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三章7 不注意の代償


 穹良が健吾に昼食提供の依頼をする一週間ほど前。


 かがみは、体育館に併設された更衣室で、体操服から制服に着替えていた。

 

 三限の体育の授業が終わり、日直のかがみともう一人の女子生徒は授業で使用した機材の片付けをしていた為、他のクラスメイトよりも着替えるのが遅くなってしまったのだ。だから今、更衣室にはかがみのほか、もう一人の女子生徒が着替えをしていた。


 早く出よう。


 そう思いながら、かがみはスカートのホックを閉め、チャックを上げる。あとはベストを着て靴下を履けば、着替え完了だ。一度解いてしまった髪は、教室に戻る過程で結い直せばいい。


 早く出よう。


 ベストに袖を通しながら、うわ言のように心の中で繰り返す。


クラスメイトとの交流を極力避けているかがみは、誰かと二人きりという状況が一番苦手だ。理由は単純明快。相手の意識が向く対象が、自分しかいないからである。他にもう一人でもいればこの空間における自分への注目度が薄まるのだが、二人きりの状況では自分以外に注意を向ける相手がいない。


 もしこんな状況で不注意から声を上げたり、派手に物を落としたりすれば、間違いなく接点を持ってしまうだろう。そんな事態を避けるためには、慌てず急ぐしかない。幸いにして彼女は、まだ下着にブラウスを羽織った程度だ。このペースで着替え終われば、向こうが着替え終える前に更衣室からおさらばできる算段だった。

 

 そのはずなのに。


 気が急いて、靴を履く前に更衣室から出ようとしたのが、大きな過ちだった。開き戸を奥に押して更衣室から出ようとしたとき、右足の小指をドアの枠に強打したのだ。


 「っっっーーーー!!!」


 「ちょっと、大丈、夫……?」


人間とほぼ同じ体の構造を持つ半竜の痛点は、人体に準じている。いかに強力な力を有した半竜と言えど、足の小指強打は痛い。


 声もなくゆっくりと崩れ落ちたかがみを見て、ようやくスカートを履いた女子生徒が心配そうに声を掛ける。が、気遣いから発せられた声は、驚愕にかすれた。


 「……え?」


 何か見てはいけないものでも見てしまったかのような女子生徒の声に、かがみは右足の小指を必死にさすりながら振り返る。そして視界の右端に移り込んだものを見て、絶句した。

 

 青みがかった透明の、妖精のそれを思わせる四枚の羽が顕現し、蛍光緑色に輝く可視竜力が溢れてしまっていたのだ。


 かがみがいままで努力の限りを尽くして隠してきた正体が、たった小指を殴打しただけで、露見してしまった。かがみの自己防衛本能が、痛みから彼女を守るためにとった処置が、今までの苦労を一瞬で無駄にした。


 そのことを一瞬で悟ったかがみの表情は凍り付き、動揺で揺れる目を女子生徒に向ける。女子生徒も怯えたような目をし、声を漏らすまいと口元に手を当てる。


 バレた。


 その一点のみが、かがみの思考を支配し、正常な思考能力を奪う。ゆっくりと羽が薄くなり、霧散して消えると同時に、かがみは生気を失ったように立ち上がる。


 バレた事実は、もうなかったことには出来ない。なら、これからどうするか。今後の動き方次第では、健吾や穹良にも迷惑を掛けることになる。それだけは避けたい事態のはずなのに、かがみの思考は全くもって冷静ではなかった。


 「……誰かに漏らしたら、許さないから」


 殺意のこもった視線を向け、それだけ告げると、かがみは女子生徒に背を向け、更衣室を後にした。その後ろ姿には妙なオーラのようなものを纏い、他を寄せ付けない雰囲気が漂っている。


 「……あ、あの」


 なんと声を掛ければよいのかは分からないが、声を掛けずにはいられなかった。だがかがみが振り返ることは無く、代わりに、女子生徒の目線の高さの壁が、ピキピキと音を立てた。そこで目にした光景は、人間である女子生徒には到底理解し得ないものだった。


