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三章2 リハビリ


 日没の遅さを実感し始める五月中旬。時刻にして午後六時。健吾は、陸上自衛隊新琵琶駐屯地の地下五層の零式格納庫管制室と隣接する一室で、とある特訓に励んでいた。それは、健吾のもう一つの体を自由に動かす訓練である。


 『次、左手の人差し指だけ曲げてみろ』


 健吾のヘッドセットから、駐屯地司令である佐藤影美一等陸佐の声が聞こえてくる。健吾は周囲から隔離されたこの部屋で、パイプ椅子に座り、格納庫の隣の試験区画に移された零式歩行戦機<トラク>を意のままに動かす訓練を、かれこれ五時間近く行っていた。


 「司令、俺なんかの訓練に付き合ってる暇あるんですか? 他にも仕事があるんでしょ」


 眉間に皴を寄せ、震える左手を右手で押さえながら、健吾は押し殺した声を佐藤に届ける。


 この訓練は、健吾のもう一つの体である<トラク>を、健吾の思うままに遠隔操作する訓練である。通常人が自分の体を動かす際には、脳からの信号を運動神経を通じて送るが、健吾が<トラク>を動かす際には彼固有の竜力を介して行う。しかし健吾はその竜力の送受信がうまくいかず、脳内で操り人形を操作しているような感覚に陥っていた。


 もしくは、長さ十メートルの竹ひごの先端に刺した団子を、十メートル先にいる人の口に運ぶような感覚である。苛々ばかりが募り、正直、こんな訓練はさっさと終わらせて帰りたい。


 『ああ、気にするな。俺は今日非番だ』


 試験区画の管制室から左手を震わせる<トラク>を興味深そうな目で見守りながら、健吾の毒が含まれた声にさらりと応じる。


 「……畜生」


 『聞こえてるぞー。次、右手首を内側に九〇度回転させてから、薬指だけ立ててみろ』


 「間違えて中指立てたら、怒ります?」


 『やってみればいいだろ』


 「やめときます」


 『そんな軽口叩ける余裕があるなら、さっさと自分を思い通りに動かせるようにしてみろよな。じゃないと、守りたいものを守りたいときに守れないぞ』


 溜息交じりの佐藤の言葉に、健吾は返すことが出来ずに押し黙る。同時に心の中で思わず、「そんな事分かってる」と呟いた。


 竜宮市に二頭の飛竜が飛来したのは、既に二十日前の話となる。天智駅周辺を廃墟と化した飛竜のせいで健吾の義妹である安曇野かがみが死にかけた際、健吾は彼女を助けることが出来なかった。


 入学式の日に自分が死にそうになった際には<トラク>を召還して助かったのに、である。


 『自分が危機に晒されるか、他人か。たったその差を埋められなかったが為に、お前は大切だと言っていたはずの妹さんを見殺しにしかけたんだ。年長者が守護者を持つ意味を、お前は果たせなかった。次は無いと思って自分を乗りこなさないと、本当に失うことになるかも知れないことを心に刻み込め』


 佐藤の言葉には、厳しいものがある。だが、事実であることも確かだ。


 守護者を持つのは、兄弟の長子である。それは長子が下の兄弟たちを脅威から守るためだと言われている。例え血が繋がっていなくとも、力が強く、守るべきものがある者は、守護者を得る。ただ、守護者が人間の目に視認できるほどの形質を持つ例が稀であり、明確な存在を伴うほど強力な守護者、すなわち零式を所有しうるほどの力を持った半竜の数は極めて少ない。


 不可視の守護者は時に、守護霊と混同されたりもする。


 「……分かってます。でも、もうこの訓練始めて一週間近く経つんですよ? なんで、こんな、自分の手すらまともに動かせないんですか」


 そう、訓練を始めて既に六日が経過していたが、健吾は<トラク>の指をかろうじて動かせるようになった程度で、自在に操るとは程遠い現状にあった。


 『まあ、ある意味仕方がないことだ。今までこいつの存在を意識せずに生活してきたんだろ? そりゃ、パイプも途切れるさ。お前とこいつの関係は、関節だけで繋がれた体を動かそうとしてるようなもんだ。神経も筋肉も、まともに繋がっちゃいない。いや、これ以上にないくらい衰えた状態と言った方がいいかもな』


 「そういうこと、なんですか。すみません、自分の体の事なのに、何にも知らなくて」


 『全く意識しないくらいの方が、()()()()()生活が出来るってのは理解できる。それに、自分の体のことを自分が一番知ってるんだったら、医者の仕事が半分くらい無くなっちまう。余計な事考えてないで、お前は早くお前を動かせるようにしろ。先月暴れた連中だって、まだ足取りが掴めてないんだ。<ルシフェル>の所有者が穹良ちゃんだと割れてる時点で、また仕掛けてくる可能性もある。早く、しっかり動かせるようにしろよな』


 佐藤の最後の一言には、健吾にはどこか温もりのようなものが含まれているように感じられた。自衛官として、健吾の一応の上司としてではなく、古くからの知人としての忠告に聞こえた。

