二章16 無知ゆえの
「今何て言った、と聞いてるんだ……!」
怒りと悲しみに似た色を瞳に映した穹良が、常人なら気圧されてしまいそうな気迫を纏いながら一歩前へ踏み出す。雪灘もきっと彼女の気迫に押されていたのだろうが、そのことを隠すように薄笑いを浮かべながら、挑発じみた言葉を浴びせる。
「え、聞こえなかったの? じゃあもう一回言ってあげるよ――――」
「やめろ雪灘!」
穹良の纏うただならぬ雰囲気に嫌な予感を覚えて、健吾が静止に入る。だが一瞬遅かった。
「―――――化け物じゃん、って」
途端、穹良の瞳が怒りに支配された。振り上げた穹良の右拳が健吾の机を叩き壊し、燃えるような色をした双眸が雪灘をしっかりと捉える。
「黙れ、小娘如きが」
お前が言えって言ったんじゃん、という真っ当なツッコミを口にできる者はその場にはいなかった。誰もが穹良の姿に目を奪われていたからだ。
感情を昂らせた穹良の髪は不思議なことに、風が吹いていないにもかかわらず揺らめきだしたのだ。まるで下からの風に当てられているように吹きあがった髪の周囲には電光が纏い、その髪の色を毛根から、白に変えていく。そして髪色が純白に変容し終えると、短く息を吐いた。
「弱小なる人間。今から、この私を化け物呼ば鷲したことを後悔させてやろう」
そう言って雪灘に向けて伸ばす穹良の右腕には、紫電が瞬いている。頑丈な机を一撃でお釈迦にした破壊力といい、明らかに人間離れした芸当を見せる穹良の姿に、雪灘は言葉を失って腰を抜かしていた。
まさに、化け物であった。右腕の表面を這う紫電は幾重にも重なりながら、雪灘に襲い掛かるタイミングを見計らうように明滅する。教室に差し込んでくる夕日に背を向けていた穹良の白い髪は日光に透け、金色に輝いて神々しさすら感じさせる。そして影が差した彼女の顔には、これから得物を狩る圧倒的強者の余裕が、薄ら笑いとして表れていた。
「やめろ穹良! 落ち着け!」
にじり寄られて教室の壁に追い詰められていた雪灘と穹良の間に、健吾が割って入る。だが穹良は、聞く耳を持とうとしなかった。
「どけ、健吾。そいつは私を化け物呼ばわりした。か弱い人間のくせに、あのような呼び方をした相応の罰を受けて貰う」
「馬鹿野郎! 安い挑発に乗りやがって。自分から本性晒してどうすんだ!」
健吾の怒声を浴びて、穹良はハッとしたような表情をする。そんな彼女の左手を璃那が取り、掌を両手で包み込んだ。
「どうか気を静めてください、穹良。あなたは、化け物なんかじゃないですよ」
微笑を向ける璃那の顔を、穹良は悲しそうな瞳で見つめる。
「でも、あいつは化け物だって。あいつから見れば、化け物なんだろ……?」
健吾の肩越しに、膝を震わせた雪灘が強張った表情をこちらに向けてきている。あの表情から、敵意や恐怖心以外の何を読み取ればいいのか。自分に向けられる負の感情に、穹良は困惑することしかできない。
だが璃那はゆっくりと頭を振って、穹良を落ち着かせようと言葉を選ぶ。
「少し、驚いてしまったんですよ。穹良は化け物ではありませんが、純粋な人間でもありませんからね。人間だけに囲まれて生きてくれば、穹良の姿にびっくりしても無理はないですよ」
「そういう、ものか」
璃那の言葉に安堵したのか、穹良は小さく息を吐く。そして気分が落ち着いたのだろう、髪の色が白から元の赤に戻り、纏っていた不穏な雰囲気を消した。
「ね、ねえ」
穹良の一連の変化を見て彼女が人間でないことを認識した雪灘が、おずおずと穹良に歩み寄る。どうしても、確認しておきたいことがあった。
「なんだ、小娘」
「小娘って、年一緒だよね? 学年一緒なんだし。じゃなくて、あなたって、本当に人じゃないの? 半竜なの?」
もしこの質問を、体育の授業の時点で聞かれていたらどうしただろうか、と穹良は頭の片隅で考える。二組分の生徒がいるところでこの質問をされたら、すぐに否定の意の回答を口にしただろう。
