三章11 特訓の成果
その日の夜。
健吾が台所で夕食の準備をしていると、かがみが遠慮がちに訊ねてきた。
「ねえ、明日、時間ある?」
「んー?」
鳥むね肉を捌く手を止めて、脳内のカレンダーで土日の日程を確認する。
「明日は予定が入ってる。日曜なら空いてるけど?」
「んじゃ、日曜でいいよ」
「どしたの、急に」
義兄妹であり、年頃であるかがみは、普段は健吾に対してあっさりとした態度をとることが多い。そんな彼女が、休日の予定を健吾に訊いてくることは珍しかった。
「別に。たまには一緒に買い物でも行って、何かたかろうかなって思っただけ」
珍しかったが、こうして二人で出かけようとかがみが打診してくることが今までなかったわけではない。
本当の両親を知らず、幼少期からずっと健吾と過ごしてきたかがみが持つ、他人への愛情の欲求は、多くの人とは異なると健吾は思っている。同じ境遇に置かれてきた暮月が、赤の他人である健吾に躊躇なく抱きついたりする一方で、かがみはその欲求を上手く表現できない。
そんなかがみは、昔からたまに、健吾と二人きりで出かけたいと言い出すことがある。暮月の目に付かないところで、溜った欲求を開放したいのだ。
もちろん暮月も、かがみが欲求を溜め込んでいることを知っている。だから、彼女が健吾と二人で出かけたいと言った時には、いつも黙って見送っていた。
「いいよ。じゃあ日曜日な」
「うん」
健吾の返事を聞いて、かがみの声音が少し高くなる。どこへ連れて行ってもらおうか、何を着ていこうか。かがみの表情は大きくは変わらなかったが、頭の中は既に明後日のことでいっぱいだった。
土曜日の昼下がり。健吾は一人、陸上自衛隊新琵琶駐屯地の地下五層に設置された、零式歩行戦機の試験区画での訓練を終えたところだった。
「お疲れ。だいぶ上達したな」
健吾が隔離されている小部屋のドアが開き、暇だから、という理由で訓練に付き合ってくれた佐藤影美駐屯地司令が、顔を覗かせる。
健吾はヘッドセットを外して机の上に置くとパイプ椅子に座ったまま背伸びをして背骨を鳴らした。二時間、クッションの薄いパイプ椅子に座りっぱなしで、見えない位置にいる零式<トラク>を、竜力を介して動かし続けるのは、神経が磨り減る。
しかもその動きは、<トラク>にじゃんけんをさせたり、ラジオ体操をさせたりといった単調なものだ。まだ動きに滑らかさが足りないのだから文句は言えないが、単純に飽きる。
「まさか一週間程度でここまで動かせるようになっているとは思わなかったぞ。何か特訓でもしたのか?」
健吾の前に座る佐藤を、疲れた目で見る。佐藤が目の前にドンと置いたペットボトルのお茶を認めると、無意識に手が伸びた。
「……穹良から、アドバイスを貰ったんですよ。それをやってみたんです」
「ほう。どんな?」
お茶を一口飲み干すと、体中に潤いが満ちて、視界が鮮明になる。脳から、疲労という重りが取れていくような気がした。
「自分の体を竜力で制御できるようにしてみろって。寝ぐせを直すとか、体内の水分量を調節してトイレに行く回数を減らすとか」
「なるほど、それはいい特訓かも知れないな。自分の体を好きなように扱えたら、零式だってうまく動かせるだろう」
佐藤はおもむろに立ち上がると、健吾の隣に立ち、屈んで耳打ちをする。
「例の武装集団の足取りがまだ掴めていない。今日は上出来だったからもう帰っていいが、出来るだけ早くものにしてくれ」
言われたことの意味を理解して、健吾は驚きに目を見開く。
「まさか、またあんなことが起きるって言うんですか」
「可能性の話だ。第一、<ルシフェル>はここにあるから、手は出せない。だが、穹良ちゃん本人や、お前の妹さんが襲われないとも限らない」
「まだ見つかってないんですか」
