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三章12 健吾が言うなら

 

 日曜日。午前10時。健吾宅。


 「準備できたあ?」


 健吾の部屋のドアを叩く音がしてから、かがみの声が聞こえてくる。


 「今出るから」


 健吾はそう返して、財布を肩掛けバッグに突っ込む。今日はそれほど暑くなさそうだと、Tシャツの上から薄手のパーカーを羽織る。


 今日は、かがみと買い物に出かける日だ。といっても真面目に生活必需品を買いだしに行くわけではなく、かがみの散歩に付き合う、という性格の方が強い。稀にある、かがみのストレス発散の機会だ。


 部屋のドアを開け、廊下に出ると、腰に手を当てたかがみが不満そうな顔をして仁王立ちしていた。


 「遅い」


 「ごめんよ」

 

 素直に謝ると、かがみは表情を崩した。彼女はと言うと、ツートンカラーの長袖Tシャツにショートパンツと、ラフな格好をしている。休日モードなのか、いつもポニーテールにしているセミロングの髪は、下ろされていた。


 「行こうか」


 健吾が言うと、かがみは小さく頷いた。二人は、ぎしぎしと音を立てる廊下から一階に下り、軋む玄関ドアを開けて、外に出た。眩しい直射日光が、二人の顔を照らす。初夏を思わせる、良く晴れ渡った爽快な天気だ。


 こんなにいい天気なら、暮月も連れ出してあげたい。半年間引き籠り生活を続ける義妹を思い、健吾は我が家を振り返る。


 そしてすぐに、今外に出してはいけないと思い直す。まだ例の武装集団の足取りが分かっていない以上、むやみに外に出さない方がいい。今なら、保護対象をかがみ一人に絞ることが出来る。


 家を後にして丘を下る最中、ワイシャツにスラックス姿の、サラリーマン風の若い男性とすれ違った。だが彼は普通のサラリーマンではない。新琵琶駐屯地所属の、半竜自衛官だ。


 健吾はすれ違いざま、男性自衛官とアイコンタクトを取る。健吾が家を空けるので、代わりに家の周辺を警戒してくれる、そのお礼の挨拶だ。


 いやだな、と思った。自分たちを守るために佐藤司令が人手を割き、警戒任務にあたってくれていることには感謝している。だが、こんなことをしなければ安心して暮らせないというのが、嫌だと思った。


 ただ普通に暮らしたいだけなのに、どうしてこんな生活をしなければならないのか。その答えは自分の中にあっても、それを素直に認めたくない自分がいた。


 「どうしたの。顔、暗いよ」


 隣を歩くかがみの声に、健吾は顔を左方向に向ける。


 「まあ、顔が暗めなのは昔っからだけどね」


 「悪い、ちょっと考え事してた。あと、昔から暗いは余計だ。俺だって昔はやんちゃなガキで」


 「はいはい。別にガキの頃の話は興味ないから」


 買い出しに付き合わせている義兄に対して何たる口の利き方か、と抗議しようかとも思ったが、バカバカしかったのでやめた。それに、かがみはこれくらいのあっさりとした反応を返してくれるくらいでちょうどよいのだ。


 「で、今日はどこに行くんだよ」


 買い出しの言いだしっぺに、今日の行程を尋ねる。


 「そうね、まずはちょっと服を見たいかな。引っ越しの時に古いのは処分しちゃったし、夏物を少し揃えたい」


 「ってことは、だいぶかかるな」


 女子は、と言うと主語が大きくなってしまうが、どうして服を選ぶのにあんなに時間が掛かるのだろう、と疑問を脳内で唱える。その問いの一つは、すぐに浮かんできた。自分が服にあまり興味ないからだと答えを得て、健吾は一人納得する。


 二人が向かった先、天智駅前商店街は、全天候型のアーケード商店街だ。全長約三〇〇メートルの商店街内には数多くの店が所狭しと並び、周辺住人の台所となっている。三〇年前の厄災の結果、琵琶湖西岸は再開発が行われ、郊外型の大型ショッピングセンターも近くに存在しているが、商店街の活気は衰えていないという。今日も、老若男女問わず、多くの人で賑わっていた。


 「まずはここね」


 かがみが指さした店を見て、健吾は内心、意外だと思った。女子中学生や高校生が好んで入りたくなりような店構えの衣料品店には見えなかったからだ。どちらかと言うと、中年以降の年代の人向けの店に見えた。


 だが、いざ入店してみて、健吾は自分の固定概念がひっくり返るとまで行かなくても、大きく傾いたことを自覚した。


 確かにやや年代が上の女性ものが大半を占めていたが、十代向けの女子向けの服も十分な品揃えがある。しかも、どれも落ち着いたデザインで、派手をしようとしないかがみには、丁度良さそうな服が多い。


