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二章19 図らずの食卓

 

 「お帰りなん、にいに」


 帰宅した健吾を、暮月が玄関まで迎えに来る。玄関と廊下を隔てる、曇りガラスの貼られた引き戸を開けて顔を覗かせる暮月は、穹良の顔を認めると一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに「ねえねもお帰りなん!」と両手を広げ、笑顔を弾ませた。


 「お、おう、ただいま、暮月」


 その飛び込まんばかりの暮月の勢いに、穹良は若干押される。印象でしかないが、暮月の態度はまるで、家族の帰りを喜ぶ大型犬のようであった。そこで穹良は、暮月は外観や仕草こそ猫っぽさがあるものの、態度は犬っぽいのではないかという仮説を導き出す。試しに、暮月が犬尻尾を振っている姿を想像してみた。


 「……」


 説立証。


 「ん? うちの顔になんか付いてるん?」


 じっと穹良に見つめられた暮月は、不思議そうな顔をして?マークを思い浮かべているようであったが、健吾の声にそちらを振り向いた。


 「ところで暮月、なんでお前エプロンなんて着けてんだ?」


 いつもは料理などしない、否、させない暮月が、エプロンを着けているというのは奇妙な事態だ。暮月は以前、料理をしようとしてガスコンロの周りを黒焦げにしたり、炊飯器に研いでいない米を入れて水を入れずに炊飯したりしたので、台所には立たせないようにしていた。


 「かあかに教わって、かがみんと一緒に晩御飯作ってるんよ」


 「母さんと一緒になら、大丈夫か」


 それにかがみも一緒だというのなら、大事に至ることは無いだろう。とはいっても、やはり多少の心配は残る。手伝いに行った方がいいんじゃ、と思ったことが顔に出たのか、暮月が不満そうに頬を膨らませた。


 「むう、にいには心配し過ぎなん。心配し過ぎでうちに体験させてくれないから、うちもいつまでも何も出来ないままなんよ?」


 暮月の言葉に、健吾は言葉を詰まらせる。確かに、誰でも最初は初心者だ。初心者は引っ込んでいろ、というスタンスでは、いつまでたっても成長できない。


 その時、廊下右手にある台所から、幸子が顔を覗かせた。


 「暮ちゃん、けんけんが帰ってきたのー?」


 台所から身を身を乗り出して玄関に視線を向けた幸子は、その目に立ち話をしている三人の姿を映す。そして穹良の姿を目に留めると、濡れた手を拭きながら歩み寄ってきた。


 「あら穹良ちゃん、いらっしゃーい。久しぶりねー。すっかり大きくなって」


 「お久しぶりです、幸子さん。その節は、お世話になりました」


 再会を喜ぶ幸子に、穹良は軽く頭を下げる。幼いころ、穹良の施設への入居費を負担してくれていたのが、幸子だった。


 すると幸子は顔の前で小さく両手を振り、穹良のへりくだった態度を制した。


 「いいのいいの、そんなにしないで。立ち話も何だし、ほら、上がって上がって」


 「では、お邪魔します」


 顔を上げ、靴を脱いで家に上がる。幸子についていくと、台所に入る直前でこちらを振り返り、ある提案をしてきた。


 「あ、そだ、穹良ちゃん、晩御飯食べてかない?」


 「え?」


 純粋な疑問符が、穹良の口からこぼれる。かがみの顔を一目見るだけで帰るつもりだっただけに、まさかご飯のお誘いを受けるとは思ってもみなかった。


 「いや、私は……」


 突然のことに驚きつつも断ろうとしたとき、穹良のお腹が小さくなった。三人の視線を集めた穹良は、お腹に手を当てる仕草をして軽く俯く。その顔にお腹が鳴ったことを聞かれたことに対する羞恥の様なものはなく、ただきょとんとしたような顔があった。


