二章3 呼び出しに応じて
「――――はい、じゃあここまで」
「起立。礼。ありがとうございました」
四限終了時刻。授業終了を知らせる鐘が校舎中に鳴り響き、午前の部を終えた生徒たちが授業から解放された喜びに浸る。席から立って背伸びをする者、出来たばかりの級友たちと団体で購買に行く者、鞄から弁当を出す者など銘々の時間を過ごし始める中、健吾も机の上を片付けてから穹良の席の方へ顔を向ける。
――――あれ、いない
お昼は健吾も穹良も、あの黒髪の女の子に呼び出されている。多分同じ要件で呼ばれたのだろうし、どうせなら一緒にと思ったのだが。
「あれ? 安曇野さんは?」
声がしたので振り返ると、件の黒髪少女が健吾の隣に立っている。結構近い位置に立っていたので内心驚いた。肩がビクッてしたところを誰にも見られていないことを祈りながら、教室内をぐるっと見回してみる。
やはり、教室内に穹良の姿はない。いれば、見事な赤い髪の持ち主なのでかなり目立つはずだ。
「どこ行ったんだろうな」
鐘が鳴ってからまだそう時間は経っていないが、既にクラスメイトの三割は教室から出ている。穹良も同様に出て行ってしまったのだろうが、何か一言欲しかったものだ。
「西島さん、何か心当たりはないですか? その、安曇野さんがどこに行きそう、とか」
「どこに行きそうも何も」
昨日入学してきたばかりなのだ。校内の設備を把握しきれている訳ではないし、ましてや穹良がどこに行きそうかなど、分かるはずもない。
――――あれ、そういや俺、この子と普通に話せてるな
朝はあれほど緊張したのに、どういう訳か今は抵抗感なく話せている。あの会話とも呼べないような会話をしただけで、慣れてしまったのだろうか。
いや、きっと何らかの相性が良かったのだろう。慣れていようがいまいが、苦手な人との会話はいつでも苦手なものだ。
「そうですよねえ。一体どこに行ってしまったんでしょう。もしかして、いきなり声を掛けてきたから変な人って思われてしまったんでしょうか」
頬に手を当てる仕草をしながら困り顔になる黒髪少女。
――――そこらの家庭で生まれ育った子なら絶対にしなそうな言動を次々と
まるでお嬢様みたいだな、と思いながら、少女の所作を横目で見やる。だが今はそんなことを考えている場合ではない。
穹良はドタキャン同然の行為をしている。それでは、例えこの少女が名乗りもせず、初対面の相手をいきなり呼び出すようなちょっと変わった子だとしても、かわいそうだ。それに健吾も腹が減っている。早く穹良と引き合わせて、さっさと用事を済ませてしまいたい。
「どうだろうなあ」
「お前さ、そこは、そんな事ないよって言ってやるところだろうが」
「なんだ話聞いてたのか、そこの変な人その一」
「誰が変な人だ」
軽快なツッコミを入れた知人、清水ヶ原真が席に座ったまま健吾を見上げてくる。真は半竜で、固有の能力で健吾の正体を見抜いたが、その確認のために昨日健吾を二号棟に呼び出している。入学式前に少し話したくらいで呼び出されたのだが、その際に健吾は不審感や警戒というよりも、単純に不思議に思い、「俺なんかに話したいことがあるのか、変な奴だな」と思ったのが正直なところだ。だから変な人その一。
「それより健吾、話ってこれからなんだろ? 先飯食ってるぞ」
「お、おお」
まさか気を使われているとは思わなかったので、返事が濁る。別に気にしないで食べていればいいのにと思う反面、断りを入れてくる気遣いを少しばかり嬉しく思っている自分を自覚して、健吾は当惑する。
「あ、あの、安曇野さんがどこにいるかご存知ないですか? 朝、話していましたよね?」
もののついでという風に、真にも話を振る黒髪少女。だが真が知るはずはない。なぜなら話などしておらず、真は穹良の何気ない一言に震え、勝手に謝っていただけなのだから。
「いや、ごめんな。知らないんだ」
「そうですか」
という言葉と共に肩を落とす少女。そんな時、健吾はまた、自身の中に何かが流れ込んでくるような感覚を得た。今朝のものとは違う、別の何かだ。ちなみに今朝の感覚は、少女が隣にいるせいで再び高まっている。
それはまるで、糸のように。健吾の元へ流れ込んでくると思考に絡みつき、予感という形で意思決定に干渉する。その糸を辿ると、穹良の姿が脳内に映し出された気がして、健吾はそちらの方向へ首を巡らせた。
「西島さん? どうしました?」
「あ、いや。なあ、さっきはどこに行ったか分かんないって言ったけど、多分分かったわ」
「え、どこですか?」
「はっきりとは。だから、ついてきて」
「分かりました」
「お、行ってらっしゃい」
真が箸を持ちながら片手を挙げ、小さく振る。健吾はそれに応じると、黒髪少女と教室を後にした。
(いい天気だな)
高等部一号棟の屋上からうっすらと靄の掛かったような青空を見上げながら、穹良は胸いっぱいに空気を吸い込む。今日はどうやら大気中の竜力濃度が濃いらしい。背中が疼くのはきっとそのせいだ。昨日の戦闘で廃墟と化した地区の復興に擬似竜力が使用されている影響も考えられるが、竜力濃度は頻繁に変動する。今日はそういう日なのだろう。
(さて、かがみはどこだ)
首を左へと巡らせ、中等部棟の方を見る。そして少し力の枷を外し、視力を向上させる。正確には視力自体を向上させるのではなく、見える世界を人間のものから、竜のもの寄りに戻す。すると容易にかがみの姿を確認することができた。
中等部四階の教室で一人、弁当の包みを広げている。他のクラスメイト達は幾つかのグループにまとまったり二人で向かい合ったりしてお昼を取っているようだが、かがみは一人だ。
(お前は、いつもそうやって一人だったのか?)
