二章13 私闘
男女ともに一通りの試合が終了した。今度はチームを再編成し、チーム間のパワーバランスを調整したうえで試合を行うかに思われた。が、女子コートで、雪灘が何やら不穏な動きをしているのを男子コート側の健吾は見ていた。女子コート側にいた女性体育教師の元に駆け寄り、何やら提案しているのが見て取れる。
教師と雪灘の間にどのようなやり取りが交わされたのかは健吾には想像できるが、正確にはよく分からない。雪灘と身振り手振りを交えながら数言交わしたのち、教師は女子生徒を集めて挙手制のアンケートを行っているようにも見える。そして他の生徒からの提案も受けたのち、女性教師はこちらの男子コート側に小走りで来て、男性体育教師に耳打ちをした。
「なにコソコソ話してるんだろうな」
傍らに立つ真が、小声で訊ねてくる。
「さあ、な。でもなんだか、嫌な予感がする」
「嫌な予感? どんな?」
「悪いけど、黙秘していい?」
「なんじゃそりゃ」
怪訝そうな目をする真に心の中で謝りながら、健吾は二人の教師の話に耳を傾ける。漏れ聞こえてきた内容を補完してまとめると、男女混合によるクラス対抗の試合が提案されているようだ。
――――あいつ、女子全員を巻き込むつもりなのか
雪灘が女性体育教師に提案した内容を察して、健吾は眉を顰める。
中学時代の雪灘は女子同士の体育に物足りなさを感じた結果、一人男子の体育に交じっていた。当然思春期の男子たちは彼女に手を出すことが出来ず、雪灘は自分より運動能力で勝る男子に対して無双できていたことに快感を覚えていたらしい。そんな雪灘に健吾はよく、おちょくられていた。
そして彼女は今朝、保健室を出て行く際に健吾に宣戦布告ともとれる発言をしている。高校入学直後に単身で男子の体育に参加することはさすがに避けたようだが、女子と混合で試合をすることになれば、雪灘の目的は果たせる可能性が生まれる。
雪灘の目的。それは、ドッジボールで健吾を倒すこと。
個人的なうっぷん晴らしを授業内でされても困る。そう考えた健吾は、雪灘の提案が受け入れられないことを祈った。
だが男性体育教師は、判断を生徒たちに委ねてきた。よく言えば生徒の自主性を尊重する先生、悪く言えば決断力に欠ける先生だ。
「えーと、今女子の方から一緒に試合がしたいって言う提案があったんだけど、どうですか? やりたいですか?」
男女で一緒にプレーするとなると、授業を監督する教師も普段に比べて気に掛ける事項が増えるのだろう。教師側としてはやりたくない、と言うような負のニュアンスが教師の言葉には含まれている。
健吾としても、実にやりたくない提案だ。それに周囲の男子生徒たちも互いの顔を見合わせ、微妙な表情をしている。その雰囲気から健吾は、やらずに済むだろうと踏んだ。
だが健吾の隣にいる男が、すっと手を挙げた。
「やりたいです」
「真、お前……」
「だってこの授業、交流が目的なんだろ? だったら、女子とも交流したいじゃん?」
絶句して目を見開く健吾に、すまし顔の真が返す。確かに真の言うことも一理あるが、己が欲望を臆面もなく口にできる彼の豪胆さに、健吾は反論する気すら失っていた。
そして困ったことに、真の発言に触発された血気盛んな馬鹿数名が、真の意見に同調し始めた。悪いことは重なるものであり、真に触発される男子生徒がまるで感染でもするかのように増加し、ついには男性教師までが賛同してしまったのである。
「嘘、だろ……」
信じられないという顔で周囲の男子たちを見る健吾の肩に、真が手を置いた。
「悪いな健吾、これが民意だ」
「この世には自分の力ではどうにもできないことがたくさんあるんだな」
呆然と呟く健吾の目は、死んだ魚のようになっていった。