だが今は既に、自分の器量の小ささが災いして正体を晒してしまっている。もし彼女の頭に手を当て、固有能力で発生させた電気を流せば、ショックで記憶を消せるかも知れない。しかし、現状は自分が招いた結果だ。雪灘に非がある訳では無い。ならば、素直に答えるのが道理というものだろう。
「半竜、混血、ハーフ、半端者、化け物。いろんな呼び方をされてきたよ。そうだ、お前の言う通り、私は人間じゃない。人の姿をした竜だ」
その言葉を聞いた雪灘は驚きに目を丸くし、それから珍しいものを見た時のように穹良の周りをぐるっと回って全方位から観察する。
「へえー、半竜って初めて間近で見たけど、ほんとに人間にそっくりなんだね」
「お前、さっき私の姿に腰を抜かしていたのに、よく馴れ馴れしく近づいてこれるな」
半眼を作って呆れ声を出す穹良に構わず、雪灘は健吾に顔を向ける。
「そういえばさ、なんで健吾はびっくりしてないの? 健吾って半竜、見たことあったっけ」
「え? あ、いや」
返答に困る質問が飛んできて、健吾は視線を明後日の方へ向ける。その仕草に違和感を覚えて不思議に思った雪灘はふと、周囲にも目を向けた。すると真は腕組みをして、璃那は軽く俯いて困ったような顔をしている。その表情になる理由が分からず、雪灘は違和感を強めた。
「あれ、みんなどうしちゃったの?」
不審な沈黙に、雪灘はキョロキョロする。そんな彼女の様子を見ていた穹良が、健吾に疑問を投げかけた。
「なんだ健吾、こいつに自分のこと話してないのか」
――――やってくれたな、穹良
穹良の一言が、健吾の退路を寸断する。恨みがましい視線を送ると、穹良はすっと璃那の背中に隠れた。
「話せなかったし、話す気もなかったよ」
投げやりに吐き捨てて、健吾は天井を仰ぐ。「え、何のこと?」と食いついてくる雪灘を無視して、健吾は勝手に話を進めた。
「俺が通ってた中学は東京にあったんだけど、周りは半竜の存在をよく思ってない人が多かったんだ。犯罪で検挙された人は半竜が多かったし、よくホームレスになったりしてたからな。俺がばれれば、次はかがみの番だ。そうなるのを阻止するためには、だんまり決め込むしかなかったんだよ」
「え、じゃあ……」
軽くたじろぐ雪灘を真正面に見据えて、健吾は意を決して口を開く。
「俺も、半竜だ」
予想だにしなかった返答に、雪灘は口元を押さえて顔を引きつらせる。衝撃の告白を反芻してから、雪灘は中学時代の健吾と自身の行動を顧みた。
「話しかけても、反応が薄かったのは……」
「前に一回ボロ出して後悔したことがあったからな。無駄なことは話したくなかったんだ。それにお前がつるんでた連中は、後輩に指図してかがみをいじめようとした。だからだ」
「わ、私も、後輩をいじめてたのを知って、一緒に遊ばなくなったけど、健吾の妹さんも含まれてたなんて……」
雪灘が知る由もなかった健吾の苦労の一端を知り、雪灘は言葉を失う。事情が分かっていれば防げた事態も、その事情を公表できないが故に防ぐことが出来なかったのだと、深い後悔を抱く。
もし去年の時点で健吾の事情を知っていれば、馴れ馴れしく話かけることもなかっただろう。いつも一人でいる姿をかっこいいと思ってしまうことも、友達になろうと歩み寄ることも、淡い恋心を抱くこともなかったかも知れない。
全ては、自分の尺度だけで判断して行動してきた結果なのだ。健吾に対して抱いていた感情も、その感情を健吾によって揺さぶられた青臭い思い出も、健吾が抱える事情無くしては成立しなかった。しかし健吾の事情が何なのかは知ろうともせず、あまつさえ卒業式の日にあんな質問をした。その時の自分を思いっきり殴ってやりたい。よくも平然と、あんな質問が出来たものだ。聞かれた健吾がどう思うのかも考えずに。
己の愚かしさに動揺し言葉が出て来ない雪灘に、穹良が低い声を発する。
「おい、今かがみはいじめられていたと言ったか?」
声の主を見ると、再び不穏な雰囲気を纏いつつある穹良が、瞳の面積を小さくして雪灘を睨みつけている。殺気すら纏い始めた穹良を、健吾は慌てて制しにかかる。
