一章21 月下の邂逅
コーポ長屋の建つ丘から十分ほど歩いた場所に、小高い山がそびえている。散策路も整備され、三十分もあれば登頂でき、山頂には設置された展望台からが天智の街を一望できる。市民からは、気軽に上ることが出来る憩いの山として親しまれてきた。
特に春は、山頂の広場を取り囲むように植えられた百本近くの桜が一斉にその花を開き、その光景は見るものに一様の感動を与えるという。展望台からの眺望も桜の季節には格別で、街の風景は桜の花に彩られたフレームに収められた写真のようにも見えることで知られており、格好の撮影スポットとなる。
おまけにこの場所は市民以外にはあまり知られていない穴場スポットであり、人でごった返すようなことは休日でもなければ無い。
とはいえ今の時期は日中は人が絶えないが、さすがに十時を過ぎる頃には人気は全くなくなる。
そんな、宵が更けてきた展望台の柱の傍らで、穹良は一人夜景を眺めていた。
家で考え事に浸るのに飽きて、気分転換に散歩に出た結果、この展望台に着いた。天智展望台という何の捻りもない名前の場所だが、周囲は小ぎれいに整備されていて気持ちが良い。景色も、自宅前から街を眺めるのとは異なり、より俯瞰的に天智町を眺めることが出来る。おまけに桜は満開ときた。こじんまりとしていながら落ち着きのある、最高のロケーションだ。
(健吾はここのことを知っているだろうか。誘ったら、来るのだろうか)
夜であることを忘れさせるくらい明るい満月を見上げながら、すぐに頭を振る。何腑抜けたことを考えているのか。
その時、懐かしさを感じる竜力を背後に感じて、穹良は後ろを振り返った。
するとタイミングを見計らったかのように、穹良の視線の先の空間が揺らぎ、直径二メートルほどの円形の面のようなものが形成された。面は凪いだ水面に水滴を垂らした時のように一度同心円状の波を立てる。そしてその波が落ち着くと、その向こうに人影が浮かび上がった。
おぼろげだった人影は、面の奥から近づいてくるごとにその輪郭をはっきりとさせ、凪いだ面を引きずりながら破るようにこちらに姿を現すと、月下の青白い光に照らされながら、静かに地面へと降り立った。
長身の女性だ。切れ長の細い眼は慈愛を宿し、その上の麻呂眉は彼女の整った顔に愛嬌を加えている。海色の髪は腰丈ほどで、髪の左右の毛束を後ろでゆったりと結わえて垂らしている。十二単を模したような、地面にするほどの丈の和装は気品の高さをうかがわせる。
が、特徴は何と言っても頭に生えた二本の角と耳だ。暮月のものよりも長く軽いカーブを描く角と、物語に描かれるエルフのもののように尖った耳は、彼女が人でないことを示している。右角に赤い紐で結びつけられた二つの鈴が、軽やかな音を立てた。
「久しぶりじゃないか、穹良。元気にしてたかい?」
ゆっくりと近づいてくる女性の足元に、穹良は視線を向ける。歩くのではなく、浮いて滑るような動きだ。
「そちらも息災そうで何よりだ、鈴音」
鈴音と呼ばれた女性がにっこりと微笑む。
鈴音は穹良と共に展望台に上がると、手すりに背を預けて肘を掛け、隣で街の方を見つめる穹良に顔を向けた。
「――――へえ、妹さんに会えたんだ。よかったじゃないか」
ぽつりぽつりと今日の出来事を話し始めた穹良の口から、かがみとの再会の件が語られる。会話の内容自体はいい話のはずなのに穹良の顔が浮かないのは、きっと何かあったのだろう。
「まあ、でも、今更何をしに来たんだと、言われてしまった」
穹良の自虐的な物言いに、鈴音は声を上げて笑う。
(そんなに笑わなくても……)
笑い声をあげる鈴音の横顔を見ながら、穹良は不服の感を抱いていた。その一方で、心が安らいでいくのを感じた。
幼いころから身寄りのない穹良にとって鈴音は姉のような存在であり、気軽になんでも話せる相手だ。鈴音が隣にいてくれるだけで安心し、本当の自分を出してもいいと思える。彼女の存在は、穹良の精神安定に大きく寄与していた。
「あの子は性格をちょっと拗らせてるからね、素直じゃないんだよ。あんたのことを受け入れたくても、そうできないだけさ」
