二章32 暴露
帰宅した健吾とかがみを出迎えたのは、心配から解放された顔をした暮月のダイブだった。
「お帰りー!!」
健吾の胸に飛び込んできた暮月を何とか受け止めようとしたが失敗した健吾が、玄関ドアに背中を打ちつける。ドンという音と共に健吾の肺の空気が一気に押し出されたが、今は自分の体の心配をするよりも暮月の感情を受け止める方を優先した。
「おぅ、ただいま」
暮月も半竜である。ゆえに膂力は普通の女の子のそれを凌駕する。何が言いたいかと言うと、抱き絞められて、肋骨が軋んで痛い。
裏を返せば、それだけ心配していたのだろう。健吾の胸の中で顔を上げた暮月の目は赤く腫れ、右の鼻の穴からは鼻水が覗いている。
「大丈夫だったん? 怪我はないん?」
「ああ、大丈夫だよ」
暮月は健吾の返事を聞いてもなお、健吾の体をあちこち触りながら心配そうな顔を向けてくる。制服は一部ボロボロになり擦り傷も複数あるが、大きな傷は無いことを確認すると、ようやく安心したような顔になった。
次にかがみに寄ると、健吾にしたように体をあちこち触りながら。
「かがみんも大丈夫なん?」
「だ、大丈夫だから、あんま触んないでよ」
視線を逸らし鬱陶し気にしながらも、かがみはされるがままに身を任せている。心配をかけた代償としては、暮月の気が済むままにさせてあげるのが適しているのだ。
一通り体を触り、怪我がないことを確認すると、暮月はかがみを抱き締めた。
「本当に、無事で良かったん」
「うん、心配かけてごめんね」
密着した皮膚から伝わってくる暮月の安心感を感じ取り、かがみも暮月の背中に、仕方なく腕を回す。そしてこの暖かさを再び感じることが出来て本当に良かったと思った。あの時穹良が助けてくれなかったら消し炭となり、この温もりの塊を絶望のどん底に落とすこととなっていただろう。そうならなくて本当に良かったと、心の底からそう思った。
そこでふと気配を感じて、かがみは暮月の肩越しに家の奥に視線を向ける。
「ねえ、つっきー、穹良がいるの?」
すると暮月は何か思い出したような顔をし、肯定の意を込めてコクコクと頷いた。
「そうなん。でも様子がちょっとおかしいん。ねえ、なにがあったん?」
再び不安そうな顔に戻った暮月も廊下の奥の方へ顔を向けてから、健吾とかがみの顔を見る。暮月の疑問には、健吾もかがみも正確に答えられなかった。
暮月に案内されて踏み込んだ台所で健吾の視界に飛び込んできたのは、直径一メートルほどの純白のボールだった。
「なんだ、あれ」
「ねえねなん」
「は?」
暮月の返答を受けて健吾はもう一度その物体に目を向ける。よく見ると球体の表面は羽毛の様なもので覆い尽くされ、その隙間からは微かに竜力の粒子が漏れ出ている。
「急に来てびっくりしたんけど、ちょっと休ませて欲しいってここに座って、羽の中に入っちゃったん。ねんねって、天使だったん?」
あれだけ大きくて白い羽が生えていれば、やはり物語に登場する天使に見えるだろう。
「いや、違うな。なあ、穹良は寝てるのか?」
「分からないん。ちょっと聞いてみるんよ」
そう言うと暮月は白い球体の前でしゃがみ、そっと手を置いて揺すってみる。「おお、すごくふわふわなんな」と呟く声が聞こえて、健吾も触ってみたい衝動に駆られたが、なんとか飲み込んだ。
「ねえね、起きてるん?」
「……起きてるぞ」
明らかに寝ていたであろう調子のくぐもった声が中から聞こえてきて、球体がもぞりと動いた。そして、体の前でクロスさせてから背後に回していた羽がゆっくりと展開していき、中から胡坐をかいた穹良が姿を現した。
「邪魔してたぞ、健吾、かがみ」
丸めていた上体を起こしながら、不思議そうな目を向けてくる健吾とかがみに顔を向け、穹良がおもむろに口を開く。そんな彼女の背中には今、一対の羽しかない。確か健吾たちの前に現れた時には二対あったはずだが、どういうことなのか。
