二章9 合同体育
昼休み。真は「狭えよ自分の机使えよ」と不満をたれる健吾の机を間借りして、健吾と向かい合いような形で昼食を広げていた。
「そういえば今日の五限の体育、三組と合同だってな」
「喋んのは口の中身をどうにかしてからにしろよ」
頬をパンパンに膨らませたまま喋らないでほしい。口の中身を噴き出さずに話せているからいいものの、咳でもされたらたまったものではない。
それにしても、と健吾は考え事に箸を止める。三組との合同体育と聞いて、嫌な予感がするのだ。
三組は今朝ぶつかった雪灘がいるクラスだ。運動神経のいい雪灘は中学時代、女子同士の体育では物足りなくなり、男子に交じって授業を受けるようになっていた。当時の彼女は、男子が迂闊に女子に手を出せないことを知っていたので、そのことを利用して調子に乗っていた。そしてルール上敵対するとなぜか健吾のことをライバル視して執拗に絡んでくるという、はた迷惑な記憶がある。もし高校でもそうするつもりならと思うと気が重い。
――――いや、待てよ?
健吾は保健室を出て行く際の雪灘の一言を思い出して、眉根を寄せる。確かあの時、「五限覚えとけ」と言っていた。五限は合同体育なのだから、言葉通りと考えると競技によってはガンガン絡まれる可能性がある。
「……めんどくせえな」
「ん? なんだって?」
思わず漏れてしまった心の声に、真が反応する。余計な興味を持たれないように、健吾はとっさに首を振った。
「いや、何でもない。こっちのこと」
ふうん、まあいいやと呟いてから、真は健吾の顔をまじまじと見た。その視線に気付いた健吾が、顔を上げる。
「な、何だよ」
「んにゃ? 別に? ただ今日のお前はよく表情が変わるなと思って」
「そうか?」
「なんつうかさ、今朝はにやけたり今は暗い顔してたり。初めて見た時には表情変わんない奴だなって思ったけど、案外変わるんだな」
「そうかな……」
正直、自覚のないことを指摘されても返答に困る。だが自分としてはあまり表情のバリエーションがない方だと思っていたので、「案外変わる」と言われるのは新鮮な気持ちになる。
「うん、結構変わるよ。引き換えと言うか、安曇野さんは表情変わんないよな。なんかお面被ってるみたいって言うか、人形みたいって言うか。あの目で見つめられんの、なんか心理的に怖いんだよな」
「それは何となくわかる。なんつうか、防犯カメラとにらめっこしてるみたいなんだよな」
昔の穹良は笑顔が良く似合う記憶だったが、今はそうではない。いつかは笑顔を見せてくれるのか。それはいつになるのか。やはりまずはかがみと打ち解けてもらうのが手っ取り早いのか。少なくとも、今考えて答えの出ることではないということは確かだ。
同時刻、高等部棟の屋上にて。
晴天の下、穹良は璃那と屋上を二人占めにして昼食を摂っていた。手持ちのハンカチを広げてその上に胡坐を掻く穹良の隣に璃那も座り、膝の上に持参の弁当を広げる。そんなさなか、穹良は小さくくしゃみをする。
「風邪ですか? 夜はまだ寒いですからね。体調には気をつけないと」
まるで母親が口にするようなセリフを言いながら、璃那はスカートのポケットからティッシュを取り出して穹良に渡す。穹良はそれをありがたく受け取り、手にしていたおにぎりを一旦置くと、ちーんと鼻をかんだ。
「私はちょっとやそっとでは風邪はひかん。誰か私の噂をしたな?」
噂をしそうな男子二名の顔を思い浮かべて、穹良は瞑目する。どうせ大した噂話はしていない。
「そういえば穹良、半竜の方って運動神経っていいんですか?」
質問の意味がよく分からず、穹良は咀嚼を止める。
「どういう意味だ?」
質問の意図が理解できなかった穹良が、最後の一口を咀嚼して飲み込んでから聞き返す。