「そういうものか? 私には、よく分からない。かがみが本当に私のことを嫌っていたらどうしようと思うと、なんと言うか、怖い」
「穹良……」
沈鬱な表情を浮かべる穹良の頭に、鈴音が手を置く。
「鈴音……?」
突然頭を撫でられて少し困惑したが、素直に撫でられることにした。
「あんたら姉妹の仲が引き裂かれたのは、決してあんたのせいじゃない。大丈夫。かがみも、分かってくれるはずだよ」
「……うん」
鈴音の掌から伝わってくるぬくもりの心地よさに、穹良はしばし目を閉じる。生体ではなく竜力の塊である鈴音の体に血は通っていないのに、そのことを感じさせないくらい暖かくて、心休まる。
「それはそうと、たまにはリラックスしたらどうだい。あんたの竜力、だいぶ溜まってるよ」
鈴音に背中の肩甲骨の辺りを擦られて、穹良は小さく「ゃん」と声を出してしまった。
「ちょっと、いきなり触るなっ」
素早く鈴音の腕の中から逃れて、一定の距離を取る。気を許した瞬間、これだ。からかうようにイジるのは正直やめてほしい。
「何赤い顔してんのさ。ほら、さっさと出しちゃいなって。誰も見ちゃいないよ」
ニタニタと笑う鈴音に促されるのはちょっと癪だったが、穹良は軽く背を丸めた。
それはまるで、羽化するかのように。長い髪の間から、物語でよく描かれる妖精のそれに似た四枚の羽が姿を現した。薄赤色の透け感のある羽は月光を受け、キラキラと輝いている。そして彼女の周囲には、羽から放出された竜力の粒子が、飛び回るホタルのように漂っている。
その羽を見ながら、鈴音は感嘆の息を吐く。
「やっぱり穹良の羽はきれいだねえ」
右上の一枚を手に取って撫でながら、鈴音はしみじみと感想を口にする。透明でよく光を通す組織だが、二センチほどの厚みがあり、ぷにぷにとした弾力がある。すべすべとした表面は触り方によってはくすぐったいらしく、先程から穹良は肩を小刻みに震わせながらそっぽを向いている。
どうやら、くすぐったいのを必死に我慢しているらしい。くすぐったいなら笑えばいいし、やめてほしいならそう言えばいいと鈴音は思う。だがそうせず我慢してしまう穹良が、健気というか、馬鹿というか、無性に愛らしい。
どの程度までなら我慢していられるのか知りたくなり、鈴音は羽の下縁を指でなぞってみた。
「や、ちょっと……」
会話する時の堅苦しい口調から一変し、普通の女の子のような反応を見せる穹良。そんな穹良の様子が可笑しくて、鈴音はもっと羽を擦る。
すると先程背中を撫でた時以上に体を震わせ、穹良は身をよじって鈴音の手を振り払った。
「鈴音ぇっ、いい加減にしろぉ!」
さすがに怒った穹良の顔は赤く、目元には涙が浮かんでいる。そして臨戦態勢であることを示すように、穹良の体の表面を青白いスパークが爆ぜた。
さすがにちょっとやりすぎたらしい。だが、やっと穹良の表情に動きが出た。これくらい大きく変化しなければ、穹良らしくない。隔離施設にこっそり遊びに行った時には騒ぐわけにはいかなかったので控えていたが、もうその頸木はない。
「ごめんて。そんなに怒ると、可愛い顔が台無しだぞ」
宥めるように両手を上げて謝罪するが、穹良は「う」と「ふ」の間のような音を立て、威嚇する。まるで猫だ。
怒っている穹良の気を紛らわそうと、鈴音は強引に話題を変えることにした。
「で、どうだった?」
脈絡もなく質問をされて、意図を掴めなかった穹は呆けたような顔をした。
「どうって、何が?」
「今日会ったのは、妹ちゃんだけじゃないんだろ?」
その言葉を聞いて、穹良は鈴音が言わんとしていることを察した。十年ぶりに健吾と再会した感想はどうだったか、と聞きたいのだ。
「変わってないな、と思った。無茶なことをして、危うく死にかけていた。零式が無かったら、どうなってたことか」
二機の<トーリョ>の相手をしていた時、穹良は目の前のビルの屋上に人がいることには気づいていた。だがそれが誰なのか確認する余裕はなかったし、仮にあったとしても、確認する気はなかった。その人は危険な場所だと分かってその場所に留まったのだろうし、そうだとしたら死んでも文句は言えないはずだと思っていた。
