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一章1 これが本当の『前日』譚


 およそ三十年前に滋賀県上空で起こった、竜による大厄災。

 

 二頭の飛竜による激しい戦闘は一週間に及び、琵琶湖南西岸一帯は焦土とかし、その地形を大きく変えた。琵琶湖自体もその形を大きく変え、日本最大の湖はその面積を拡大させた。一般市民にも多大な被害を及ぼし、事態の収拾にあたった自衛隊は返り討ちにあって膨大な損害を被った。琵琶湖西岸に位置していた二つの陸上自衛隊駐屯地と演習場も再建不可能なほどの損害を受け壊滅したが、その後大規模な再編が行われたことを知るものは少ない。


 その再建された駐屯地、陸上自衛隊新琵琶駐屯地の最下層である地下五層の格納庫に、一機だけ格納された歩行戦機を、機体の胸の高さから見上げる少年の姿があった。


 一見すると何処にでもいそうな少年だ。中肉中背、長くも短くもない黒髪。特徴を強引に挙げるとすれば少々目つきが悪いくらいで、名前も西島健吾という、割とどこにでもいそうな名前をしている。


 そんな平々凡々の少年がなぜ国防の一翼を担う組織の、重要機密区画に出入りしているのか。その答えは彼の中を流れる特殊な血と、彼の目の前に立つ全高約十五メートルの機械の巨人にあった。

 

 「よう、来てたのか」


 硬い靴底が金属製の床板に当たる高めの足音を響かせながら近づいてきた初老の男性に気がついて、健吾は目の前の巨人から右へ視線を動かす。


「あ、おはようございます、司令」


 確かまだ十時は過ぎていないので、挨拶は「おはようございます」で問題なかったはずだ。


 司令、と呼ばれた男性は片手を上げてこれに応える。


 佐藤影美。これが健吾に歩み寄って来る男性の名だ。一等陸佐である佐藤は駐屯地司令としてこの新琵琶駐屯地で任に着いている。外観は五十代半ばから六十代頭といったところか。白髪の混じった髪は短く、髭は綺麗に剃られていて清潔感がある。身長百七十五センチの健吾が軽く見上げる位置にあるその目はやや三白眼気味だが、笑うと穏やかな印象になることを健吾は知っている。


 「明日入学式なんだろ? こんな所に来てていいのか? 学校の準備は?」


「もうとっくに済んでますよ。学校が始まる前に、あいつを一度見ておきたかったんですけど」


  健吾の言うあいつとは、本来はこのデッキに格納されているはずの二機の零式歩行戦機のうちの一機の事だ。真紅をベースに黒やグレーに配色された装甲を纏い、十年前に健吾の願いに呼応して共に彼女を連れ戻しに行った機体。幼い頃の記憶の中の彼女と健吾を繋ぐ機体。だが今ここにはいない。

 

 「あのジークは明日こっちに戻ってくるって言ったろう」


 ジークとは、零式歩行戦機の通称だ。大戦中、連合軍側が零式艦上戦闘機をコードネームで「ZEKE」と呼称していたことに由来している。


「いや、聞いてはいたんですけど、もしかしたら予定が早まって、とかあるかなと思って」


「そんなに見たいなら、明日学校が終わってからでも見に来ればいいだろう。入学式なんだし、午前中で終わるんじゃないのか? それより、お前は()()を動かしてみなくていいのか?」

 

 こっち、と言われて、健吾はだだっ広い格納庫の中で一機ぽつんと立っている零式歩行戦機:トラクを見上げる。ゴーグルを掛けたようなデザインの頭部のほか、全体のシルエットはルシフェルよりのもゴツい印象を抱く。漆黒をベースに濃いめのブルーが配されているのも相乗的にマッシブな印象を持たせる原因か。


 「これが俺って言われても、なんかピンと来ないんすよね。いくら口で説明されても、全然実感がわかないって言うか。知識として分かっても、理解出来てないって言うか」


それを聞いた佐藤は、顎に手を当てる仕草をして一瞬思案してから、確認するような口調で口を開いた。


「お母さんとは、そう言う話はしていないのか?」


職業柄、佐藤は健吾の母親と健吾が産まれる前から面識があり、健吾もその事を知っている。


「佐藤さんなら知ってるでしょう? うちの母さんほとんど家に帰ってこないし、帰ってきたと思ったらすぐ仕事に行くし」


 年数だけ考えれば健吾よりも佐藤の方が彼女との付き合いは長い。健吾に質問しておいてなんだが、今までの彼女の様子を見れば、そういう話はほとんどしていないであろう事は容易に想像出来た。あの母親は天然なのか馬鹿なのか、どうでもいい話ばかりして大事な話をすっぽかす癖があるのだ。


佐藤が内心でバカなことを聞いたなと思っている横で、健吾は言葉を続ける。


 「頭では俺が半竜で、零式が俺の中に収まりきらなくなった竜力の器で、俺にしか動かせなくてって事は理解しているつもりなんですけど、今まで自分が半竜だと思って生活してきた訳ではないですし、体が普通の人と違うってこともないですし、自覚してないって言うか、出来ないですね」


 今や陸戦における主役の座を戦車から奪い取ろうとしている大型二足歩行兵器:歩行戦機。その歩行戦機の基となり、既存の歩行戦機が束になっても適わないのが零式歩行戦機という存在だ。そのうちの一機を「自分しか動かせない」と言っていることの重大さに、健吾は気づいているのだろうか。


 「そうか」と短く答えて、佐藤は視線を健吾からトラクに移す。

今の口ぶりならきっと何も分かっていないのだろう。零式を所有する半竜であるということが、どういう事なのか。その意味や役割が一体どんなものなのか。


 佐藤は傍らで自分自身を見上げる健吾を横目で見てから、再び黒いジークへと視線を戻した。



 

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