二章12 欺瞞工作
穹良が人に謝罪するという、あまり行いたくないイベントを終えた頃。健吾は試合のさなか、あるプランを実行しようとしていた。穹良が力を使ってボールを弾いた現象を擬似的に行うことで、あの現象が特異なものでないことを周囲に対して示す必要があると思ったからだ。
「で、どうなんだ健吾、出来そうなのか?」
相手コートからのボールを躱しながら、真が耳打ちしてくる。
「やってみなきゃ分かんないけど、な。下手したら俺がただダサい当たり方するだけになるから、そん時はフォロー頼むぜ」
相手外野にボールが渡り、健吾、真ともに百八十度体の向きを変える。ボールを手にした外野と、目が合った。
「え? どうしようかなー」
土壇場での裏切りを匂わす発言に、健吾は本気で困惑する。
「ちょ、おま」
「冗談だよ」
いたずらっぽく笑う真を、健吾は軽く睨みつける。その時、外野が腕を振りかぶった。
思った通り、ボールは健吾に向かって飛んでくる。他人よりちょっと動体視力の良い健吾にはキャッチすることも躱すことも出来る球だったが、プラン実行のために、あえて回避行動をとらず真っ向からボールと相対する。
そして被弾する瞬間、健吾はバレーボールのアンダートスの際のように右腕を前に出した。上体を捻って男子ギャラリーに手元が見えなうように隠しながら、ボールを真上に弾き上げる。後は、落ちてきたボールをキャッチするだけだ。例え当たってしまっても、床に落ちる前にキャッチできていればルール上は問題ない。
すると健吾の一連の動作を見ていた男子サイドから驚きの声が上がり、その一部がプレー中の健吾の耳にも聞こえてきた。
「すげえ、さっきの赤毛の子のやつみてえ」
「でもちょっと違くね」
「いや、あんなもんでしょ。あれなら俺らでも出来そうじゃね?」
ギャラリーの声に、健吾は自分の作戦が成功したことを確信する。
穹良がボールを弾いた現象は周囲に驚きを与えたが、それはインパクトが大きかったからであり、結果に驚いただけだ。過程を目にした人が少ないなら、結果を似せてやればいい。そうすれば穹良に注目が集まるのをある程度緩和することができる。そう思って考案した作戦だが、効果的だったようだ。
「上手くいったか?」
コート内を移動しながら隣に来た真が、小声で訊ねてくる。
「なんとかな。インパクトしか記憶に残ってない奴らには、いい欺瞞になったんじゃないか?」
手にしたボールを床に衝きつつ当てる相手を吟味しながら、健吾も小声で応じる。
「だといいな。でもお前もいつかボロを出すかも知んないし、安曇野さんも別の何かで正体を露呈するかも知んない。くれぐれも、気をつけろよ?」
「そうだな。気をつけるよ、っと」
軽く腕を振り、相手の脚元を狙ったボールを放つ。見事命中し、内野の人数を一人減らした。
その後健吾はごく普通にプレーし、健吾の属するチームの勝利に終わった。
一方の女子コートでは、穹良の属するチームと雪灘の属するチームの試合が行われていた。内野にいた穹良はまさに今、雪灘にロックオンされている状況下で、うっかり力を開放しそうになる。
(……っと、いかん。璃那やかがみに迷惑を掛けるわけにはいかないからな)
考えながら、向かってきたボールを首を傾けるだけで躱す。確かに女子にしては速いボールかも知れないが、穹良にとっては余裕で躱せるボールだ。
(これが人間の球速の上限か? そんなことはないだろうが、少なくともこの場では最速といったところか)
試合中でありながら考え事に耽る穹良は、ボールが渡った外野に背を向けたまま、未防備に佇んでいる。
「ちょっと穹良、試合中にぼーっとしてると危ないですよ」
ステージ上で観戦していた璃那が声を掛ける。もしかしたら穹良は、能力を使ってしまうことを恐れて早々にアウトになってしまおうとしているのでは、という予想を立てた璃那であったが、次の瞬間その予想は大きく外れていたことを認識することとなる。
背後から飛んできたボールが穹良の背中に当たる直前、穹良は神がかったタイミングでしゃがんだのだ。