その人物が健吾かも知れないと思ったのは、穹良が回避した<トーリョ>のパンチ攻撃によって打ち上げられた人が、こちらに向かって落ちてきた時だ。疑問は不思議と確信へ変わり、受け止めようと手を差し出した<ルシフェル>の眼前で黒い零式が顕現した時、確定した。
十年前のあの時といい、随分と無茶なことをしてくれると思いながらも、<トラク>から健吾の声が聞えてきた時には、胸の奥が熱くなるような感覚を覚えた。
「ちゃんと話は出来たのかい?」
顔を覗き込んでくる鈴音から逃れるように、穹良は目を逸らす。
鈴音からしてみれば、その仕草だけで十分だった。
わざとらしい溜息を吐いて、鈴音が口を開く。
「あの子は変わっていないみたいだが、あんたは変わっちまったんだねえ。さっきあたしに見せたみたいに、もっと表情筋を動かしなよ。あの子も、その方が喜ぶと思うよ」
「鈴音、私は、健吾の厚意を裏切り、かがみをほったらかしにしてきた。ならいっそ、二度と二人の前に現れない方がよかったのではないか?」
「なーに辛気臭い顔してんのさ」
遠い目を天智町の夜景に向けていた穹良の顔が、鈍い痛みで歪む。
鈴音が、穹良の羽の先端をデコピンしたのだ。羽の先端は触覚器官として敏感に感じるようにできている。人間の感覚で言うと、足の小指をぶつけたときくらい痛い。半竜でも足の小指はぶつければ痛いのだが。
「――――!!」
反射的に患部を遠ざけようと、穹良は鈴音に向き合う。
「またやったな鈴音!!」
質問をないがしろにされた気がして、声を荒げる。それだけではない。多分「そんな事ない」と言って欲しかったのだろう、と自覚して、そんな考えが浮かんできた自分に少し腹が立ったのだ。
「あんたの悩みはあたしからすれば、相当ちっぽけなのさ。悩みはもっともかも知れないけど、今日再会したばっかなんだろ? だったらそんなこと、もっと接してから考えればいいのさ。いや、少なくとも半分答えは出てるんじゃないのかい?」
「……どういう事だ?」
「あんた、明日あの子と一緒に学校行く約束したんだろ? その時のあの子の顔を見て、まさか何も感じなかった、なんてことはないだろうね」
確かにあの時の健吾は、何やら嬉しそうな顔をしていた。なぜ嬉しそうだったのか想像できない訳ではないが、正直言うと、すっと理解できてもいない。ただ、胸の奥に温かいものが触れたような、むず痒いような感覚を覚えた。
あの時の健吾の嬉しそうな顔。あれが答えだというのか。それより――――
「……見てたのか」
「簡単なことさ。この姿を可視化させるもさせないも、あたしの自由。竜力濃度だって、思いのままだからね。あんたの力が強いせいで、感知機能が発達してないのさ」
今の鈴音は、竜力の集合体だ。この姿のまま出歩いていれば、先程のように本能的に存在を察知することが出来る。だが玄関先で健吾と立ち話をしていた時に鈴音の竜力を感じなかったという事は、顕現前の、実体のない状態で様子を盗み見ていたという事だ。
「……力の無駄使いして」
呆れて肩を落とす穹良を見て、鈴音はケタケタと笑う。
「基本一人でいるから、暇なんだよ。それにあんたたちを観察するのはおもしろいからね」
まったく、この古竜は。
これ以上この話題を長引かせるのは自分が疲れるだけだと思い、穹良は半ば諦めるような気持ちで話題を変えることにした。
「今は、どこにいるの?」
「ん? 今は日本海溝にいるよ。しばらくはそこにいるつもりだから、呼ばれれはすぐ行くよ」
「呼ばなくても来るんだろ?」
半眼を作る穹良に、鈴音は笑顔で応じた。
「当然だ。あんたたちは見てて飽きないんだから。それに、あんたの悩みがどうなるか見たいからね」
「こっちとしてはあまり見られて気分のいいものではないんだが……」
「まあまあ。きっとすぐに答えは見つかるはずだよ。少しの辛抱さ」
穹良はいまいち釈然としない感情を抱いて、しばし押し黙っていた。
「……鈴音がそう言うなら、信じよう」
