二章4 竜の巫女
「――――それで、うちの神社で奉っているのは竜神様なんです」
その自己紹介を聞いて健吾は違和感を覚え、穹良は何かに気付いたのか、井賀崎と名乗った少女を見据える。
「そういう事か」
「そういう事です」
「どういうことだ?」
放って置くと二人だけで話が進んで置いてけぼりを食らいそうなので、健吾は早めに食いついておく。
竜は水の神として奉られることもあるので、琵琶湖を擁する滋賀県に竜を奉る神社が複数あるとは聞いた覚えがある。だから、井賀崎の実家が竜を奉る神社であることには何の疑問も持たない。問題は、なぜ名乗るだけでいいはずの自己紹介で、実家が奉っているものまで口にしたのか、という点だ。
健吾の疑問に答えてくれたのは、穹良だった。
「こいつと朝話した時から、なんか変だと思ってたんだ。人間なのに、微かに竜力が出ていた。私たちとは違う部類の竜力がな」
ここで一旦言葉を区切ると、健吾の方へ視線を移して続ける。
「こいつは竜の巫女。私たちを崇拝の対象とする、竜力を感じ取ることができる人間だ」
「竜力を感じ取る? そんなことが? それに、崇拝対象ってどういうことだ?」
健吾の知識の範疇を超える単語が一気に出てきて、理解が追い付かない。人間が竜力を感じ取れるという話は小耳に挟んだ記憶もあるが、正直実在するとは思っていなかった。崇拝対象になるなんて話は、聞いた覚えもない。
「私は小さい頃から、少し特殊な環境で育ってきたんです。それに私の家は代々竜の巫女で、元々資質があったんだと思います。ですので、お二人くらいの力の持ち主ともなりますと、容易に判ります」
井賀崎の言う「二人くらいの力」がどの程度を指すのかは分からないが、二人とも守護者を所有している身だ。守護者を所有しているかどうかがある程度のパラメータになるので、井賀崎の言う事は出鱈目でないことになる。
「俺も竜力が分かる人間がいるって話は聞いた記憶があるから、それはいいんだけど、じゃあ崇拝対象って話は? 俺たちは拝まれるような存在じゃないだろ?」
「いえ、私たちは半竜の皆さんを人の姿をした竜神様、いわゆる現人神として崇めてきました。敬服すべき存在の竜神様が、わざわざ人のお姿になって私たちとの交流を持とうとして下さっているのですから、それ相応のもてなしをし、お仕えするのは当然のことと、そう教わってきました」
「なるほど、そういう事か」
つまり健吾と穹良は、目の前の少女に神と等しいものとして認識されている、という事だ。
あまりにスケールの大きな話に、健吾は頭がぼーっとしてくるのを自覚する。スケールが大きすぎて、もはや何も感じない。今もしインタビュアーに感想を尋ねられたとしても、気の利いたコメントは出来そうにない。
「そういう事なんです。ですので一度しっかりとご挨拶をと思いまして。なんのご縁か、クラスも一緒ですし」
井賀崎の言葉が、鈍化した健吾の思考に重くのしかかる。わざわざ挨拶をされるような人でも、ましてや崇められるような人でもないのに勝手にそうされて、どうしろと言うのか。
この事実をどう受け止めたものか。考えるのが億劫になって、傍らの穹良に声を掛ける。
「昨日まで人間のつもりで生きてて、今日はもう神か。スピード出世の世界記録を軽く超えたんじゃないか? なあ、俺たち、崇められるんだとよ」
「悪い気はしない」
間髪を置かずの返答。穹良はきっと今も昔も半竜として生きてきたのだろうし、井賀崎の言葉をすんなり受け止めていたところからも、自身が信仰対象であることは知っていたのだろう。となれば感じ取るものも、健吾のそれとは大きく異なるはずだ。悪い気はしないと言っているのだから、どちらかと言えば気をよくしているのだろう。
と思ったら、どうやら違うらしい。
「悪い気はしないが、良い気もしない。お前たちが私たちのことをどう捉えようと勝手だが、少なくとも私は余計なお世話だと思っている。それに私たちがこの姿をしているのは、お前たちに崇められるためではない。生きていくためだ」
「それはそうかも知れませんが、しかし……」