 「ほら、お腹は素直みたいよ? それとも、もう食べる物準備してた?」


 俯く穹良に幸子が笑いかけると、穹良は黙ったまま小さく首を振った。


 「じゃあ決まりね。今夜は暮ちゃんが初めて作ったシチューよん」


 「なんでいきなりそんな高難度の料理させるんだよ」


 健吾がツッコミを入れながら、台所の引き戸を開ける。すると、明らかに嫌そうな顔をしたエプロン姿のかがみが、洗い物の手を止めてこちらを睨むように見ていた。


 「声が聞こえたから、まさかとは思ったけど、なんであんたがいるの」


 小声ではあるが、穹良を拒絶する発言を口にするかがみ。そんなかがみを、幸子が制した。


 「まあまあ、良いじゃない。みんなでご飯食べよ? ね?」


 不満そうな顔は隠そうとしないものの、かがみはその不満を口にすることをやめる。そして再び洗い物に取りかかった。


 「やっぱり私は帰r……」


 「いーのいーの、気にしないの。暮ちゃんが作ったシチュー、食べてって」


 完全に幸子のペースに巻き込まれた穹良が、幸子に背中を押されるようにして台所に入る。この家では、誰も幸子のペースには逆らえないのだ。

 

 「で、ではお言葉に甘えて」


 穹良は幸子の言葉に従い、夕食をご馳走になることにした。

 





 暮月の作ったシチューは、決して美味と言えるものではなかった。溶け切らない小麦粉は玉になり、サイズがバラバラなジャガイモは所々火が通っておらず、味もどこかバランスが整っていない。それでも、料理が不得手な暮月が一生懸命作ったと思うと、穹良の胸のうちにはじんわりとした温かさが広がっていった。


 「ま、最初にしては上出来なんじゃないの?」


 かがみに褒められて、暮月は「えへへ~」と嬉しそうに笑う。その照れる暮月の様子に、穹良も含めた一同がほっこりする。この家では、誰も暮月の癒し効果に抗えないのだ。


 夕食の間、穹良とかがみは視線を交わらせることはあっても、言葉を交わすことは無かった。時折二人の間には不穏な空気が流れたものの、幸子と健吾が会話の主導権を握って上手く話を振ることで、雰囲気を保つことが出来た。


 そして夕食の時間は終わり、かがみが席を外したテーブルで、幸子が穹良に視線を投げかけた。


 「今日は急な誘いに乗ってくれて、ありがとねー」


 「いえ、こちらこそ、ありがとうございます」


 丁寧に頭を下げる穹良に、幸子は優しい笑顔を向ける。


 「ねえね、うちのシチュー、どうだったん?」


 テーブルの上を片付けていた暮月が、テーブルクロスを拭きながら訊ねてくる。


 「美味しかった。なんだか、ほっとする味だったよ」


 「なら良かったん。にいに、うちもやれば出来るんよ」


 「そうだな。今度からもう少し料理とかやってみるか?」


 「うん!」


 元気に返事すると、暮月はテーブルの上の食器を流しへと運んで行く。その様子を眺めながら、幸子は穹良に対して口を開いた。


 「私さ、明日東京に戻るんだよね。でも穹良ちゃんとは一回話しておきたかったから、けんけんが帰って来た辺りでお宅訪問しようかと思ってたの。そしたらこうして来てくれたから、ラッキーだったよ」


 「お世話になっておきながら、今まで連絡も出来ず、すみませんでした」


 神妙な面持ちで、穹良は幸子に頭を下げる。幸子はと言うと、そんな穹良の仕草から意図を読みとり、慌てて両手を振った。


 「ごめんごめん、そういうことが言いたいんじゃないの。ただこうしてまた会えて嬉しいのは、なにもけんけんやかがみんだけじゃないってこと」


 その言葉に、穹良は「え?」という疑問符と共に顔を上げる。かがみが自分と会えたことを嬉しいと思っている? そんな風にはまるで見えないのに。


 「あの子はね、天邪鬼なの。全く素直じゃなくて、思っていることを口にしない。口にすることが災いの元になるって学習しちゃったからね」


 口にすることが災いの元になる。その言葉を聞いて、穹良は今日の帰りに健吾から聞いた、かがみの過去の話を思い出す。


 そのことを口にするのが例え自分でなくても、誰かの発言が災いとなって自分に降りかかる。でも他人の発言を完璧に制御することは出来ない。せめて、自分が発言しないようにすることしか出来ないのだ。だからかがみは無口になり、発言するときは思っていることと違うことを口にするようになった、ということなのだろう。