その後、男子側と女子側で協議が行われ、身体能力で男子に劣る女子に有利なルールが作成された。内容は、同性同士で当てた場合もしくは男子が女子に当てた場合は一人アウト、女子が男子に当てた場合は、当てられた人ともう一人の計二人をアウトに出来る、というものだ。そのため、女子にボールを投げさせて当てることが出来れば、相手の内野を一気に減らすことが出来る。
そしてこのルールは、女子の中で一際活躍している穹良と雪灘にとって非常に有利に働いた。穹良と雪灘が無双しだしたのだ。
「うそ、だろ……」
健吾は今、コートの中で絶句していた。相手コートには既にプレー可能な内野は残っておらず、最後まで果敢に戦ったが呆気なくアウトになった男子生徒が尻もちをついていた。その男子生徒が信じられないといった風の目で見上げる先には、健吾と同じチームとなり鬼神の如き強さを見せた穹良が、つまらなそうな目をしてその男子生徒を見下ろしている。
試合時間にして、二分も経っていなかった。健吾チームはジャンプボールで先制攻撃の権利を得ると、これまでの試合で著しい戦果は挙げていないものの注目を集めていた穹良に積極的にボールを渡し、アタッカーとしての役割を与えた。穹良は周囲の期待を雰囲気で感じ取ると、かったるそうにしながらもこれに応じ、瞬く間に相手内野の人数を削っていった。
「ふん、手緩い」
試合終了を告げるホイッスルが鳴り響く中、踵を返した穹良が健吾の隣を通り過ぎる際に、ボソッと呟く。
――――ああ、やっぱこいつ、人間じゃねえわ
穹良の呟きを耳にして、健吾はしみじみとそう思った。
コート外に出た穹良を待っていたのは、青ざめた顔の璃那だった。璃那は試合から帰って来た穹良の肩を行かむと、ゆっさゆっさと揺さぶる。
「穹良ー、私との約束、もう忘れちゃったんですかー」
「忘れてなんかないぞ。力は使ってないだろうが」
「だから地の力が強いんですってばー。なんで一人で相手を全滅させちゃうんですかー」
今にも泣きそうな表情で糾弾する璃那に、穹良は少し鬱陶し気に答える。
「仕方ないだろ。私をけしかけてくる味方の連中が悪いんだ。それに、私ほどじゃないが男子顔負けの女があそこにいるだろ」
言われて、璃那はコートの方へ顔を向ける。ちょうどそのタイミングで、穹良の指す女子生徒が男子生徒をアウトにし、味方からの祝福を受けた。
「確かにあの人もすごいですね。もしかしてあの人も混血なんでしょうか」
「さあな。どっちにしろ、私には敵わない」
「間違っても、本気出さないでくださいね……?」
璃那の向けてくる不安げな表情に、穹良は少しだけイラっとして腕を組む。
「何度も言わせるな。連中相手に本気など出さん」
「怪我もさせちゃだめですよ?」
その一言に、穹良は言葉を詰まらせて視線を泳がせる。不本意とは言え、女子生徒を吹き飛ばしてしまったことは璃那が想像している以上に反省しているのだ。
「……分かっている」
再び押し寄せてくる息苦しさに、穹良は奥歯を噛み締める。目に見えない拘束具で拘束されているようなもどかしさが、不快だった。
授業時間も終了間近となり、最後の試合が行われることとなった。そして最終試合にふさわしい対戦カードとなっていた。
「ついにあの二人のいるチーム同士の試合か」
「なあ、やっぱりあの赤毛の子の方が強いのかな」
「でもあの短髪の方も、良い動きするぜ?」
「どっちにしろ、これから白黒つくな」
ギャラリーから漏れ聞こえてくる男子たちの声を聴きながら、健吾は暗い気分に支配されていた。
最終試合は、穹良と健吾のいるチーム対雪灘のいるチームの戦いとなる。周囲の男子たちは異様な身体能力を見せる穹良と雪灘の決着に期待を寄せていたが、健吾にとってはそんなことはどうでもいい。ただひたすらに、相手コートにいる雪灘からの視線から逃げたかった。
「なあ健吾、あいつと知り合いなのか? さっきからお前に対する明白な敵意を感じるが」
