持つ熱を竜力で奪い取り、棟屋の壁面に霜を這わせる。
「あの時の氷も、そういうことだったんだね」
更衣室での一件を思い出して、葵は納得したように頷く。そして。
「これからの季節にぴったりじゃん」
笑って、そう言った。
「化け物だと思わないの? 怖くない?」
「んー、その力を向けられたことないから怖いと感じないだけかな。でも、少なくとも今は怖くないし、私の前にいるのは、羽を生やせて氷を作れる、ちょっとすごい人って思うだけだよ」
やはり、彼女となら。そう思ったかがみは、意を決して言葉を絞り出す。
「もし、本当にそう思ってるなら、また、あたしの机貸してあげる」
「ねえ、天邪鬼って言われたりしない?」
「……うるさい」
視線を逸らして不機嫌そうな顔になるかがみを見て、葵はフフッと笑みをこぼす。そんな彼女を見て、かがみはますます不機嫌そうな顔をした。だがすぐに表情を崩す。
「じゃ、また借りるね。かがみちゃん」
かがみは安心したように笑い、葵は嬉しそうに笑う。
二人の少女が、新たな関係性を歩み始めた瞬間だった。