「穹良、そのことは後で俺からちゃんと話すけど、正確にはいじめられてない。未遂だ。雪灘とよく遊んでた男子グループが後輩に指図していじめようとしていたんだけど、そのことを事前に雪灘が教えてくれた。だからこいつは、いわば恩人なんだ」
すると穹良は昂っていた気を押さえ、表情を和らげる。
「なんだ、そうか。なら礼を言わねばな」
「え? いや、って言うか、穹良ちゃん? さん? の、名字って……」
「名前を呼び捨てで構わん。私の苗字? 安曇野だが」
それを聞いて、雪灘は当惑した表情をした。頭の中に情報が溢れかえり、整理が追い付かない。
「あれ? 健吾の妹さんって、かがみちゃんなんだよね? でも、かがみちゃんの名字って、穹良と一緒だよね。どういうこと?」
雪灘は健吾の妹とは直接話したことは無いものの、彼女が付けていた名札から名字は知っていた。そのため健吾と名字が異なることは知っていたのだが、何故かは知らない。
「かがみは私の妹だ。でも、健吾の義妹でもある」
穹良の一言が、雪灘の混乱に拍車をかける。そんな彼女の肩を叩き、璃那が口を開いた。
「いいですか、雪灘。落ち着いて、ゆっくり聞いてくださいね。西島さんは半竜で、そのことを隠すために中学時代は暗黒だった、と」
「こら、勝手に暗黒にするな」
健吾のツッコミを脇に置き、璃那は続ける。
「かがみさんは西島さんの義理の妹さんで、訳あって西島さんの家に暮らしていたんです。ですがかがみさんには、穹良という生き別れのお姉さんがいたんです。半竜である穹良の妹さんも当然半竜です。そして西島さんもそうです。もし西島さんが半竜であることがばれれば、その義妹さんにも半竜の疑いが掛かり、クラスから排除される危険性がありました。だから西島さんは寡黙になって、クラスから浮いた存在になってしまったんです。クラスの誰からも、相手にされなくなるために」
璃那の言っていることは健吾のこれまでの行いを端的に言い表しており正しいのだが、他人の口から聞くと物凄く惨めな人生を歩んできたようにも聞こえて、悲しくなってくる。確かにかがみを守るために努力してきたが、その結果が何とも物悲しい。
璃那から一連の説明を受けた雪灘は神妙な面持ちになり、しばしの間俯いていた。だが顔を上げ健吾の方を向くと、慎重に選びながら言葉を口にした。
「何て言うか、その、ごめんね。健吾のこと知りもしないで、無神経に近づいたりして。事情を知ってればもっと違う行動も取れただろうけど、その事情を言うことも難しかったよね」
「いや、お前は悪くないよ。ただ、俺もあの頃はああする以外に方法がなかったんだ。そのことは、分かって欲しい。それにほら、あの頃は色々あったから、お前とは距離を置いてた方がお前にとってもいいだろうって思ってたんだ」
色々あったから、の「色々」の内容に食いつきたい璃那であったが、雰囲気を察して踏みとどまる。
「ねえ健吾、正体知っちゃったから、もう隠さなくていいんでしょ? だったら、今度はちゃんと話とかできる?」
むず痒くなるような質問に、健吾は一度視線を逸らす。後頭部が痒く、思わず手を伸ばした。体の中が中途半端に熱い。
「お前が俺たちのことをうっかり口にしなきゃ、な」
すると雪灘は嬉しさから口角を上げ、堪えきれずに満面の笑みを作った。
「ありがと。絶対、秘密は守るよ」
それから神妙な面持ちに戻ると、今度は穹良の方を向いた。
「穹良も、化け物とか言ってごめんなさい。なんか、すごい偏見持ってたんだなって、穹良を見て思った」
すると穹良は小さく頭を振り、雪灘の目を真っ直ぐ見つめた。
「私も小娘と言って悪かった。それに、かがみを助けてくれて、ありがとう」
この時初めて、健吾には穹良が笑ったように見えた。
――――もしかして今、笑ったのか
これまで負の表情しか見せて来なかった穹良の顔が、笑顔に変わった。その顔は昔の良く笑っていた時の面影を残した懐かしいものに思えて、健吾は人知れず喜びを噛み締める。
そして今一度、誓いを新たにした。
穹良とかがみをあるべき姉妹の形に戻し、二人とも笑顔にする、という誓いを。




