二章14 東堂雪灘
「健吾お前ー!」
放課後、一年二組の教室に肩をいからせた東堂雪灘が姿を現した。彼女は周囲の目を気にすることなく健吾の机の元に来ると、健吾の前の席の住人である真を突き飛ばし、健吾の机をどんと叩いて怒声を吐いた。
「どういうつもりだよ、さっきのあれ。あんな卑怯な手まで使って勝ちたかったの!?」
教室に残っていた生徒たちは健吾と雪灘の様子に目を向けたが、そのただならぬ雰囲気に臆して早々に立ち去って行った。お陰で、教室には健吾、真、穹良、璃那、そして雪灘の五人という状況になった。
「おいお前、私たちは卑怯な真似などしていない。あくまでルールにのっとった上で――――」
「穹良、ちょっと待ってくれ」
健吾の机に来ていた璃那に付いてきていた穹良が、健吾の弁護に入る。その行為自体は非常にうれしかったのだが、健吾には自分の口から言うべきことがある。
言葉を制された穹良は一瞬健吾の顔に視線を落としたが、何かを感じ取ったように素直に引き下がった。
「雪灘」
「な、なにさ」
健吾の真剣な眼差しで見つめられて、雪灘は少しだけ気圧されるのを自覚する。そして何を言われるのかと身構えた途端、健吾が思い切り頭を下げた。
「本当に悪かった。この通りだ」
机の上に手を付いて、土下座のように頭を垂れる。勢いが余って、机に頭をぶつける鈍い音がした。
突然の謝罪に雪灘は驚きの声を上げそうになったが、堪えて別の言葉を口にする。
「なに、そうやって謝れば許されると思ってんの? 第一、なにに対して謝ってるのか、自分で分かってんの?」
「分かってるよ。でも、俺だってなあ――――」
顔を上げた健吾が、複雑な表情で雪灘のことを見上げる。
「じゃあその内容を口に出して言ってみてよ」
「穹良にボールを渡して投げて貰ってたことだろ」
「もう一個、もっと大事なことがあるでしょ! そっちをちゃんと言ってよ!」
「……ここで、か?」
健吾に言われて、雪灘は我に返ったように顔を上げる。辺りを見回すと、二人の女子生徒と一人の男子生徒が、不思議そうな顔をしてこちらを見つめていた。その中の一人、黒髪の女子生徒と目が合い、彼女が小さく首を傾げる。
途端、雪灘は自分の顔が熱くなるのを感じた。自分が健吾に言わせようとしている内容は、周りにいるこの人たちに聞かれると恥ずかしい内容である。だが啖呵を切ってしまった以上、黙って引き下がる訳にもいかない。自分で退路を断ってしまった雪灘は、窮地に陥っていた。
そんな彼女に、思いもよらない助け船がやってきた。黒髪の少女――――璃那が、声を発したのだ。
「あのー、お話の最中に申し訳ないんですけど、西島さんのお知り合いさんですか?」
「まあね。こいつとは同じ中学に通ってたの。三年生の時、同じクラスだった」
「そうだったんですねー。あ、私、井賀崎璃那って言います。以後お見知りおきを」
「ずいぶん丁寧な話し方するんだね。あた、私は東堂雪灘」
雪灘と璃那が自己紹介をする中、雪灘に突き飛ばされて床に座っていた真が立ち上がり、健吾の耳元に顔を近づける。
「なあ、なかなか可愛い知り合いじゃんか。何怒らせるようなことしたんだよ」
可愛い知り合いと表現された雪灘の顔を健吾は見上げる。確かに雪灘は、顔だけ見れば可愛い部類に入る。短髪でややつり目だが整った顔立ちをしており、ボーイッシュな見た目と彼女の性格は合致している。半面女の子らしい体の細さや仕草を持ち合わせており、ギャップがプラスに働いている。そのせいか、中学時代には男子からの人気も高かった。
だが健吾は、雪灘に対して煮え切らない感情を抱えている。
「こいつ、こっちが勇気振り絞ってした質問を無視しやがったんだよ」
真の質問を聞いていた雪灘が、健吾を指さしながら言い放つ。そして言い終わってから、しまったと言うような顔で口元を手で塞ぎ、顔を赤らめた。
「え? 雪灘さん? どうしたんですか?」
雪灘の態度の変わりように、璃那が疑問符を口にする。視線を移すと、健吾ががっくりとうなだれて顔に手を当てていた。
「あれ? 西島さんまで? 二人とも、どうしちゃったんですか?」
二人の仕草は真の目に、何か取り返しのつかないミスをどちらかが犯したことを暗示しているように映った。雪灘の問いに対する、健吾の「ここで応えなきゃダメか」という返答。異性に対してする、勇気のいる質問。雪灘の赤らんだ顔。これらの条件を統合した結果、真は雪灘の怒りの理由が分かった気がした。
そしてその内容を、うっかり口にしてしまった。
「もしかして健吾お前、その子からの告白から逃げたんじゃ……」
「え、そうだったんですか?」
「真てめぇーーーー!」
絶対にされてはならない誤解をされそうになった健吾が音を立てて席を立ち、真の首に手を掛ける。
「そうだよ! 告白なんてしてないよ!!」
健吾に同意するように、雪灘も語気を強くして抗議する。だがその顔は真っ赤だ。
「ちょ、健吾、ぐる゛じい……」
首を掴む健吾の腕をタップする真。長いようで短い時間ではあったが、気管と血管を締め上げられた真は解放されると咳き込んだ。その背中を、璃那がやさしく擦る。傍らでは、まるでコントの様なドタバタを見せる四人の様子を傍観していた穹良が、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「あ、悪い。でもほんと違うんだ。告白なんかされてない。けど、雪灘の質問から逃げたのは本当だ」