「いえ、なんというか、私たちからしてみれば超能力みたいな力をお持ちじゃないですか、きっと。だから、身体能力もいいのかなー、なんて」
考え込む仕草なのか、それとも考えるのが面倒くさいのか、穹良はゆっくりと首を右に傾けながら空を見上げる。
「まあ、いい、のか? どうだろう、よく分からない。何だ、何か気になることでもあるのか?」
生返事をしてから、今度は穹良が問いかける。
「気になること、と言うほどのことでもないんですが、今日の五限、三組との合同体育じゃないですか」
「そうらしいな。それがどうかしたのか」
穹良の答えを聞いて、璃那は内心当惑する。自身の運動神経について把握していないということについては今後どういうことなのか確認するとして、彼女には半竜であるという事に対する自覚が薄いような気がする。もし半竜であることがクラスメイトに露見するようなことがあれば最悪、穹良自身はおろか、健吾や璃那、そして先日穹良が口にしていた妹まで学校に居られなくなる可能性があるというのに。
「……いえ、何でもないです」
璃那自身も学校に居られなくなる可能性があるのに、璃那はなぜが自分が危惧していることを穹良に伝えることが出来なかった。穹良への忠告は穹良の周囲の人たちのためでもあるはずなのに、璃那は自分が差し出がましいことをしようとしているのではないか、と思ってしまったのだ。
正体がばれるもばれないも、穹良が決めることだ。そして璃那は穹良に仕える立場として、彼女の意向を優先させるべきなのでは、そう思って、忠告を口に出来なかった。
「ん? そうか?」
急に黙り込んだ璃那を不思議そうな目で見てから、穹良は昼食を再開する。
(今日の体育が何事もなく終わりますように)
真顔で昼食を頬張る穹良を横目で見て、璃那は心の中の神様に祈った。
五限。第一体育館棟には、一年二組と三組の生徒、総勢七十名弱が集まっていた。一年生は六クラスあり、クラス間の親睦を深めるために定期的に合同で体育の授業を行っているのだという。今日はその一回目なのだ。
「なあ、何で一回目の合同体育が、一組とじゃなくて二組となんだ?」
二人一組で行う柔軟体操をしながら、真が健吾に問いを投げかけてくる。
「俺が知るか」
至極真っ当な疑問ではあるが、その疑問を深く追及するつもりのない健吾にとっては合同体育の相手が一組だろうと三組だろうと、知ったことではない。
それよりも、と健吾は先ほどから送られてくる鋭い視線を無視しきれなくなって、そちら――――半分に分けられた体育館の女子コートに目を向けた。
合同体育とはいえ、男女までは合同ではない。体育館をネットによって半分に分け、出入り口側で男子が、ステージ側で女子がそれぞれ授業を行う。健吾の体を貫きそうな鋭い視線は、女子側コートのステージ上に腰かける女子生徒から送られてきていた。その視線に、健吾は嫌な予感を覚える。
「……まさか、な」
「ん? 何が?」
うっかり口に出してしまった心の独り言に、真が反応する。が、健吾は無視を決め込んだ。真には悪いが、あまりこの話題に踏み込んで欲しくない。
ほどなくして、男女ごとにチーム分けが行われた。今回は男女ともにドッジボールを行うらしく、九人ほどずつの四チームが作られる。
「あれ、穹良? その、髪の毛……」
ステージ側半分を使い女子たちは、脱いだジャージやタオルをステージの上に置いている。穹良も脱いだジャージの上をステージ上に置き、その傍らに腰かけて長い髪を結んでいた。璃那が声を掛けてきたのは、穹良がポニーテールにしようと髪をまとめている時だ。
「ん? どうした?」
あっけらかんとした態度の穹良を、璃那が呆然とした表情で見つめる。そして璃那は一瞬、自分の感覚がおかしくなったのかと疑いたくなった。
