三章6 健吾作の弁当を囲む
「うちの名前はくっれつきー。うちの種族はつっの付きー」
健吾の義妹にして半竜の少女、弥涼暮月は、西島家の台所で、不規則なリズムを刻みながら自作の歌を口ずさんでいた。体を小刻みに揺らし、頭を左右に振りながら皿を拭く姿を、同じく健吾の義妹である安曇野かがみが心配そうに見つめる。
「歌うたいながらなのはいいけど、落として皿割ったりしないでよね」
「大丈夫なんよ。それにしても、にいにたち遅いんね」
家事が壊滅的に出来ない暮月ではあるが、健吾やかがみの監督の元、少しづつ出来ることを増やそうと努力している。努力しているのは良いことなのだが、その努力が片手間に見えるのが、かがみの不安を煽っていた。
「今日は部活のある日だからでしょ。もうすぐ帰って来るんじゃない?」
ちらりと目をやった先にある壁掛け時計は、十八時四五分の位置を指し示している。乗る列車の時刻にもよるが、そろそろ帰ってきても良いはずだ。
「にしても、今日は随分上機嫌ね」
かがみは視線を壁の時計から、暮月の後ろ姿に移す。後頭部の陰から覗く二本の角が、小刻みに左右に揺れている。
「今日はなんか、そういう日なん。なんでなんだろう? ねえねが今日も来るって分かってるからなんかな。うちに尻尾でも生えてたら、ふりふりしたい気分なん」
そう言って暮月は小さくお尻を振る仕草をする。ミニスカートとニーハイソックスの隙間から見え隠れする太ももの肌色に、かがみは同性でありながら目を惹かれた。かがみのものよりむっちりとはしているが、かといって太いわけではない暮月の太ももは、膝枕にちょうどよさそうである。
「あんたは隠せない角を持ってるんだから、尻尾まで生えちゃったらもっと外出が難しくなるじゃない。尻尾って、仕舞いにくいんでしょ?」
半竜の中には、外観に変化が現れる者がいる。穹良やかがみは背中に翼が現れる有翼半竜、暮月は頭部などに角が現れる有角半竜である。他には、尻尾が現れる有尾半竜、鱗が現れる有燐半竜、爪が鋭くなる有爪半竜などがあり、表面化する特徴によって呼び名が異なるが、総じて判可半竜と呼ばれる。
この判可半竜にも、自身の余剰竜力が外的特徴として表れる場合と、骨格が変容してしまう場合の、二つのタイプが存在する。前者の場合は、自身の竜力を操ることで、外観を操作することが出来る。しかし後者の場合は、外観の操作は困難だ。
「尾骨が伸びるから、難しいらしいんなー。生えたら、にいにはどんな顔するんかな。悲しむんかな」
「可愛い感じの尻尾だっらたら、悲しまないかもねー。それこそ、猫みたいな尻尾とか。その角、猫の耳っぽいし、あんた猫っぽいし、ちょうどいいんじゃない?」
「それもそうかも知れないんな」
二人の少女の笑い声が、台所にこだまする。と、その時、玄関で鍵が開く音がした。ガチャリという開錠音と、コーポ長屋の歴史を感じさせる蝶番の軋む音がして、健吾の帰宅を告げる声が台所まで届いた。次いで穹良の、来訪を告げる声が、控えめな声量でありながら台所まで届く。
「お。帰って来た」
かがみがそう口にするのと同時に、暮月が台所を飛び出して出迎えに行く。彼女の仕草は猫っぽいが、態度は犬っぽいなと、暮月の残した洗い物を片付けながら、かがみは物思いにふける。
玄関に小走りで向かって行った小さな足音は、すぐに三人分の足音になって戻ってきた。先頭の暮月に続いて健吾が台所に入り、少し遅れて穹良が敷居をまたぐ。
「ただいま、かがみ」
「ただいまなん、かがみん」
「あんたは外出してないでしょ」
暮月のボケに対するかがみのツッコミに、穹良がフッと笑う。声を上げて笑うところはまだ見たことないが、それでも今のように笑う機会が増えてきた。健吾の家に通うようになってそれなりに時間が経ち、口数も増えてきたように感じる。
「かがみ、健吾にはもう話をしてあるが、今後しばらく私の昼飯も作って貰うことになった。代わりに、作るのを手伝わせてもらいたい。手間をかけると思うが、よろしく頼む」