 

 「はい」


 大きな声でではないが、健吾は確かに返事を口にする。必ず<トラク>を自分のものにし、かがみや暮月を守る力とするために。


 健吾は一度肩の力を抜き、深呼吸する。大丈夫と自分に言い聞かせ、<トラク>との微かな流路に竜力を流し込む。砂に水がしみ込んで表流水とならないような感覚だが、流れた跡は微かに残った気がした。


 それは、健吾と<トラク>が確かに繋がった感覚。入学式の日に感じた、自身の体に力が流れ込んでくる感覚とそっくりな、繋がっているという実感。


 「いいか、お前は俺だ。俺の手足なんだ。俺を守れ。俺の望むように、動け」


 目を瞑る健吾の脳裏に、おぼろげな映像が流れ込んでくる。色彩の彩度は著しく低く、ノイズが混じるように不鮮明だが、そこに映るのは、試験区画の管制室からこちらを見る佐藤の姿だ。


 「これは、俺の……?」


 <トラク>が見ている風景が脳内に流れ込んできたという事実に驚いて、健吾は思わず集中を切らせる。途端、繋がっていた感覚はまるで電源が落ちたようにぷっつりと繋がらなくなり、脳内の映像も嘘のように消えてしまった。


 『限界だな、今日はあがろう』


 佐藤の声が耳の中で響き、健吾はひどく緩慢な動きでヘッドセットを外した。大きなチャンスをみすみす逃したような喪失感が胸中に湧き上がり、小さな溜息と共に視線を落とす。


 「お疲れさん。あれ、どうした?」

 

 部屋に入ってきた佐藤は、健吾の落ち込んだような姿を目に留めると、俯く健吾の顔を覗き込むように身を屈める。


 「さっき一瞬、しっかりと繋がれそうだったんです。でも、集中が切れちゃって、繋がれませんでした」


 「そうか」


 たった一言、そう返すと、佐藤は健吾の向いに腰を下ろした。しばしの沈黙ののち、佐藤が口を開く。


 「子供の時ほど純粋で、行動に迷いがない。でも、例えまだ子供でも、高校生ともなれば迷い、躊躇い、行動が遅くなる。大人になればなおさらだ。しがらみに囚われて、立場が足枷となって、ちょっと行動を起こすことすら億劫になる」


 不意に語り出した佐藤に、健吾の不思議そうな目が向けられる。そんな視線を自覚しながらも、佐藤は気にすることなく話を続けた。


 「あの機体が顕現したのは、お前が十歳の頃だ。ちょうど、妹さんがいじめられて転校したころだな。通説を信じるなら、お前の、妹さんを守りたいという純粋な意思が<トラク>を生み出したことになる。でもそれより五年も前に、お前は他人の零式を動かしている。その時も、きっと純粋な気持ちが零式を動かしたんだとすれば、今のお前の中に、<トラク>を動かすことにブレーキを掛ける要因がある気がするんだ」


 ブレーキ。その言葉を聞いて、健吾は無意識に目を泳がせた。何とは明言できない、しかし何かが胸の奥に引っかかった気がして、健吾は顔を上げる。


 「さっき、一瞬つながったと言ったな。ちょうどその時、<トラク>の指の動きがスムーズになった。まるで何かが吹っ切れたように、な。でもすぐに、元に戻っちまった」


 「俺は、」


 「ん?」


 「俺は、怖いのかも知れません」


 視線を机の上に彷徨わせながら、健吾はぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


 「なんかもう、自分の中でも今更何考えてんだって気もしてるんですけど、でもやっぱり整理がついてないんだろうなって。あんな力の塊を動かせちゃう自分はやっぱり人間じゃなくて半竜なんだなって、それが嫌って訳じゃないけど、不気味って言うか。穹良は、たまに半竜としての性質って言うか、そういうのが言動に出ちゃってるんです。周りの人が何とか隠しているけど、きっと長くは持ちません。それで、もしかしたら自分も、自分の気付かないところで、人間じゃないところが出てるかも知れないと思うと、怖くて。でも、きっと自分が人間だったら、かがみや暮月のことを守りたくても守れないかも知れない。だから自分も半竜で良かったんだろうって頭では思えるんです。思えるんですけど、なんか、実感は出来ないって言うか」


 「頭で理解するのと、実感するのは違うからなあ」


 髭の剃り跡を撫でながら、佐藤は天井の蛍光管に目を向ける。試験区画に移していた<トラク>を格納庫に戻す機械の低い音が、静かに響いている。


 不意に佐藤の胸ポケットで呼び出し音が鳴り、佐藤は健吾に断りを入れてからスマホのスピーカーに耳を傾けた。数言の短いやり取りを交わして電話を切ると、スマホをポケットに戻して立ち上がる。


 「健吾、ちょっと外の空気を吸いに行こうか」


 「え、あ、はい」


 佐藤からの唐突な誘いに少し困惑しつつも、健吾は立ち上がって佐藤に付いていった。 

 

 


 

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