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三章10 そんな自分も悪くない


 さらに翌日。昨日女子生徒と喧嘩別れしたかがみは、朝目覚めた時から気分が優れなかった。


 起き上がるのが億劫で、布団の温もりから出たくない。スッと二度寝できてしまえば楽なのに、妙に目が冴えて眠ることも出来ない。かといってなにかを考えることが出来るわけでもなく、鉛のように重たい感情が、胸の奥に居座り続けるだけだ。


 学校に行きたくない。


 素直に、そう思った。


 このまま布団に潜っていたかったが、起きなければ健吾や暮月に心配を掛けさせてしまうかも知れない。


 仕方ない、と自らに発破をかけ、重い体を何とか起こした。

 





 「あ、おはよん、かがみん」


 一階の洗面所に行くと、暮月が顔を洗っていた。


 「おはよ、珍しいじゃん。こんな時間から起きてるなんて」


 引き籠りである暮月は、健吾やかがみよりも遅い時間に起きてくることが多い。学校に行く健吾やかがみよりは自堕落な生活をしているためだ。


 「気分転換ってやつなん。それよりも、すごい寝ぐせなんな」


 言われて、かがみは前髪の一束を摘まむ。鏡を見ると、サラサラなはずの髪は束状に固まり、毛先が銘々の方向を向いていた。


 「ほんとだ。お風呂あがってからしっかり乾かしたはずなんだけどな」


 まるで今の自分を表しているみたいだ、とかがみは思った。自分の言動に一貫性がなく、自分が何をどうしたいのか、分からなくなっている。ただ、墓穴を掘り続けていることだけは分かっている。その深い穴に入るのを自分ではなく、彼女にしたいところだが、どうすればいいのか、まるで分らない。


 とりあえずひどい寝ぐせを直すために、かがみは羽を展開して竜力を操る。頭の上に竜力で出来た輪を出現させ、輪を胸元まで下げて髪をくぐらせると、屈曲した髪はいつものストレートヘアーに戻った。


 ふと、鏡に映った自分に目を向ける。透明感のある青色の羽を睨みつけ、こんなものがなければ、と奥歯を噛みしめる。都合よく竜力に頼る自分に、腹が立った。竜力の恩恵がなければ寝ぐせを一瞬で直すことは出来なかったが、それは羽がなくても出来るはずのことだ。


 「どしたん? 顔、怖いんよ?」


 暮月に顔を覗き込まれて、かがみはハッとする。一度目を閉じて肩の力を抜いてから、暮月に微笑を向けた。

 

 「ごめん、何でもないよ」


 「そう? ならいいんけど」


 心配そうな顔の暮月を見て、かがみは決意を改める。暮月を悲しませるような結果だけにはしないと。


 「さ、平日の朝に一緒にご飯食べることなんて少ないんだし、台所行って一緒に食べよ。顔洗ってから行くから、先に行ってて」


 「うん、んじゃ先に行ってるんよ」

 

 洗面所を出て行った暮月の背中を見届けて、かがみは大きなため息を吐く。朝からこの心労具合なら、帰ってきたころには抜け殻になっているだろうなと、自嘲気味に笑う。冷たい水で顔を洗うと、少しだけ気分が落ち着いた。


 「よし」


 水気を払った両頬を叩き、気合を入れる。今日を乗り切れば週末だ。たまには、健吾と一緒に買い物にでも行こうか。そのことをモチベーションに、かがみは台所へ向かった。






 約一時間後。


 「……しまった」


 あの女子生徒との接触を避けるためにいつもより早く登校したかがみは、教室で、重大な忘れ物をしたことに気付いた。


 「弁当、忘れた」


 健吾たちも既に家を出て、電車に乗っている頃だろう。もし健吾が忘れられた弁当の存在に気付いていれば持って来てくれるだろうが、そうなれば受け渡しの場面で誰かの目に留まる可能性がある。異性から弁当を渡されている姿など、誰にも見られたくない。


 かと言って健吾の作ってくれた弁当を、持って来てもらっても食べないなんてことは出来ない。


 弁当を忘れたことを健吾に連絡せず、万が一持って来てくれた場合には素直に受け取る。そして健吾も忘れていることを願う。これが今のかがみが取るべき行動の最適解だった。


 だが、結果はかがみの予想の斜め上だった。


 二限が終わった休憩時間、次の時間の授業の準備をしていたかがみの肩を叩く者がいる。あの女子生徒かと思って恐々と顔を上げると、別の女子生徒が立っていた。見知らぬ顔に「誰だ?」という表情を向けるかがみを、少し戸惑ったような顔をした女子生徒が見下ろしている。


