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二章30 飛竜襲来


 「まずいな……」


 二頭の飛竜が竜ヶ台地区南区域に出現した翌朝。陸上自衛隊新琵琶駐屯地の地下三層にある作戦司令室で、机の上に頬杖を突きながら、駐屯地司令である佐藤影美一等陸佐は呟いた。


 「ええ、竜脈の乱れの規模が大きいせいで、空自の各種レーダーの機能は低下しています。先週の襲撃事件の影響で我々の対空レーダーも竜力レーダーも本調子ではありませんし、この状況が続くのは、良くないですね」


 佐藤の傍らで、モニターを眺めながら、夏冬(かとう)副指令が同意を示す。モニターには日本地図が浮かび、その上から竜脈の流れが示されている。別ウィンドウでは中部地方をアップした地図が表示され、周辺を覆う竜力濃度がかなり高いことが示されていた。


 「タイミングが悪いったら、ありゃしない。修理の方はどうだ?」


 「特務型歩行戦機<修復くん>は全機、先日の被害区域に出払っていますので、ここの完全修復にはあと二、三日かかります。現在、空巡二隻の擬似竜力生成炉を一部アイドリング状態にすることで駐屯地内の竜力濃度を高めて施設の修復に当たっています」


 いまだ謎の多い竜力であるが、大きな特性の一つに、あらゆる物質の状態変化を操ることが出来る、と言うものがある。水が氷や水蒸気になるような状態変化を意図的に引き起こすことで、生命を除いた有機物および無機物を生成することが出来る。その性質を活かすことで、破損した建物などを修理することが出来るのだ。


 その知識や技能を持つのは竜の血を引く者だけである。一定以上の力を持つ者は単身で全壊した家一棟を数分で建て直し、特に力の強い者は焦土とかした街一つをも復元する。


 竜力を介して原子や分子の構造を操り、己が望むものを作り上げてきた者が錬金術師や魔法使いと呼ばれてきた歴史があるということは、案外知られていない。多くは、神の御業であると認識されてきたからだ。そして時に、弾圧もされてきた。


 「そうか。早く霧が晴れてくれること、そして晴れるまでの間に何も起こらないことを祈ろう。航空隊に再度連絡を。霧が晴れるまで、哨戒飛行を継続するとな」


 「了解」


 夏冬副指令に指示を出し、佐藤はモニターに視線を戻す。妙にざわつく胸騒ぎが、彼の神経を尖らせた。







 同日朝。西島家では朝食を食べ終えた健吾とかがみが、登校のため玄関で靴を履いていた。大抵先に履き終わるのはかがみであり、今日もまたかがみが先に玄関の外に出る。


 「行ってきます」


 つま先を玄関先のコンクリートにコツコツと突いて履き心地を整えながら、見送りに来た暮月の方を振り向く。


 「うん、かがみん、にいに、行ってらっさい」


 小さな二つの角を生やした半竜の少女、弥涼暮月の見送りを受けて、健吾とかがみは玄関を出る。玄関ドアを閉じ、鍵を掛けてからお隣さんの方へ視線を向けると、ちょうど穹良が玄関から出てくるところだった。


 「あ、おはよう」


 二人の視線に気付いた穹良が、小さく片手を挙げて挨拶をする。


 「おはよう、穹良」


 「お、おはよ」


 健吾につられて、かがみも挨拶を返す。穹良を失う夢を見た先日以降、かがみは穹良と言葉を交わすまでには至っていないものの、最低限の挨拶程度は交わすようになっていた。普通の会話が出来るようになるまでにはもう少し時間が掛かりそうではあるが、二人の関係性は確実に進歩しつつある。


 穹良に挨拶を返したかがみは、一人足早に歩き去って行く。まだ一緒に行けるような心持にはなっていないらしい。


 「今日も乱れてるのか?」


 かがみの二十メートルほど後方を歩きながら、健吾は穹良に目を向ける。昨日から竜脈が荒れているらしいが、そのことを感知できない健吾は穹良の感覚に頼るしかない。朝のニュース番組でも見てくれば情報は得られたのだが、今朝はあいにく時間がなかったのだ。


 「ふむ、今日も見事に大荒れだ。実に気持ちいい」


 薄曇りの空を見上げながら、しっとりと告げる。「ふう」と深呼吸する穹良の表情は満足げだ。


 「あ、そうなんだ」


 大荒れということは、昨日どこからともなく飛来した二頭の飛竜が、今日も現れる可能性があるということだ。それすなわち、今この瞬間に現れてもおかしくない訳で、そうなれば、健吾は先を歩くかがみを守れないかも知れない、ということに他ならない。


 ――――まさかな


 そう思ってしまった。竜脈の乱れは、日本全体で起こっていることだ。竜宮市に限った話ではない。ならば、今竜が襲ってくる可能性は限りなく低い。第一、竜脈を求めてくる竜は潤沢な竜力を求めてやってくるのであって、破壊活動をしに来るのではない。飛来したからと言って、人命や市街地に被害を及ぼすとは限らないのだ。