「それって、あたしに料理を教わりたいってこと?」
そういうことなのだろうか、と一瞬考え込んで、少し違うような気がしながらも、穹良はおもむろに頷く。
「そう、言うことだ」
穹良の答えを聞いて、かがみは少し意地の悪い笑みを浮かべる。姉が自分に頼みごとをしてくる、つまり下手に出てくる、という状況が心地よかった。
優越感に浸るかがみに、健吾は小言を漏らす。
「お前はそんなに料理しないだろうが」
「いいの。今はそういうことにしといてよ」
「うちもねえねにご飯作るんよ」
「それは遠慮させてくれ」
穹良なりのやんわりとした拒絶に、暮月が残念そうな表情を浮かべる。
平和な、そして賑やかな夕べであった。
翌日。
「で、作って貰ったのがそれですか?」
明け方まで降っていた雨がやみ、久々の晴れ間を享受できた昼下がり。穹良と璃那、雪灘の三人は、屋上でベンチに腰掛け、弁当を広げていた。昨日までの雨のせいで座れないかと思ったが、中途半端な晴れ間ではなく快晴に近い晴れなため、ちょうどよい具合に乾いていた。
「作って貰った、ではない。私も作った」
掌の中の弁当箱から目を離し、穹良は抗議の視線を左に座っている璃那に向ける。その頬には、ご飯粒が一つ。
「ちょっとちょっと、何を抗議してるか知らないけど、ご飯粒付いた顔じゃ何の説得力もないよ」
穹良の右側に座っている雪灘が身を乗り出し、穹良の頬に手を回す。ご飯粒を取り除いてもらうと、「む、すまん」とお礼を口にする。
「で、何の話なの?」
身を乗り出した状態のまま、雪灘は興味深そうな視線を向ける。それから何かに気付いたように、穹良の持つ弁当箱に目を向けた。
「それって、健吾の?」
使い込まれたような、くすんだ光沢を放つ二段式のアルミ製弁当箱には見覚えがあった。中学生の健吾が一人で摂る昼食とほの暗い青春が詰め込まれていた、雪灘にとってもあまり良い思い出のない代物だ。
「そうだ。借りることになった」
「穹良、いっつもコンビニ弁当を食べてるので、それはどうかと思って、西島さんにお昼を作って貰うことを提案したんですよ。そしたら、次の日には作って貰ってるんです。すごくないですか?」
半ば信じられないというようなニュアンスをにじませつつ、雪灘に同意を求める。が、雪灘が抱いたのは、全く別の感想だった。
「へえ、そうなんだ。最近の健吾は明るいし、変わったんだね。穹良とか璃那に会ったからかな?」
一人感傷に浸る雪灘を見て、同意を得られると思っていた璃那は困惑顔になる。健吾から雪灘との過去の話を聞いていた穹良は、弁当箱を見つめたまま、「そうかもな」と呟いた。
「あれ? 私、置いてけぼり食らってます?」
状況を何となく察した璃那が、ちょっと不安そうな顔を穹良と雪灘に向ける。そんな彼女の様子が可笑しくて、顔を見合わせた穹良は失笑し、雪灘は声を漏らして笑った。
「ちょっと、笑わないで下さいよお」
「や、ごめんごめん。中学時代の健吾は暗かったんだけど、高校に入ってから明るくなった気がするから、もしそうだとしたら二人のお陰かなって話」
真剣な表情で抗議する璃那をフォローして、中学時代の話の幕引きを図る。別に過去の話を隠したいわけではないが、今話すのは面倒に思えた。
「そういうお話ですか? まあ、無理に聞こうとは思いませんけど。でも西島さんが昔暗かったってお話は、やっぱそうなのか、って感じがしますね。私は今の西島さんしか知りませんが、片鱗は見える気がします」
流れゆく雲を見上げながら呟く璃那のコメントに、雪灘がしみじみと返す。
「あたし絡みのこととかで、色々あったからねー。でもなんで、穹良が健吾にお弁当作って貰うことになったの? 自炊は?」
「だから、作って貰ったのではない。私も作ったと言っただろうが」
「うん。で、なんで?」
完全に作って貰ったと思われてサラッと流されたことに、穹良は不満げに半眼を作った。だが内心としては、自分が半竜であるにも関わらず、そのことを気にしている風でもない雪灘の態度が、少し嬉しかったりする。