 ついに例の女子生徒から情報が漏れ、自分につまらない興味本位で話しかけてくる輩が現れたのかと思ったが、どうやら違うらしい。


 「あの、安曇野さんに用があるっていう人がいて……」


 そういうことか、と合点する。彼女は伝令係をせざるを得なくなり、自分なんかと接点を持たざるを得なかった可哀そうな人なのだ。


 「分かった、ありがとう」


 小声で礼を述べて、かがみは席を立ち、指さされた方、教室の後ろ側の廊下へと向かう。幸いにして件の女子生徒はおらず、顔を合わせることは無かった。


 自分に用事がある人というのは誰だろう、と思いながら廊下に出ると、そこに立っていたのは穹良だった。


 「お届け物だ、かがみ。健吾が気付いて、持ってってくれって頼まれた」


 差し出されたのは、弁当の包みだ。お礼を口にしながら両手で受け取ると、微かに残っている余熱がじんわりと伝わってきた。梅雨の時期に中途半端に温かい弁当を作ってしまう健吾の愚かさを差し置いて、この暖かさが今は嬉しい。


 「どうした? 少し元気ないようだぞ?」


 「そんな事ないよ。大丈夫」


 返答にわずかな間が空いてしまったことを悔やむ。穹良にも心配されていたのかと意外さを覚える反面、普段、健吾や暮月よりも接点が少ない分、変化が見えやすくなっているのではないかとも思う。


 「そうか。ならいいが、悩みがあるならいつでも言ってくれ。力になる」


 粗暴な言葉遣いの奥に、気遣いが見え隠れしている。こんな姉を拒否していたあの頃の自分を殴ってやりたいくらいだ。


 「ありがと。その時になったらね」


片手を小さく掲げて、軽く振る。ちょうど予鈴が鳴り、穹良は高等部棟へ、かがみは教室へと戻った。


「綺麗な人。お姉さんかな。ってことはあの人も……?」


トイレから出たところで二人の別れ際を偶然見ていた女子生徒が、すれ違った穹良の後ろ姿を見ながら呟く。周囲を受け付けず拒むような雰囲気はよく似ているな、と思った。






 昼休み。昼食を食べ終わったかがみは、図書室に来ていた。外は晴れ、日向ぼっこをするにはもってこいの天気をしているが、屋上に行けば例の彼女が来る可能性がある。だから今日は、図書室で一人静かに過ごすことに決めた。


 適当にタイトルから本を選び、手近な机に腰かけてハードカバーを開く。普段読まない部類の小説だったが、だからこそ新鮮に思える。今日は文字の羅列として視界を流れ去ることもなく、頭の中で物語を映像化出来た。


 文頭へ視線を移した時、壁に掛かる時計が視界に入った。ふと、彼女に思いをぶつけてからまだ一日しか経過していないことを思い出して、妙な感慨に浸る。


 思えば、身内以外の誰かとまともに会話したのは、小学校低学年の頃以来だった。去年の十一月に暮月の頭に角が生えるまでは、学校でも彼女と話していたが、彼女が不登校になってからは、クラスメイトとは事務的な会話しかしていない。


 久しぶりの会話らしい会話をしたと思ったら喧嘩別れをしたのだから、笑えないな、と鼻で溜息を吐く。


 やめよう、とかがみは小さく頭を振る。せっかく一人で、空想の世界に入り込めたのだ。わざわざ彼女のことを思い出して不快感に浸る必要はない。


 そのはずなのに、なぜかここ数日で見てきた彼女の顔が浮かんできて、かがみの脳内を侵食していく。


 肝を焼いたかがみは本を閉じて立ち上がった。本は戻そうかと思ったが、せっかくなので借りていくことにした。カウンターへ持っていき、図書委員に預けて貸し出しの手続きをしようとして、かがみは驚きに立ち止まった。


 「なんであんたがいるの?」


 「なんでって、図書委員だもの」


 カウンター越しに座る女子生徒が、少し困ったような表情を浮かべる。


 本を借りるのをやめようか、とかがみは一瞬考えた。しかしすぐさま、その考えを否定する。もう、逃げたくないと思った。本能に従って回れ右をしようとする体を理性で押さえつけ、ゆっくりを脚を前に運ぶ。