「髪の毛、短くなってません……?」
目をこすってみても、璃那の目に映るものに変化なはい。
穹良の髪は確か、彼女の腰の位置くらいまでの長さがあったはずだ。だが今はどう見ても肩甲骨の下くらいまでの長さしかない。昼休みから五限にかけての小一時間の間に、明らかに短くなっているのだ。
「そうか? そうかもしれないが、まあ細かいことは気にするな」
髪を結び終わった穹良が、首を軽く左右に巡らせてポニーテールを揺らす。
「細かいことって……、ああ、私行かないと」
璃那の属するチームに呼ばれて、話の腰を折られた璃那が湧ててコートに入る。その璃那の背中を眺めながら、穹良はふと浮かんだ疑問を口にした。
「どっじぼーる、ってなんだ?」
その問いに答える者はいない。
間もなく、第一試合が開始された。一試合目は出場しない穹良は、ステージの上で胡坐を掻きながら、ドッジボールがどういうものなのか見学していた。コートの中の人の動きとボールの動きを観察するうちに、これがどういった競技なのか次第に分かってきた。
「なるほど、相手に当てればいいのか。璃那、ピンチだな」
競技が開始されてからまだそれ程時間は経っていないが、璃那のチームは既に劣勢に立たされていた。逃げ惑うばかりでボールを取ろうとせず、コート内のメンバーと外野に挟まれて翻弄され、体力を削がれている。どうやらチームの編成に偏りが出来てしまったらしい。
「あ、璃那当たった」
何とか相手のボールを避け続けていた璃那だったが、惜しくも被弾し外野に回る。内野から抜けるときの大きく肩で息をしているところを見ると、相当疲れたのだろう。
穹良は今度は相手チームに目を向け、璃那に当てた人物を観察した。相手チームの中で一番動きのいい短髪の彼女は、いかにも運動が出来そうな風体をしている。璃那に当てた時も、直前に別の人に投げ、その人が取れずに弾かれて高く上がりながら自陣に戻ってきたボールを空中でキャッチし、そのまま璃那に当てている。球速も、奥で試合している男子のものと同等か、それ以上に見える。
「雪灘ちゃんのボール早いねー」
「私、あのボール来たらとれる自信ないよ」
傍らから聞こえてくる女子の話声を耳にして、穹良は何故か彼女の名前を覚えようという気持ちになった。
「せつな、か」
頭の中で「せつな」という音を反芻しながら、今度は奥の男子の試合に目を向ける。互いに内野の人数を減らしつつあるが、女子の一試合目のように一方的な展開ではなく、取っては投げ、投げては取りの白熱した試合を展開している。今ちょうど健吾がボールをキャッチし、ジャンプして回避しようとした相手の脚に当てて外野送りにしたところだ。
「おお、健吾もなかなかやるな」
全体的に男子の方が球速もあるし、あちらの方が楽しそうだなと思っていると、ホイッスルの音が響いて女子側の試合が終わった。
「穹良ぁー、あの人、強すぎませんか?」
ヘロヘロになりながら戻ってきた璃那が、フラフラと穹良のもとへ歩いてくる。
「お疲れ、ほれ」
穹良はそんな璃那に、彼女が持って来ていたタオルと水筒を手渡してやる。
「あ、ありがとうございます」
璃那はそれを受け取るとタオルを首にかけ、水筒の中身を少量飲んでからステージによじ登り、穹良の隣に腰かけた。
「あんなボール、取れるわけないですよね」
水筒を傾けながら、璃那は同意を求める様な視線を穹良に送る。だが返って来た答えはどこか上の空なものだ。
「ああ、そうだな」
生半可な返事をしながら、穹良はステージを降りる。
「穹良さん、試合頑張ってくださいね」
背後からの璃那の声に穹良は軽く振り返り、片手を挙げて応えてからコートに入った。