コート内を移動して隣にやってきた穹良が、小声で訊いてくる。まさか穹良がそんなことを尋ねてくるとは思っていなかったので、健吾は思わず驚きの表情を作った。
「まあ、知り合いっちゃ知り合いだな。あんまいい思い出はないけど」
「なら、私がやってもいいな?」
「なら」の使い方が合っているのかという疑問が浮かんだが、考えないことにした。
雪灘の行動が中学時代と変わっていないなら、彼女は執拗に健吾を狙ってくるはずだ。先月までお互い中学生だったという指摘は置いておくとして、そのボールをどうにか取り、もしくは避けるなかで穹良の手に渡れば、雪灘を外野送りにすることは難しくないだろう。後は、外野に回った雪灘から攻撃される前に、穹良が相手内野を全滅させればいい。
「いいぜ。って言うか、頼みたいくらいだ」
「その心は?」
「秘密で頼むわ」
試合開始のホイッスルが鳴り、ジャンプボールで先制攻撃権が相手チームに渡る。案の定、ボールは内野間でパスされ、雪灘が手にした。当然ながら、狙いは健吾。
風切り音が聞こえそうなほどの速度でスイングする腕からボールが放たれ、健吾に向かって一直線に飛んでくる。健吾はこれを持ち前の反射神経で回避すると、すぐさま体の向きを変えて外野からの攻撃に備えた。だがここで、味方の女子内野が反応の遅れによって餌食となり、外野に回る。
健吾チームの内野は一人減ってしまったが、ボールは健吾側のコートに残った。このボールを男子内野が取り、雪灘めがけて投球する。男子の中で標準的な球速ではあったが、女子にとっては早く感じるはずのボールである。だが雪灘は危なげなくそのボールをキャッチすると、お返しとばかりに投げ返し、その男子生徒を返り討ちにした。更に特殊ルールによって味方内野がもう一人外野に回ることとなり、健吾のチームは早くも三人の内野を失うことになった。
だが雪灘に討たれた男子生徒も、ただやられたわけではなかった。コート内にボールを残していってくれたのだ。穹良は転がるボールを拾い上げると床につきながらセンターラインぎりぎりまで前進し、雪灘に狙いを定める。そして極限まで力を抜き、威力を最小出力にして投擲した。
それでも、穹良のボールの威力は並みの男子のものを凌駕する。しかしながら雪灘は難なくそのボールをキャッチすると、再び健吾に目標を定めて腕を振りかぶった。
避ける健吾、取る穹良。わざわざダイビングキャッチまでしてボールを得た穹良は、今度は少しだけ「普通に」投げてみる。これも、雪灘をアウトにするには至らない。
「……ち、さっさとくたばれ」
「穹良、暴言はやめてくれ」
唐突に吐き出された暴言を、健吾は慌てて諫める。今更ではあるが、さっき穹良が言った「やっていいか」というのは「殺っていいか」だったわけではないだろうな、と不安になる。
そんな会話をしている間にも雪灘からのボールは飛んでき、今度は健吾がキャッチした。健吾はそのボールを一瞬自分で投げようかとも考えたが、穹良にパスする。
「あ、健吾お前、自分で投げろよな」
健吾が穹良にボールを渡すのを見て、相手コートの雪灘が指さしながら声を上げる。
「うるせえ、こっちの作戦だよ」
「そういうことだ。黙って私の手柄となれ」
ボールを受け取った穹良が、物騒な言葉を吐きながら腕を振りかぶる。だがこのボールも取られてしまった。
両チームは互いに穹良と雪灘にアタッカーを任せるという戦法を取った。中には、自らが肉壁となり外野行になる代わりに、身をもってボールを自陣に回す内野も現れた。そうして試合は進行し、ついには健吾チームは健吾と穹良の二人に、雪灘のチームは雪灘ともう一人の男子の二人という、どちらかの女子がどちらかの男子に当てた途端雌雄が決する展開となっていた。
「な、何なのさあんた、邪魔しないでよ。用があるのは、健吾にだけなんだから」