 「ねえ、どっちがいいかな」


 早速オーバーオールを物色していたかがみが、二着選び出して掲げて見せる。その目は明るい光を放っている。


 ああ、良かった。楽しんでいる。そう思いながら、健吾は約一時間、かがみの服選びに付き合った。


 

 




 衣料品店を出た時には、正午を迎えようとしていた。


 商店街には更に人通りが増え、飲食店からの食べ物の匂いが盛んに漂い始める。その匂いに誘われたように、かがみのお腹が音を立てる。


 「朝飯、足りなかった?」


 「別に。普通に食べたけど」


 腹の虫を鳴かせた程度で恥ずかしがるようなかがみではないが、どこか不満げに見える。恥ずかしくはなくても、聞かれたことは嫌だったのかも知れない。かと言って聞いてしまったものを聞かなかったことには出来ないので、健吾はせめてもの罪滅ぼしを提案する。


 「何食いたい? 出してやるよ」


 「ほんと?」


 声のトーンが一気に上がる。ここ最近では聞いていなかったほどの、テンションの上がり様だ。そんなに聞かれたことが嫌だったのか、それとも奢ってもらうのが嬉しいのか。


 「あたし、あそこに入ってみたい」


 そう言って指さしたのは、年季の入った古民家風の建物だ。看板を見るに、喫茶店のようだ。健吾はいいよと言うと、二人で喫茶店に入った。


 中に入ると、思った以上に近代的な内装に、二人は感嘆の声を上げる。いわゆる、古民家カフェという奴だろう。内部は改装されているものの、外観との雰囲気を合わせている。しかし和室という訳ではなく、店内に置かれているのはカウンターテーブルと、二人掛けのテーブルが幾つか、といった感じだ。


 まさに、和洋と新旧が絶妙に融合している。そんな喫茶店だ。とは言え、メインのメニューが軽食であるためか、表の混雑状況に反して、店内は混みあってはいない。まだ正午になっていないというのも、理由の一つだろう。


 かがみ厚さ三センチの、二枚重ねのパンケーキを、あまり空腹ではなかった健吾はチーズケーキとコーヒーのセットを頼む。注文を受け取った店員が調理場に戻っていくの姿を目で追っていると、窓の外を眺めていたかがみが、唐突に口を開いた。


 「穹良、教室だとどんな感じなの」


 どんな感じと聞かれて、健吾は返答に困る。別に家で見せる姿と大差ない。だが、かがみが訊きたいのはそういうことでなかった。


 「よく、屋上で一緒にお昼食べてる人がいるよね」


 そういうことか、と察して、健吾も窓の外に視線を向ける。


 「友達が二人出来たよ。一人は隣のクラスだけど、なんか気が合ったみたいで、休み時間には割とよくこっちに来るな。天気が良ければ三人で弁当食いに外に出てるし」


 「楽しそう?」


 外に視線を向けたまま、呟く。視界に写る物は近くのものばかりのはずなのに、彼女の目はどこか遠くを眺めているようだ。


 「楽しそうだよ。なんつうか、無表情にバリエーションが増えてきたって言うか」


 「そう」


 短く返して、かがみはテーブルに置かれたガラスコップを手に取る。一口水を飲み下してから、今度は健吾の目を見て質問してきた。


 「入学式の日にさ、あたしに、友達作った方がいいって言ったじゃん」


 「言ったな」

 

 「今も、そう思う?」


 健吾もかがみの目をよく見て、そこに宿る思考を読み解く。そしてすぐに理解した。彼女は、背中を押して欲しいのだ。


 「思うよ。お前は内弁慶で臆病で天邪鬼だ。その性格が苦労するってことを、友達を作って指摘してもらった方がいい」


 「それ、友達っていうの?」


 「そういうのを言い合える関係を、友達って言うんだよ。真面目な話、身近な範囲に味方を作っておいて欲しい。何かあった時に、孤立無援っていう状況に陥るのは避けて欲しいからな」


 かがみは手にしたグラスに視線を落とし、揺らめく水面をぼんやりと眺める。それから、揺れ動く水面を一気に飲み干した。


 飲み干して、一つ息を吐く。健吾の後押しを受けての、意を決したことを示す息だ。


 「分かった」


 お義兄ちゃんが、あたしの安全のためにもって言うなら、仕方ないからあの子と友達になってあげる。とは口にしなかった。


 「お待たせしました」


 タイミングよく、店員が料理を運んできた。厚さ三センチのパンケーキのインパクトに、かがみが軽く目を見開く。


 優雅で平和な、お昼のひと時だった。

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