 「一昨日、ここでかがみとお前が話した時さ、あいつ、今更何しに来たの? って聞いてただろ?」


 「そうだった、な」


 おもむろに口を開いた健吾の方へ、穹良は顔を向ける。


 「お前が事件に巻き込まれた一年後くらい、まだ俺がルシフェルと一緒に助けに行く前に、かがみに聞かれたことがあるんだ。お姉ちゃんはどこに行ったの、って。あいつのことを心配させたくないって思って、こう答えたんだ。お姉ちゃんは旅に出たんだよって、苦し紛れの嘘を吐いた。その答えを信じたかがみは、お前が帰って来ることをずっと待ってたんだと思う。でも」


 一度口にしたはいいが、これ以上言うと穹良を責めているような気がして、健吾は続きを言い淀む。


 誰も悪くない。だが誰も悪くないと割り切ることは出来ない。そういった雰囲気が、テーブルを包み始める。

 

 「……私が、かがみが大変な時期にいてあげることができれば、違ったのかも知れないということだな」


 そうだとも、違うとも、健吾は口に出すことが出来なかった。だが沈黙も時として意思表示のツールとなり、今の場合は肯定の意味を持った。


 「ねえね、かがみんは本気でねえねのことを拒んでる訳じゃないんよ」


 話を聞いていた暮月が、穹良の隣の席に腰かける。


 「ただ、怖いんよ、きっと。またいなくなっちゃうんじゃないかって。だから、ねえねの事を試してるんよ。もういなくならないっていう確証が欲しくて、わざとあんな態度をとってるん」


 暮月の言葉に、穹良は小さく腕組みをして考え込む。暮月の言っていることの意味が分かるようで、いまいち上手く呑み込めなかった。

 

 「そういう、ものなのか」


 「そういうものなん。だからねえねには、もう少し待ってて欲しいん。もう遠くに行かないって分かれば、かがみんは心を開くんよ」


 あまりにもあっさりと肯定されてしまい、穹良は軽く面食らう。そして暮月がこんなにもはっきりと自分の意見を口にすることが、少し驚きだった。穹良の記憶にある暮月は、十年前の、よちよち歩きで一生懸命自分に付いてくる姿だけだ。

 

 「分かった。待とう。そういえばまだ会って三日だもんな」


 「そうなん。時間はまだいっぱいあるんよ」


 暮月に諭されて、穹良は少し残念そうな、期待が外れてがっかりしたような目をする。だがすぐに目に宿る表情を変え、暮月の頭に手を伸ばした。


 「ありがとう。おかげで、気が楽になったよ」


 「どういたしましてなん」


 嬉しそうに笑う暮月の表情に、穹良の顔もほころびそうになる。

 

 「ま、暮ちゃんが言いたいこと言ってくれちゃったけど、かがみんが本気で穹良ちゃんを拒否してる訳じゃないってことが分かってくれれば、私は嬉しいかな」


 テーブルの上に頬杖を突き微笑みかけてくる幸子に、穹良は視線を向ける。そして済まなそうに、視線を下げた。


 「気を使っていただいて、ありがとうございます。かがみの面倒も見てもらっていて。本当は私も今までのことを話すべきだと思うんですけど、今はまだ言いたくなくて」


 「いいのよ、言いたくないことは言わなくて。でもいつか、ちゃんと教えてね」


 「……はい」


 申し訳なさから小さくなる穹良に、幸子はあくまで笑顔を向ける。そんな幸子の態度が、穹良は嬉しかった。

 

 

 


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