そのため穹良に当たるはずだったボールは目標を失い、たまたま穹良の正面にいた別の女子生徒に命中した。女子生徒からしてみれば、唐突にボールが現れたことになったのだが、とっさに腕を掲げて顔面への直撃を避ける。そして穹良は、女子生徒の腕で跳ねて上がったボールをキャッチすると、「大丈夫か」と声を掛けた。
「え、あ、う、うん」
鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしながら頷く女子生徒の返答を聞くと、穹良はボールを持ち替えて狙いを定める。目標は「とうどうせつな」の右側に立っている生徒の左足。そして真の目標は、跳弾が「とうどうせつな」に当たること。先程の女子生徒には「面白いものが見られそう」と言われたが、そんなものを見せてやる義理はない。
(食らえ)
湧き上がる狩猟本能を何とか抑え込みながら、可能な限り威力を控えた投球を放つ。それでも、球速は並みの女子生徒のものを凌駕していた。
サイドスロー気味に投げられたボールは体育館の床面を這うように飛翔し、緩く弧を描きながら目標に向かっていく。そして見事に、狙った相手の脚に命中した。だが残念ながら、本当の目標である「とうどうせつな」には当てることが出来なかった。
(ふん、命拾いしたな)
相手チームにボールが渡ったので、穹良は周囲に習って後退する。ボールを手にしているのは、再びの雪灘だ。彼女の目には、「次こそ当てる」という強い意志が宿っているのが伺える。
(無理だ人の子、貴様のボールは私には当たらん)
種族間における能力の差が、穹良と雪灘の間に決定的なものとして存在する。今の穹良にとっては、雪灘のボールは避けようと考える前に体が反応して動くため、当たることの方が難しい状態にあるのだ。
そんなことは露も知らず、雪灘は狙いを穹良に定めて全力の投球をしてくる。先程の投球よりも鋭い球筋ではあったが、穹良は右足をひいて上体を少し捩じっただけでこれを躱した。
「ねえ、やっぱりあの子すごくない?」
「うん、今の避け方もかっこよかった」
女子ギャラリーからの声が聞こえてきて、穹良は軽く顔をしかめる。
(まさか、今のでもやりすぎだというのか)
周囲からの視線と璃那からの言葉にがんじがらめにされて、穹良は息苦しさを感じる。いちいち注目されるのは気持ちが悪いし、自分の体を思うように動かせないのは非常にもどかしい。そんな鬱陶しい感情に支配された結果注意が散漫になり、あろうことか後ろからの緩いボールに被弾してしまった。
「……あ」
背中に何かが当たった軽い感触に振り返ると、小さくバウンドしたボールが転がっていくのが見えた。そして視線を上げると、いかにも運動が苦手そうな女子が投球フォームのままこちらを見ており、それから活躍できたことに対する喜びが込み上げてきたのか、満面の笑みを浮かべた。
その様子を男子サイドから見ていた真が、健吾に耳打ちする。
「なあ、もしかして安曇野さんって、集中切れるとポンコツになる系?」
「どうだろうな」
案外、真の言う通りなのかも知れない。正確には、複数のことを同時に行うことに慣れていないのかも知れない。
(それはそれで、可愛い、かも、な)
数日前に健吾に見せた彼女の冷徹な目、今でも感情の宿らない顔。それでも、彼女の行動には表情が付き始めている。少しずつではあるが、彼女の素性が知れてきていることに健吾は喜びを噛み締めた。
「ん? どうした健吾、口元緩んでるぞ」
「え? んなことねえよ」
無意識のうちに手を口元に上げ、覆い隠す。穹良のポンコツな一面を知れて喜んでいることを、真に知られるわけにはいかない。
だがその所作は、本人の思惑と裏腹に働いていたことを、愚かしいかな、健吾は気づいていなかった。
「そうかい。なら何も言わねえよ」
明らか過ぎる照れ隠しをする健吾に、真はやれやれという風に首を振る。
かわいいと思うなら素直にそう言えばいいのに、とは口に出来なかった。