一人で昼食を摂るかがみの横顔からは、感情は伺えない。まるで何も感じていないかのように淡々と箸を進めていく姿を、穹良はついこの間までの自分の姿と重ね合わせる。
(私は一人でいい。でもお前は、一人でいいのか?)
決して届かない問いを心の中で呟いて、小さく首を振る。こんな問いすら今の穹良には問う資格はないのだと、胸の奥にしまい込んで。
二つの気配が近づいてくる。一つは半竜のもの、もう一つは人間のものだ。近づいてくる方向――――後ろを振り返ると、ちょうど屋上の棟屋のドアが開いて、二人の男女が姿を現した。
「やっぱここに居たんだ。探したんだぞ? 俺ならともかく、この子を置いてっちゃ可哀そうだろ」
開口一番に小言を言う健吾に、穹良は少しだけ顔を背けて鼻を鳴らす。
「居場所は教えただろう。気付かないお前が悪いんだ」
教えた、とはあの予感のような感覚のことを指しているのだろうか。そうだとしたら、あの感覚は恐らく竜力に由来するものだ。そして竜に関する話は、名前も知らない子が聞いている場所ではしたくない。とはいえ、今の内容で竜関連の話だと思われる可能性も低いだろうが。
「で? 私たちに話ってなんだ。そこの変わった人間」
――――馬鹿野郎! この子を「人間」だなんて呼んだら、俺たちが人間じゃないって言ってるようなもんだろ!
そんな健吾の心の叫びをよそに、穹良は顎先を軽く上げて、相手を見下すような視線を黒髪少女に送る。
すると少女は隠し事を明かすかのように小さく息を吐き、強張っていた肩の力を抜いた。
「やはり分かってたんですね。でもその前に、改めて自己紹介をさせてください」
――――やはり? 分かってた? 何が?
含みのある表現に困惑する健吾だったが、今一番気になっているのはそこではない。今ならまだ話の腰を折らずに訊けるはずだ。
「あのごめん、改めてって、そもそも自己紹介されてないよ?」
改めてとは、一度な何らかの事象があった後にもう一度繰り返すときに使う表現だ。だが健吾には、この子に自己紹介された記憶はない。つまり改めても何も、今が初めてなのだ。
しかし健吾の発言を聞いた少女は、驚いた表情で健吾を見あげる。
「昨日したじゃないですか、全体で」
全体で、が指す意味を理解するのに、二秒ほどの時間を要して。
「あ、あ-あ-、式終わった後のやつか。ごめん、聞いてなかった」
すると更に驚いた表情になって。
「え、聞いてなかったんですか? これから少なくとも一年間共に過ごす人たちの名前を、ですよ?」
「だって、誰がクラスメイトだろうと関係ないと思って」
受け取り方によっては皮肉っぽくも聞こえる台詞だが、実際にそう思ったのだから仕方ない。名前を知っていても関わらないのなら、知らなくても何も困らないのだから。
「私も聞いてなった」
「安曇野さんもですか!? お二人とも、ドライ過ぎませんか?」
驚き、そして落胆したように肩を落とす黒髪少女。
「え、じゃあ今朝お声がけした時には、お二人は私の名前を知らないまま、お話していたんですか?」
健吾と穹良は一瞬顔を見合わせてから、それぞれ「誰だろうと思った」「なんだこいつと思った」と答える。
「西島さんはともかく、安曇野さんは『なんだこいつ』って思ったんですか!?」
あまりにストレートな感想が返ってきたことに面食らって、一瞬よろける。しかしすぐに立ち直ると二人に向き直り、頭を下げた。
「私の勝手な思い込みで不愉快な思いをされていましたら、どうかお許しください」
「いやいやいやいや、そんな風に謝ることでもないでしょ。頭なんて下げないでよ。あの時の自己紹介を聞いてなかったのは俺たちなんだし。で悪いけど、その、名前は何て言うんだ?」
随分丁寧な子だとは思っていたが、まさかここまでするとは。健吾からしてみれば大したことではないのに、この子は随分と重く受け止めているようだ。見ていて可哀そうになってくるので、早く顔を上げてもらいたい。
すると少女は体を起こし、「では」と前置いてから自己紹介を始めた。
「私は井賀崎璃那と言います。実家が小さな神社でして、巫女をしています。それで、うちの神社では竜神様を奉っているんです」