「……自炊が出来んのだ。勉強も兼ねて、手伝っている」
「へえ。でも健吾も作ってあげちゃんだから、ってことは、ねえ」
「やっぱり、そうですよね。そういうことだと思いますよね。でも、穹良ったら、まるでそんな風に思ってないようなんですよ」
すると雪灘は、なるほどと頷いて。
「だから、翌日には作って貰えちゃってる訳か。健吾も可哀そうに」
哀れな健吾を弔うように胸の前で十字を切ってから、合掌する。
「おい、今度は私を置いていくつもりか。それと、私も作ったという話を少しは信じてくれてもいいだろう」
左右に座る璃那と雪灘を交互に見ながら、精一杯の抗議を叩きつける。しかし、当然と言うべきか、二人の反応は軽かった。
「あ、はい。で、穹良はその中で何を作ったんです?」
「え?」
想定しているであろう問いを投げかけたはずなのに、まるで想定していかなかったかのような反応をする穹良に、璃那は疑問符を宿した目を向ける。視線を向けてくる璃那の顔と、手にした弁当箱の間で視線を泳がせる穹良の顔を、雪灘も不思議そうに覗き込む。
「この中のどれを作ったんです?」
二段の弁当箱の一段目には卵焼き、ゆでブロッコリー、チーズハンバーグ、唐揚げと、二段目には赤しそのふりかけが掛かったご飯が詰め込まれている。穹良の言う「自炊出来ない」がどの程度のものか二人には分からないが、既製品を使えば自分で調理できないこともなさそうだ。
「いや、その……」
不意に弁当箱を隠すような仕草をし、今までの話をなかったことにしようとし始める。だが、時すでに遅し。閉じ切った包囲網に焦りを積もらせるが、どうすることも出来なかった。
「もしかして、嘘つきました?」
「嘘ではない。だって、そうだろう。誰が今日持ってきた弁当を作ったと言った?」
「こら、屁理屈言うな」
清々しいほどの屁理屈と逆ギレに、雪灘が穹良の頭を小突く。何をするんだと言いたげな目を向けてくる穹良のほっぺを押し戻すが、視線は残ったままだ。
「まあ確かに、お弁当を作ったとは言ってませんでしたけど、じゃあ、他の何かを作ったんですか?」
しょうもない屁理屈に溜息を吐きながら、一応聞いておこうと質問をしたが、返って来た答えに璃那は落胆することになった。
「今朝の味噌汁を」
「今朝の味噌汁を?」
「かき混ぜた」
「かき混ぜただけ!?」
穹良の返答に雪灘は笑声を上げ、璃那は両手で顔を覆う。男子にお弁当を恥じることなくせがんだ穹良が、台所でただただ味噌汁の鍋をかき混ぜている姿は、二人の脳内にはシュールな光景として映し出された。
「え、他には、何もしてないんですか?」
まさかそんな訳はないだろうという思いも込められた璃那の問いに、何を馬鹿なことを言っているんだという思いを込めた視線を向けて。
「コメが炊き上がった炊飯器の保温スイッチを切ったぞ」
雪灘は更に笑声を上げ、璃那はだめだこりゃと言わんばかりに首を振る。
なんとも平和な午後のひと時であった。
そんな屋上での三人の様子を、中等部棟の屋上から眺めている人物がいた。ポニーテールにまとめた深みのある青色の髪を風に揺らしながら、文字通り遠くを見るような目で三人の楽しそうなやり取りを眺める。
「あっち、楽しそうでいいなあ……」
口に出してから、かがみは、随分と高望みするようになったものだと自嘲する。穹良が来るまでは周囲の誰かを羨むことはほとんどなかったのに、今はこうして楽しそうに友人たちと昼食を囲んで楽しそうにしている穹良が羨ましい。
半竜であることを隠し通すための最善の策は、誰とも接しないことだ。だから誰とも接しない学校生活を送って来たのに、かがみの苦労はものの数か月であっけなく水泡に帰することとなった。
その元凶がいま、屋上へ通ずるドアを開けてかがみの背後に現れる。
人と接することを避けてきたかがみが、接せざるを得ない状況に追い込まれた。では、どう対応すればいいのか。平和な昼下がり、かがみの孤独な戦いが始まろうとしていた。