 黙って本を差し出すと、女子生徒は笑顔を作って本を受け取り、貸し出しの手続きを慣れた手つきで進めていく。


 「一週間の貸し出しだからね。延滞しちゃだめだよ?」


 はい、と差し出された本を受け取り、かがみは小さく、ありがとう、と返す。そのまま彼女の前を立ち去ればよかったのに、かがみの脚はその場から動こうとしなかった。無言で立ち尽くすかがみを、女子生徒は不思議そうな目で見つめる。


 「どうしたの?」


 昨日、屋上でかがみが見せた剣幕はひっそりと息をひそめ、周りを拒む雰囲気すら今は纏っていないように感じられる。これが鎧を(まと)っていない安曇野かがみ本来の姿なのだろうと女子生徒は理解した。


 「昨日あんなことがあったのに、どうしてそんな風にあたしと話せるの?」


 学校で自分から誰かに話かけたのは、久しぶりのことだった。なのに、思いのほかスラスラと言葉が出てきたことに、内心大きく驚く。


 「私にも興味、持ってくれた?」


 少し嬉しそうな表情を浮かべる女子生徒の発言を聞いて、しまった、と思った。同時に、ハッとさせられた。彼女の言う通りだと、自分の中に衝撃が走るのを実感する。


 口など利かずに立ち去ればよかったのにそうしなかったのは、彼女に対する疑問を解消したいという欲求が生じてしまったからだ。それは、かがみが向けられて迷惑と感じる興味と、何ら変わらない。


 自分が嫌がっていたことを人にしてしまったと分かった途端、心が一気に萎えていった。同時に、今すぐこの場から消えたくなる。愚かな自分を氷結させてしまいたい。


 が、それではいつまで経っても変われない、と踏みとどまる。自分が拒んだ相手が、こうして未だに門戸を開いてくれているのだ。昨日ドブに投げ捨てたチャンスが、思いもよらない形でもう一度やってきた。活かさない方が愚かというものだろう。

 

 「……持った」


 「良かった」


 そしてもう一度、彼女は笑顔を浮かべる。それから少し神妙な面持ちになり、謝罪の言葉を口にしてきた。


 「昨日は、ごめんね。不快にさせる気はなかったんだけど、話しかけ方が良くなかったなって、帰ってから反省したよ」


 「……別に。私だって、もの珍しいものには気を惹かれる。不思議な事じゃない」


 「そう言ってもらえると、少し気が楽になるよ」


 なんと返せばよいのか分からず、押し黙っていると、昼休みの終わりを告げるチャイムが校内に鳴り渡った。


 「戻ろうか」


 カウンターの上を手早く片付けて、女子生徒が顔を上げる。拒んでも良かった。彼女が片付けをしている隙に、立ち去っても良かった。なのにそうせず、かがみは彼女を待っていた。そして、彼女の申し出に黙って頷いていた。


 教室までの道のり、女子生徒が「そう言えば」と切り出してきた。


 「安曇野さんってさ、私の名前、知らなかったりする?」


 視線だけを隣を歩く彼女の方に向け、すぐに正面に戻す。


 「知らない」


 「何となくそんな気がしてたけど、きっぱり言われるとちょっと悲しいよ。ていうか、始業式の日にいたよね? 自己紹介聞いてなかったの?」


 「聞いてはいたけど、忘れた。口利かない奴の名前を知ってても意味ないし」


 「でも私の名前は知ってた方がいいんじゃない?」


 完全に掌の上か、と思いながら、観念したような声音で「そう、だね」と返す。なぜこの状況に甘んじているのか自分でも分からなかったが、不思議と悪い気分ではなかった。


 「葉山 葵っていうの。良かったら覚えといてね」


 「葉山、葵……」


 聞いた名前を小声で口にし、反芻する。そして一つの小さな疑問が、かがみの中に浮かび上がってきた。


 「……葉ワサビ?」


 「あ、言ったな! 人が気にしてることを言ったな!」


 笑いながら怒られて、かがみは目を白黒させる。まずいことを言ったのだろうか。でもどこか嬉しそうにも見える、かがみにとっては不可解な反応だ。

 

 人と付き合うのは難しいな、と思った。同時に、興味深いとも思った。


 かがみが、自分の知らない自分に出会った瞬間だった。

 

 


 


 



 


 

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