肩で息をしながらも、雪灘は闘志を隠そうとせず穹良を睨みつける。だが少しずつ威力の上がっていく穹良のボールに体力を削られ、明らかに劣勢に立たされていた。対する穹良の顔からは疲労の様子は感じられず、床にボールをついている。
「そうはいかない。お前のことは、健吾からさっさと倒すように言われている。さっさと、の部分が既に達成できていないがな。少なくともお前に健吾はやらせない。その前に私がお前を倒す」
――――おお、なんか今の穹良、かっこいいな
そういえば、と健吾は穹良の後姿に目をやる。今の彼女は、長い髪を運動しやすいようにポニーテールにまとめている。普段見れない髪型が見れていることに対する喜びと、背中からにじみ出るりりしさに、思わず見とれそうになる。
そんな健吾にはお構いなしで、穹良は剛速球を投げる。雪灘はなんとかこのボールをキャッチしたが、ボールの運動エネルギーを殺しきれずに後ろによろけた。
その時ふと、健吾は心の奥が痛むような気がした。痛んだものの正体が良心であったことに気付くのに、時間は必要なかった。
雪灘があそこまでムキになる理由には、思い当たる節があるなんてものではない。健吾のせいで彼女が傷つき、その報復をドッジボールという手段で行おうとしている。
それなのに健吾は、雪灘からの正当な報復を受けようとするのではなく、穹良に肩代わりをさせ、雪灘の傷を更に深いものにしようとしている。そのことに気づいてしまった。
――――でももう遅い。俺は、最悪の選択をしたんだ
雪灘は明らかに弱っている。あと一発穹良の投球が加われば、間違いなくアウトとなるだろう。それでこの試合は終了だ。
だが、同じ高校に通っている以上、雪灘との関係は終わらない。今既に溜まりかけている膿を出さなければ、いずれは大きく腫れあがって後悔することになる。そんな気がした。
ではどうすれば膿を出せるのか。ベストな選択肢はないが、ベターな選択肢ならある。
雪灘が、大きく腕を振りかぶる。投球の瞬間の彼女の顔は、怒りに似たものに支配されていた。
風を纏ったボールが、健吾めがけて豪速で飛んでくる。穹良がそのボールを取ろうと、健吾の視界に入ってきた。だが健吾は更にその前に出て、穹良に取られてしまう前にキャッチした。
「……健吾?」
健吾の行動に、穹良が疑問符を口にする。
「ごめん、今更だけど、俺が投げる」
何もかも今更なのは重々承知していた。だが、穹良に雪灘をアウトにさせてしまえば、更に雪灘を傷つけることになってしまう。
今となっては、雪灘に当てるのが穹良であっても健吾であっても、その後の展開に変わりはないのかも知れない。既に手遅れであって、雪灘は十分傷ついたかもしれない。それでも、健吾のエゴでも、健吾自身が雪灘と勝負するのが筋だと思えた。
――――俺は勝っちゃだめなんだ。でも雪灘、ルールがあるもので挑んできたお前も悪い
煮え切らない感情を抱えながら、健吾は思い切り腕を振る。投げ出されたボールは、捕球姿勢を取った雪灘の元へ吸い込まれるように飛んでいく。穹良のものよりは遅い球速に安心した雪灘が、安堵の表情を浮かべたのが分かった。
だがボールはキャッチされる直前で上方向へ緩やかに軌道を変えた。投球時に掛けておいた回転が、雪灘の目の前で軌道に影響を与え、彼女からしてみれば急に顔に向かって来るような球筋になる。唐突な軌道変更に、雪灘の反応が遅れた。
「うそっ、きゃっ」
キャッチすることよりも顔を守ることを反射神経が選択し、ガードのために腕を掲げる。ボールはその腕に当たり、弾かれて床を跳ねた。ボールが床に落ちるのと時を同じくして、よろけた雪灘が尻もちをつく。顔を上げた雪灘は、何が起きたのかを理解できていないような、呆然とした表情を浮かべていた。
残る男子もすぐに討ち取られ、その日の体育は幕を閉じた。