きまりが悪そうに視線を泳がせる井賀崎。彼女がこれまで信じてきたものを信じてきた対象から否定されるのは抵抗があるだろうが、こちらも勝手な解釈をされているのは事実だ。
不意に沈黙が訪れ、場に空気が重くなる。その空気を破ったのは穹良だった。
「さっき、一緒のクラスになったのは何かの縁だと言ったな」
「……はい、言いましたが」
答えて、井賀崎はハッと口元を抑えた。
失言したと思ったのだ。後から考えてみれば、崇め奉るべき対象に対する接し方として正しかったのか、不安になる。当然不敬を働くつもりで接したわけではないが、それは相手が判断することだ。もし軽率な発言が穹良の気分を害し、怒りを買って暴れられるようなことがあれば、非力な人間である井賀崎に彼女を止める術はほとんどない。
「縁とは、活かしてこそのものだろう。なら、崇めるとかそういった関係ではなく、もっと建設的な方がいいと思うんだが」
「……と、言いますと?」
穹良の発言の意図を図りかねて、もっと詳しく聞こうと先を待つ。
「お前、私の話し相手になれ」
「……は?」
一体どんな言葉が出てくるのかと身構えていた井賀崎は、肩すかしを食らったような気分になる。何とは言えないが、もっと何か別のものが来ると思っていただけに、素で疑問符が出てしまった。
「だから、私の話し相手になれと言ってるんだ。こいつ以外の話し相手が欲しいと思っていたところだしな」
「お前、人のこと指さしながらこいつ言うな」
隣に立つ健吾のことを親指で指さす穹良に文句を言うと、穹良はちらりと視線を寄越しただけで話を続ける。
「どうだ。簡単なことだろう?」
――――無視すんなこら
一方の井賀崎は穹良の言葉をどんなふうに受け取ったのか、慌てたように体の前で大きく腕を振っている。まるで穹良の提案を拒むように。
「とんでもありません!」
拒んでいた。清々しいほどに、きっぱりと。
予想外の反応をされた穹良が呆気に取られたような目になる前で、井賀崎がガバリと頭を下げる。
「あなたの様な強いお力をお持ちの方のお話し相手など、私なんかには到底勤まるものではありません」
「でも穹良に話かけたのは、井賀崎からだろ?」
健吾から飛んできた尤もなツッコミを受けて、井賀崎は困ったような顔をする。
「それは、その、せっかく同じクラスにいながら、ご挨拶しないのも失礼だと思い……」
「では、私からの申し出を断るのは、失礼ではないと?」
完全に墓穴を掘った形となった井賀崎が、言葉を詰まらせる。
穹良の言い方は少し卑怯だ。井賀崎にとって穹良は、崇拝対象。そんな相手に話し相手になってくれと言われても、普通は恐れ多いと引き下がりたくなるだろう。だが最初に話かけたのは井賀崎で、もし今朝井賀崎が穹良に話かけなければ、今の状況は発生していない。穹良も彼女のことを「変わった感じのする奴」程度の認識で、交流を持とうとはしなかったかも知れない。
では、目の前の状況をどうすればいいのか。井賀崎は困惑して沈黙し、穹良は答えを待って沈黙している。このままでは、この場では目下という事になる井賀崎がかわいそうだ。
「……お、恐れながら……」
「建前はいい。嫌なら、はっきりそう言ってくれ」
「そんな、嫌だなんて……。しかし」
更に答えに窮して、どんどん縮こまっていく井賀崎。そんな彼女の姿を見て、穹良はうんざりとしたように溜息を吐いた。
「お前、めんどくさい奴だな」
「め、面倒くさい?」
少し驚いたような表情をして、井賀崎は目をぱちくりさせる。きっと今まで、「面倒な奴」と言われたことが無いのだろう。
言われたことのある人の方が少ないだろうが。
「ああ、めんどくさい。私の妹なんか、あまりにきっぱりと私を拒絶するものだから、傷ついたくらいだぞ」
「え? 妹さん? 拒絶? 喧嘩してるんですか?」
「お前、伝わらない自虐すんなよな。困惑するだけだろ」
「と、こんな感じに話すだけだ。簡単だろ?」
――――こいつ、上手くまとめやがった
もしかしたら穹良は自分よりもコミュニケーション能力高いかも知れない。そう思って微かな焦りを感じ始める健吾をよそに、井賀崎は態度を軟化させつつあった。
「……ほんとに、私なんかでいいんですか?」