 天智商店街を抜け、駅前の交差点に差し掛かる。かがみは横断歩道の赤信号で佇んでいた。西の方角に青空が覗いている。これから晴れてきそうだ。健吾がそう思った時だった。


青空の向こうに、二つの黒点が現れた。出現した黒点は急速に大きくなり、それが一体何なのかが分かるくらいの大きさになるまで近づいてきても、まだ気付く者はない。それぞれの職場や学校など、向かうべき場所がある者はその場所へ足早に向い、ぼんやりと空を見上げる者はいない。


 いや、いた。どのような場でも、何かしらの気配に気づく者がいる。この時もまた、横断歩道で信号待ちをしていたスーツ姿の男性が、手元のスマホに落としていた視線をふと上げ、迫りくるものを目にして悲鳴を上げた。


 男性の悲鳴に、視線を挙げた周囲の人々も視線を挙げ、それを見る。


 漆黒の鎧に身を包んだ二頭の飛竜が、上空から急降下してくるところだった。


 人には正常性バイアスが備わっている。冷静さを保つため、非常時を非常時と認識できなくするのだ。そして、動物は危機が迫ると本能的に固まり、危機が去るのを待とうとする。多くの捕食者は動くものを追うという性質を逆手に取った、被食者の身の守り方だ。竜と言う圧倒的強者の元で生きてきた人間にも当然備わっており、今まさに危機が迫っていても逃げようとしない人がいることの理由となっている。


 そんな中の一人に、かがみもいた。


 「かがみ!!」


 咄嗟に叫ぶ健吾の声は、かがみには届いていない。迫りくる竜の姿を見開いた瞳に映し、ただ立ち尽くすだけだ。


 急降下してきた一頭は健吾たちの上空をすれすれで飛行し、体を捻って高度を取り、鋭い牙の並んだ口を大きく開ける。すると開いた口の周囲に重なるように、光の輪が形成される。そして光の輪の中心から、赤白いレーザー砲の様なものと、青白い火焔が織り交ざった炎息(ブレス)を放つ。炎息(ブレス)は地上の一角をなぞるように薙ぎ払い、払われた箇所からは連鎖的な爆発が起きる。一気に黒煙が上がり、同時にサイレンが鳴り響く。


 ようやく竜力レーダーが、二頭の竜を探知したのだ。特別警戒警報の発令と、目の前で起こった大惨事を受けて、慌てながらも、多くの人々は避難行動を開始する。だが駅前の交差点付近にいた人々は、そういう訳にもいかなかった。


 二頭目の竜が放った炎息(ブレス)が、もっとも手近で頑丈なシェルターである天智駅に一部命中し、火災が発生してしまったのだ。


 「こっちだ!」


 誰かが叫び、駅前の商業ビルを指さす。


 「かがみ、行くぞ!」


 腰を抜かして動けなくなっていたかがみの元へ健吾が駆け寄り、小さく震える手を握る。そこでようやく、かがみは健吾の存在を思い出した。


 「……けんご」


 強張った顔を向け、震える声で、空を指さす。


 「また、来る」


 「え?」


 こんな時に何を言っているのかと思って、かがみの指さした方向に目を向ける。そして、目が合った気がした。


 口を大きく開けた飛竜がこちらを見下していたのだ。かがみが「来る」と言った理由を理解して、とっさにかがみを抱き込んで飛竜に背中を向ける。逃げるのは間に合わないと思った健吾が取れる、精一杯の行動だった。


 だがかがみはこれを拒み、せめて義兄だけでも助けようと健吾を思い切り突き飛ばす。思いのほか健吾の体に力が入っていなかったことと、かがみの脳が筋肉の出力を調整できなくなっていたことが相乗して、思いのほか健吾の体が遠くまで飛ぶ。


 「……かがみ……?」


 突き飛ばされてアスファルトに体を打った健吾が、上体を起こして義妹の方を見る。そして、目を見開いた。


 悲しそうな顔で、笑っていたのだ。


 「暮月を、よろしくね」


 自分を犠牲にするつもりだと気付いたときには、すべてが遅かった。二人で焼かれるのではなく、せめて暮月の悲しみが半分で済むように、自分だけ。


 まるで太陽が近づいて来るかのように、かがみの姿が白光の向こうに薄らいでゆく。炎息(ブレス)の速度は光速に匹敵するので健吾の目には捉えられないはずなのに、破滅の光にゆっくりと飲み込まれてゆく様が見えるようだった。


 人は経験したことのない時間をゆっくり感じ取ると言うが、こういう場面でもそうなのか。残酷な場面でさえ、ゆっくり、しっかり、認識させてくれてしまうのか。そういった思考が回ってしまうほど、健吾には世界の進みが遅くなったように感じた。そしてそんな思考は出来ても、まるで泥の沼に沈んでいるかのように、体は全くと言っていいほど動かなかった。

 

 「まったく、世話の掛かる兄妹だ」


 健吾の世界に、音が戻ってくる。体だけでなく、思考の沼にはまっていた健吾の鼓膜を、鈴でも鳴らしたかのような軽やかな声が揺らす。


 その声が穹良のものだと気付き、先程まで穹良がいたであろう場所に目を向けても、彼女の姿はなかった。


 健吾の視界が、目の前に着弾した炎息(ブレス)の白光に覆われる。腕を掲げて目を守る健吾は、彼を守るように伸びた一条の陰があることに気付かなかった。


 

 

 

 


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