そんな健吾の表情を読み取って、穹良は口を開く。
「聞きたいことがあるような顔をしてるぞ、健吾」
「そりゃあ、な」
「なら教えてやる。いや、聞いてくれ。私の近くで生活するなら、知っておいて欲しい」
穹良の真剣な眼差しを受けて、健吾は黙って頷く。すると穹良は少しだけ嬉しそうに表情を崩した。
暮月に促された穹良は台所に設置された四人掛けのテーブルに腰かけ、他の三人も同様に腰を下ろした。このテーブルにこの面子で腰かけるのは、入学式の日の夜以来である。
「私に流れる血は、積乱雲の中を住処としてきた大型飛竜のものらしい。この羽根は飛竜の名残で、白く羽毛に覆われているのは、人々に恐怖心を与えないように、ということ、と誰かが言っていた」
「この髪は、私の感情の変動で色を変える。感情が高ぶった時、あるいはリラックスした時にはこの色になる。感情の変化で色が変わるなんて、魚みたいだろ?」
「半竜の中には、特殊な能力を持つものもいる。私は放電を自在に行うことが出来る。健吾とかがみはさっき見た通りだ。久しぶりにこの力を使ったので調整を誤ったが、おかげで目撃者を気絶させることが出来た。二人には申し訳なかったが、な」
「この羽は、私の余剰竜力で構成されている。一対消えたのは、放電のエネルギーに消費してしまったからだ。もっと効率的にエネルギーを消費すれば形は残るし、今ある羽を再構成すれば二対の羽にもなる。この羽はそういうものだ」
どれも、初めて知る穹良の事だった。淡々と話す穹良の姿は、まるで昔ばなしでもするかのようであった。一通りの説明を終えると穹良は顔を上げ、一同に「何か質問は?」と言うような視線を送る。
「なんつうか、何もかも初めて知る事ばっかだな」
天井を見上げながら、健吾が素直な感想をこぼす。穹良の羽へ横目を向けると、今も竜力を放出しながら少しずつ小さくなっていっている。
「今縮んでいってるのは、大丈夫なのか?」
穹良は一度自分の背後に視線を向けてから、静かに頷く。
「体力を酷く消耗したからな。体力回復のために竜力を消費してるんだ。慣れないことはするもんじゃない」
ゆっくりとした所作でテーブルに頬杖を突く彼女は、本当に疲れているようだ。心配そうに肩に手を置く暮月に、無理して笑い掛けようとしている姿が痛々しい。
「……俺がもっと、自覚を持って暮らしてたら、自分の力を使えて、お前の力を借りなくてもかがみを守れたかも知れない、ってことだよな」
両膝の上に置いた拳を握りしめ、健吾は自分の力不足を呪う。もしあの場に穹良が居なかったらと考えると、末恐ろしい。
「そうかも知れないが、違うかも知れない。それは、誰にも分らないことだぞ」
穹良の静かなフォローが、心に突き刺さる。穹良の言う通りかも知れない。ただ、だからと言って素直に受け入れられない自分がここにいることも確かなのだ。
不意に、静かな台所に椅子が大きくずれる音が響く。音の出所を確認して、暮月がはす向かいに座るかがみに視線を向ける。
「……かがみん? どうしたん?」
軽く俯くかがみの目元には、長い前髪が影を差し、表情を伺い知ることは出来ない。だが机の上でギュッと握られたままの拳からは、何か抑えがたい感情を何とか抑え込んでいるということが分かる。
「……ねえ、席、外してもらっていい……?」
その一言だけで、健吾には暮月と二人で台所から出てくれ、と言っているということが分かった。だから健吾は暮月を促して、台所を後にする。暮月は困惑したような表情をしたが、頭に手を置いてやると事情を察したようで、健吾に素直に従った。
引き戸が閉まる音がして、台所には穹良とかがみの二人だけが残る。同じ空間に二人だけというのは、初めての経験だ。
おもむろに立ち上がったかがみが穹良の前に、詰め寄るように立って。
「……なんで?」
静かな疑問符が、穹良の鼓膜を揺らした。