すると鈴音は、先ほどまでの軽い調子から表情を一変させて、神妙な顔つきをしながら両手を広げた。
おいで、と言っているのだ。
誘われるがままに、穹良は鈴音の腕の中に体を預ける。心の内側から温めてくれるようなぬくもりを感じて、穹良はゆっくりと息を吐いた。
「大丈夫。穹良の心配は、すぐに解決するよ。あたしが保証する。でも待ってるだけじゃだめだよ? あんたからも動くんだ。それでもうまくいかない部分はきっと、健吾がカバーしてくれるさ。あの子、昔っからいい子だからね」
「……うん、わかった」
「よし、いい子だ」
どのくらいの間、抱きしめられていただろうか。長く感じたが、きっと実際は短い間だったのだろう。
「さあ、そろそろ帰りな。年頃の女の子が、こんな時間までほっつき歩くもんじゃないよ」
穹良の両肩に手を置き、体から引き離す。素直に応じた穹良は、半歩下がって鈴音を見上げた。
「うん。鈴音、話を聞いてくれてありがとう。なんだか、気が楽になった」
ちょいちょい揶揄われた気もするが、やはり鈴音と話していると落ち着く。余計なことを気にしなくて済む、大切な時間だ。
「どういたしまして」
微笑みながら、穹良の頭を撫でる。
そうしてから鈴音は目の前の空間に手をかざすと、顕現した時と同じようにして面を作り出した。
「ああ、そう言えば」
面に入り際、何かを思い出したのか、鈴音は穹良の方を振り返った。
「“守護者”を通じて健吾の竜力を感じ取ったんだけど、あの子の竜力、かなり不安定なんだよね」
「不安定?」
おうむ返しに聞く穹良に、頷き返す。
「澱んでるって言った方が適切かも知れない。すぐにどうこうってことはないだろけど、一応穹良も注意しておいて。近いうちに何かあるかもしてないから」
竜力が澱んでいる。一体どういう状態なのかよく分からないが、鈴音の言う事だ。注意しておいて損はないだろう。
「分かった。気にとめておく」
その返答を聞いた鈴音はにこやかに頷いてから、その身を面へと滑らせる。やがて面が収縮して消失すると、展望台は再び静寂に支配された。
展望台に一人になった穹良は、ふうっと息を吐いた。吐き出された呼気は外気の冷たさと触れ、白い霧状になってから溶けるように消えていく。そのくらい肌寒いのだが、体内の竜力濃度を上昇させれば、寒さも感じなくなる。地上十数キロの高度を飛行することもある、飛竜の血を受け継いでいる彼女だから出来る芸当だ。
展望台の手すりの上に腕を組み、その上に顎を乗せて夜景を眺める。こじんまりとした夜景は派手過ぎず、穹良の目には美しいものとして映る。
まるで地上で瞬く星のようだ、と穹良は思った。であるなら、光を曳いて駆ける列車は、さながら満点の星空を行く流星か。
ふと、街明かりの中に特異な明かりがあることに気が付いて、穹良は目を凝らした。
それは、低空でホバリングする数機の<メガネウラ>の翼端灯や、機首のライトの明かりだ。そしてその明かりのある場所は、今日戦闘で廃墟になった場所。
陸自の復興部隊が、夜通しで復旧作業に当たっているのだ。
(また、私のせいで大勢の人に迷惑を掛けているのか)
心の中で呟いているのに、本心では何も感じていないことを、穹良は自覚していた。放っておいてくれれば何もしなかったのに、中途半端に手を出してきて、反撃すれば危険視される。その結果が、周囲への迷惑となって可視化される。正直、うんざりしていた。
でも。もし自身のせいで迷惑を被る人が、自分の大切な人だったら。
どのような経緯であれ、穹良の被害者となっていた者は今まで、穹良と面識のない者ばかりだった。だから、人の命が奪われることを痛ましく思い、想像の果てに嫌気がさして逃げ出したことはあったが、自身が大切な人を失う体験はしていない。
だからこそと言うべきか。そんな体験は、絶対にしたくない。
(想像するだけで、勘弁してほしいものだな)
脳裏にかがみや健吾、暮月の顔を思い浮かべて。そして、覚えているかすらあやふやな者たちのことを思い返して。
穹良はもうしばらく、夜景を眺めていることにした。