 壁を侵食するように広がる氷の面が、水色に輝いたかと思った瞬間砕け散り、霧散する。氷が張ったはずの壁には何の痕跡もなく、まるで何も起きなかったかのようだ。

 

 壁面を呆然と眺めていた女子生徒は我に返ると、慌てて空いたままの更衣室入り口の方に顔を向ける。そこにはもう、かがみの姿はなかった。


 「……ははっ、夢でも見てたのかな」


 正常性バイアスが、彼女にそう思わせる。女子生徒はやがて手を動かし始め、着替えを済ませて足早に更衣室を後にした。


 次の授業の時間まで、あまり猶予はなかった。


 その日、女子生徒はかがみへの興味を向けずにいることが出来ず、放課後までかがみをこっそりと観察し続けた。観察して初めて、かがみが常に一人でいることを知った。自分が友達と楽しく昼食を摂っているときも、放課後に部活に行くときも、一人であることを始めて知った。


 「葵、部活行こ」


 葵と呼ばれた女子生徒は「あ、うん」と生返事を返すが、視線は窓際でこちらに背中を向けて立つかがみの方へ向いている。


 寂しい背中だな、と葵は思った。同時に、話してみたいな、と思った。あんな綺麗な羽を持つ人がどんなことを話すのか、興味があった。でも興味本位で話しかけてはいけない相手な気もした。


 だから、明日の朝挨拶してみようと決意した。その時の反応で、今後話しかけてみるかどうするか判断すればいい。全く言葉を交わさないまま、話掛けてもいい相手かどうかを判断するのは、時期尚早だと思った。


 「部活行こっか」


 外を眺める孤独な背中に心の中で「また明日」と告げてから、葵は部活に向かった。








 その日の夜。健吾の家の台所。


 「ちょっとかがみん、焦げてるんよ」


 「え? あ、ごめん」


 暮月の声で現実に引き戻されたかがみは、慌てて手元のフライパンに目を向ける。炒めていたキャベツの一部が真っ黒になっていた。燻った油の煙を吸い込み、軽く咳き込む。一度火を止め、換気扇の出力を上げてから、深呼吸する。


 「どうしたん? 学校でなんかあったん?」


 心配そうな表情で顔を覗き込んでくる暮月の頬に手を当て、優しく押し戻すように擦る。


 「ううん、何でもない。ちょっとぼーっとしちゃっただけ」


 頭の中に陣取って思考力を奪う今日の記憶を、かがみは首を振って払う。暮月に勘付かれて心配されているようでは、事態を解決する前に健吾にもばれてしまうだろう。それだけは避けたい。自分が蒔いた種は、自分で刈取りたい。


 そう思いながら、かがみは暮月の手に当てていた手を上に動かし、頭にのせる。硬い角の先に指が当たり、彼女が半竜である象徴を撫でる。


 暮月の角は本人の意思で隠せないが、だからこそ他人が隠し方を考えることも出来る。だが、かがみの羽は彼女の意思によって制御するため、隠し方はかがみの中にしかない。いくら理性で制御しようとしても、本能が彼女の危険を察知すれば、自動的に彼女を守るために顕現してしまう。


 もし自分が有翼半竜なんかでなければ、こんなことに悩まなくていいのに。


 でもそんなことを考えても、状況は好転しない。今度は自分が、健吾を守るのだ。


 「ほんとに大丈夫なん? なんか、いつもと違うんよ?」


 「大丈夫。さ、続き作んなきゃ。あんたも手伝って」


 「うん。何すればいいん?」


 暮月が腕まくりをし、両手でガッツポーズをする。


 そんな二人の会話を、健吾は曇りガラスが貼られた引き戸越しに廊下で聞いていた。会話の内容が指し示すものまでは分からないが、かがみに何かしらの異変が起こったことは容易に想像できた。


 「正体、バレた、か? だとしたら穏やかじゃないけど、本人がどうするか、様子を見るか。バレたと決まった訳じゃないしな」


 楽観したわけではない。もしバレたのだとしても守ってあげることが出来る自信があった。それに、内弁慶のかがみには、丁度よい試練かも知れない。


 「楽観、かもな」


 小さく口にしてから、健吾は二階の自室に向かった。

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