四月の頭に半竜の武装集団が竜宮市内で輸送中の<ルシフェル>を襲撃してから、間もなく二カ月が経とうとしていた。
「怪しい人物の特定は出来ているが、な。街中の防犯カメラなんかに写り込まないんだ。どこかに潜伏している可能性もある。引き続き、用心してくれ。私服自衛官も増やす」
「分かりました」
最近は飛竜の襲撃に遭ったりしていたせいで、武装集団に襲われた記憶が少し薄らいでしまっていた。だが、改めて気を引き締めなければならないと思い直す。かがみや暮月に危害を及ばせないために。
健吾が帰った後、佐藤は地下最下層の六層に来ていた。ここには、<ヴィヴィアン>を整備、格納するための設備がある。
佐藤が近代的な手術室のような設備が施された部屋に踏み入れると、銀髪ショートヘアーの少女型アンドロイドの<ヴィヴィアン>が駆け寄ってくる。
「あ、司令! 珍しいじゃん、こっちに来てくれるなんて」
翠色の瞳が、嬉しそうに軽く細められる。その奥で、複数のカメラレンズが動いているのが佐藤には分かった。
「調子はどうだ?」
「いい感じだよ。整備もばっちりだし」
「なら良かった。今日はお使いに行ってきて欲しい。竜宮市内で、これを買ってきてくれ」
そう言って佐藤が懐から取り出した小さなチップを、<ヴィヴィアン>は不思議そうな表情を表現しながら手に取る。物体認識を完了すると、首の後ろに設置された金属製のカバーを開け、せり上がったコアユニットを引き出す。
そしてコアユニットにチップを挿入し、うなじに差し込んで読み込むと、命令を受け取った。
「分かった。行ってくるね」
機械仕掛けの少女は満面の笑みを浮かべると、命令を実行すべく、元気に出掛けていった。
「当事者意識が低いと言われても仕方ないな」
健吾の帰宅後、家に遊びに来ていた穹良を自宅の二階廊下に呼び出して、今日佐藤から聞いた話を伝えると、穹良は神妙な面持ちになった。
かがみと暮月は一階の台所にいるので、話声が聞こえることはない。
「でも、二カ月近くも動きがなくて、防犯カメラにも写り込まないんじゃ、この近くにはもういないんじゃないか? 外国人だったし、もう国外に逃げたとか」
「私たちを油断させるために、わざと期間を開けているのかも知れない。もっとも、まともな戦力は私たちが潰したから、諦めてくれたのかと私も思っていたがな」
それはそうだ。連中が使っていたワークドールは全て、健吾と穹良の零式が破壊している。市販のワークドールを使っている時点で、連中の中に守護者の保有者がいる可能性は低い。
であるなら、連中が<ルシフェル>奪取をすることは、正面からは出来ないはずだ。
「普段家にいる暮月のことは自衛隊に任せるとして、今からでもかがみを一人で登下校させない方がいいか?」
「むしろ、別行動している方が、敵に私たちの関係性を悟られにくいかと思っていた。それにあいつも守護者は持っていないとはいえ、かなり強力な半竜。そこら辺の半端者に簡単に摑まるとは思っていない。思っていないが……」
表情を曇らせた穹良が、ぽつりと漏らす。
「やはり、心配だな」
「そうだな。っつても、家を特定されてたら、別行動も意味が無い訳か」
「だが、それなら、今までも襲ってくる機会はいくらでもあった。それをしないということは、まだ見つかっていないと考えていいんじゃないか? いや、その仮説で動くのは危険か」
穹良が自分の考えを自分で否定したのを聞いて、健吾も自分の考えを固めた。
「やっぱり、俺と穹良のどっちかはかがみと一緒に帰るようにしよう。でも、俺たちが狙われてるって話は、内緒でいいか? 余計な心配は掛けさせたくない」
少し考えてから、穹良は顔を上げた。
「分かった。奴らが捕まるまで、守り通すぞ」
二人は黙って、頷き合った。