「さっきからそう言っている」
「私は、あなたが思うような人間じゃないかも知れませんよ?」
「そこはお互い様というものだろ? 健吾」
「なんで俺に振るんだ」
「仕方ないだろ、人付き合いの経験が浅いんだから」
井賀崎は目を閉じて、しばし黙考する。
最初は単なる興味本位だった。
現人神である半竜に仕えつつ過度の干渉は避ける、それが祖父から散々聞かされてきた教えだ。だが今まで半竜そのものに遭遇したことがなかった井賀崎には、祖父の教えは現実味の伴わないものだった。半竜がどういった存在で、どんなふうに生活しているのか。半竜に仕えるとはどういうことなのか。
だから知りたいと思い、意を決して話しかけてみた。その結果が、今の状況だ。井賀崎たちからしてみれば神にも等しい存在から話し相手になれと言われている。それは、祖父の言う「過度の干渉」に値しないのか。もし彼女の気分を害してしまうようなことがあれば、取り返しのつかない結果を招くことになってしまうのではないか。
でも、やっぱり知りたい。色々な話をして、半竜のことをもっと知りたい。それがより良い奉仕へと繋がるなら、竜の巫女としての大事な役目となるはずだ。
「分かりました。安曇野さんの話し相手、ぜひ務めさせていただきます」
こうして穹良は、健吾以外の話し相手をクラス内に作ることに成功した。半ば強引な手を使っているため成功したと言っていいのかは断言できないが、気軽に話せる相手が出来た事実は大きい。もしかしたら今後、互いの素性を知っていく中で疎遠になっていくかもしれない。だがそれは今は考えなくてもいいことだ。
「一つ言い忘れていた」
「なんですか?」
頭を下げて了承の意を示していた井賀崎が、穹良の意外な一言に顔を上げる。
「私の話し相手になるなら、そのバカみたいな言葉遣いは疲れるからやめろ。それと、私のことは名前で呼べ。私もそうする」
「一つじゃねえじゃねえか」
反射的に動いてしまった健吾の右手が、穹良の後頭部を小突く。
「何をする」
後頭部を押さえた穹良が振り返り、健吾に抗議の視線を向ける。そんな二人のやり取りを見ていた井賀崎が、小さく笑った。
「すみませんが、この話し方は昔からの癖みたいなものなんです。どうかご容赦ください。それと呼び名のことですが、穹良さん、でいいですか?」
「さんはいらない。こいつが私のことを呼ぶ時のように、穹良と呼べばいい」
また健吾のことを親指で指さす穹良。
「だから指さしながらこいつ言うなって」
すると井賀崎はまた小さく笑った。そんな井賀崎の様子を見て穹良は、少し怪訝そうな目をする。
「なんだ、可笑しいのか」
「すみません、なんだか、はい」
何が可笑しいのか分からなかった穹良は、一瞬目を伏せて理解してみようと試みたが、出来ずに小さく鼻を鳴らし、「まあいい」と呟く。
「で、璃那。話はもう終わりか? 終わったなら、腹が減ったから戻りたいんだが」
「あ、はい、終わりです。お付き合いいただき、ありがとうございました」
そう言って丁寧に頭を下げる井賀崎。穹良の言う通り、これは少し対応を変えて貰わないと疲れるかも知れない。
「いいって、そんなに低姿勢になんなくて。それよりも、戻って飯にしようぜ」
「そうですね。戻りましょうか」
一同は屋上を後にし、校舎内へと戻っていく。途中階段を下りながら、井賀崎が後ろに続く二人の方を振り向いた。
「お二人は、お昼は購買ですか?」
健吾は朝の残り物と昨日の残り物を詰め込んだ弁当を持って来ている。
「いや、俺は弁当持って来てるから。穹良は?」
「私は持って来てないから購買だな。購買って、どこにあるんだっけ?」
答えを求めて穹良は健吾の方を向くが、残念ながら健吾も購買の場所を知らない。昨日のホームルームの際に説明された気もするが、聞いていなかった。
「一階ですよ。昨日説明されたじゃないですか。私も購買で何か買おうと思っていたので、一緒に行きましょう」
井賀崎の提案に、穹良は首肯する。
「そうするとしよう」
「んじゃ俺は先に戻ってるよ」
二階に着いたところで、健吾は女子二人組と別れて教室へと戻った。
昼休みは、まだ半分ほど残っている。