真の首から手を離した健吾は、どっかりと席に座る。そして何かが吹っ切れたかのように、淡々とした口調で話し出した。
「中学の卒業式の後に、雪灘に呼び出されたんだ。何かと思ったら、質問されて」
「何て質問されたんです?」
軽く俯いていた健吾は、璃那の声に顔を上げる。そして雪灘に目配せしてから、その時された質問を小声で呟いた。
「好きな人いるか、って」
「それって告白の前振りみたいなもんじゃん」
「卒業式の日にする質問じゃないですよね」
真と璃那からの視線を受けた雪灘が、苦々し気な表情を浮かべながら押し出すように呟く。
「んなこと分かってるけど、聞かずにはいられなかったって言うか……」
それ以上のコメントは今は望めそうになかったので、璃那は話の矛先を健吾に向ける。
「で、西島さんはなんで答えてあげなかったんですか?」
「答えにくかった、からだ。それにもう二度と会うこともないだろうから、答える必要もないと思ったんだ」
その回答を聞いて、璃那は大きめの溜息を吐いた。
「西島さん、それは西島さんが悪いですよ。もう会うことないから答えなくていいなんて、雪灘さんの意気込みを踏みにじってようなもんじゃないですか。そんなことをして、恥ずかしくないんですか?」
璃那の一言一言が、健吾の胸に突き刺さる。璃那の言うことはもっともで、当の健吾自身も質問から逃げてしまったことを情けないと思っている。だが、当時の状況の全容を知らない璃那にどうこう言われる筋合いもない。そういった反発心が、健吾の口から「でも」という音を発する原因となった。
「でも、じゃないですよ。ほら、謝りましょうよ。これから一緒に高校生活を過ごしていくんですし」
「さっき謝ったんだけど」
「だめですよ。さっきのは、誠意がこもってません。座ったまま机の上で土下座なんて、ふざけているようにも見えますよ?」
「そりゃ、そうかも、な。……分かった」
言って、健吾は席から立ち上がり、雪灘の前に出る。そして雪灘の顔をしっかりと見つめてから、頭を下げた。
「悪かった。お前の気持ちを考えなかった訳じゃなけど、答える勇気がなかった」
頭を下げながら、公開謝罪をしているのだから今後この話題を雪灘が切り出してくることはないだろう、と踏む。そして謝罪ついでに、件の質問に答えることにした。
「で、今更だけど、その質問に答えようと思う」
顔を上げた健吾の決意が宿った表情を見て、雪灘は身構えるように小さく頷く。
「答えは、その質問には答えられない、だ」
答えを聞いた雪灘は回答内容を一瞬理解できず、目をぱちくりさせる。そして一拍置いてから、呆れたような表情をした。
「なにその答え。だいたい、あの時逃げたってことは、何かしらの答えがあって、それを答えるのが嫌だったんでしょ? 今の答えじゃ、逃げる理由ないじゃん」
呆れ顔になったのは、雪灘だけではなかった。璃那も溜息を吐き、軽蔑の色が混じった目で健吾を見る。
「西島さん、男らしくないですよ? はっきり答えたらいいじゃないですか」
――――璃那お前は一体俺の何なんだ
先程からの少しお節介がましい璃那の言葉に、少し苛立ちを覚える。だが、健吾の中学時代を知らない彼女からしてみれば、至極当然のコメントなのだろう。そう考えることにして、健吾は苛立ちをぐっと胸の奥に押し込む。
「確かにあの時はちゃんとした答えがあった。でも、色々考えて、あの時口にしなくてよかったって思ってる。だから答えるとしたら、答えられないっていうのが答えだ」
「……そう、なんだ。答えてくれてありがとう」
残念そうにではあったが、一応答えてくれた健吾に感謝を述べる雪灘。その時、これまでずっと黙って聞いていた穹良が、口を開いた。
「話は終わったか? ならさっさと失せろ」
明らかに不機嫌そうな口調の穹良が、雪灘を見つめている。その視線は険しく、健吾に再会した初日の記憶を思い起こさせた。
だがどういう訳か、雪灘は口元をゆがめ、やめておけばいいのに穹良を挑発した。
「あれ? 居たんだ。気配薄いから帰ったのかと思った。体育の時はあんなに存在感あったのに」
その言葉に、穹良の眉がぴくっと動く。相変わらず表情はないが、苛立っているのはよく分かった。
「やかましい。大体なんだ、さっきの話は。黙って聞いていれば、しょうもない話で私たちの会話の邪魔をしやがって」
「あの、穹良?」
二人の雰囲気が怪しい雲行きになっているのを察して、璃那が宥めに入る。だが、状況は好転しそうにはない。
「しょうもない話って何さ。あんたにこっちの気持ちが分かってたまるか。大体、あんたが体育の時に邪魔してこなければ多少は憂さ晴らしも出来たのに」
「それは残念だったな。弱かった自分を呪うがいい」
「おい二人とも、その辺に――――」
健吾も仲裁に入ろうとしたが、
「健吾は黙ってて!」
雪灘の一声に一蹴されてしまった。
「弱かったって? あんたが強すぎるのがいけないんじゃん。何さあの球の威力。人を吹っ飛ばすような球投げるやつに勝てるわけないじゃん。その力を健吾は利用するし。まるで化け物だよ、化け物」
「……って言った」
軽く俯いた穹良が、何かを小さく呟く。なんと呟いたのかは誰にも伝わらず、雪灘が耳に手をかざす仕草をして煽る。
「え、なんだって?」
「……今何て言った、と聞いたんだ」
怒気を含んだ声と共に、穹良が顔を上げる。その顔には、怒りと恐怖に似た感情が、表情筋を介さずに張り付いていた。




