一章5 ホームルーム
「……以上で入学式を終了します。新入生、退場』
体育館内に響く司会の副校長の声と、明らかにやる気のない在校生の拍手の音を聞きながら、健吾のテンションは最低レベルにまで下がっていた。
弱冠十五歳の若者がこんなに覇気がなくていいのか、もっと新生活に心ときめかせるべきではないのか、と言うような一般論的な疑問が頭の中で持ち上がったが、次の瞬間にはその疑問を無造作に踏みつぶしている健吾がいた。
「なにが皆さんをお待ちしていました、だ」
「え、何? 不満ごと?」
心の中だけで呟いたつもりだったが、どうやら無意識のうちに口から洩れていたらしい。退場する列で隣を歩く真が、こちらに顔を向けてくる。
「まあな。なんつうか、式って名前の付く行事が嫌いでさ」
へえ、と応答して、真が続きを聞きたそうな雰囲気を醸し出す。その空気感を感じ取り、健吾は溜息交じりに続ける。
「大体、来賓の式辞でほぼ必ず出てくる『皆さんをお待ちしていました』の『皆さん』って、誰のことを指してんのか分からん」
学校生活に限った話ではないが、毎年毎年人が出て行っては入ってくるだけの、川の流れみたいなものではないか。
クラス内で『みんな』と表現されたときに、その『みんな』の中には居なかった健吾にとって、待たれていようがそうでなかろうが、関係のない話だ。勝手に入学し、三年経ったら勝手に卒業してゆく。ただそれだけのことに、いちいち儀式的行事を挟む必要性が健吾にはよく分からなかった。
「んなこと言ったって、社交辞令に文句付けたってしょうがないでしょうよ」
「まあ、そうなんだけどさ」
そうは言う真も、先程教室を出るときには皮肉を言っていた。きっと真も、多少の反発と言うか、入学式に対して思うところがあるのだろう。
「確かに先輩方の姿勢も『式かったりー』って感じだし、歓迎されてる気はしないね。まあ歓迎してほしいとは一ミリも思ってないけど。来賓の挨拶なんかいちいち聞いてないし」
やっぱりそうだったか。
真の賛同的な意見を聞いて、健吾は少しだけうれしかった。
入学式を終えて教室に戻ってきた健吾たちは、ホームルームで担任の先生の紹介と、今後の予定についての説明を受けていた。担任は若狭とかいう新任感丸出しの、小柄でショートカットの若い女教師だ。どうやら完全にテンパっているようで、先程から何回も噛んでいる。何とも頼りなさげな教師だが、見方を変えれば親しみやすい、生徒受けのいい先生なのかも知れない。
だが健吾にとっては、担任がどんな人であろうと関係ない。今まで担任に頼った記憶はないし、助けられたこともない。有事の際に助けてくれるとも思っていない。だから健吾は、担任という存在すら必要ないと思っている。
健吾が担任不必要論を唱えるには、理由がある。かがみが小学一年生の時、かがみが有翼半竜であることを健吾がうっかりクラスメイトに口走ってしまったばっかりに、校内中にかがみの正体が半竜であるといううわさが校内中に触れ回ったことがあった。その時のかがみの担任はかがみを守ろうとはしてくれず、結局健吾たちは追い出されるようにその学校から転校した。
口を滑らせたのは完全に健吾に落ち度があったのは事実だ。だが小学生一人の言葉を鵜呑みにし、転校に追いやったあの担任を健吾は許していない。
あのままあの学校に居続ければかがみはいじめられていたかもしれない。そういう面で考えれば転校するのは妥当な判断だっただろう。しかし、そう割り切れるほど当時の健吾は大人ではなかった。
学校は半竜を守ってはくれない。
その事実だけが、健吾の記憶にはっきりと刻まれている。だから健吾は、教師という人種を信じていない。
だが、健吾の前に座る男にとってはそうではなかったらしい。椅子に座ったまま軽くのけ反るようにして健吾に顔を近づけ、声を掛けてきた。
「なあ健吾、あのセンセ、可愛くない?」
「ああそうだな、可愛いな」
何となく予想できた問いを投げかけてくる真に、健吾は間髪を置かず答える。その応答速度の速さに、真は一瞬目を点にした。
「なんだ、思ってないならそう言ってくれていいんだぜ?」
あまりにも素っ気ない健吾の返答に、真はわざとらしく息を吐く。
「俺は教師っていう職業が嫌いなんだ。担任なんか誰でもいい」
「いやいや、別にお前が教師嫌いでも俺は構わないけど、好き嫌いと可愛い可愛くないは別問題だろ。で、お前はどう思うんだよ?」
確かに、真が聞いてきているのはあの担任が可愛いと思えるか否か、だ。健吾の教師に対する考えを聞いているのではない。議論がずれたことに心の中で謝ってから、あまり答えたくない質問にしぶしぶ返答する。
「可愛いかって言われたら、可愛いとは思うけど」
「だろ? あれで授業が面白かったら最高だよな」
「まあ、そうだな」
正直、この話題に付き合うのは疲れた。そう思っていると、若狭に指名された窓側列の先頭の生徒が立ち上がって、名前を名乗りだした。自己紹介が始まったのだ。
窓側の列の自己紹介が一番後ろの席まで行くと二列目の先頭からまた始まる、という風にして進んでいき、あっという間に健吾のいる列の番が来た。これまでの自己紹介をしてきた人の中にはクラス中の笑いを誘うような発言をする人が数人いた。きっとこういう人がクラスの人気者になっていくのだろう。こういう人には、健吾のような日陰者の気持ちが絶対に分からない。もっとも、他人の自己紹介に関心のない健吾には、誰がうける発言をしているのかは分からなかったが。
やがて順番が回ってきて、名前を呼ばれた真が返事と共に立ち上がる。名前と出身中学校を述べ、ちょっとしたことを話してクラスの笑いを誘っている。
真も話し上手なのだろう。話し上手は聞き上手というが、真はきっとそれだ。健吾が嫌な気分にならずに真と話せているのも、彼の聞きスキルによるものだろう。
真が席に着くと今度は健吾の番だ。今までの流れで何か面白いことを言うような空気になっているが、健吾はそうしなかった。否、出来なかったと言った方が適切かもしれない。
「西島健吾です。よろしくお願いします」
名前という、最低限の個人情報だけを開示して、健吾は即行で席に着いた。今までの全員が言っていた出身中学も最初の人が勝手に言っただけで、強制ではない。担任の若狭はもう少し何か言ってほしそうにモジモジしていたが、すぐに次の人に進んだ。
本当はここで他の人と同じように自己紹介できれば、真以外にも知り合いが出来るのかも知れない。かがみに友達を作れと言っている以上、こちらが手本になるくらいの心づもりではいた。だが、いざ実行しようとなると、予想以上に巨大な壁が健吾の中にそびえたち、健吾が一歩を踏み出すのを阻止していた。
――――こんなことも俺はまともに出来ないのか。
不甲斐なさが、健吾の心に重たく圧し掛かっていた。




