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一章16 妹との再会


 西島一家の住むアパートは二階建ての、メゾネットタイプと呼ばれるもので、一住戸が二層構造になっている。そのため一住戸一層のアパートよりも居住空間が広く、家族連れに適しているらしい。

 西島家はこのアパート『コーポ長屋一号』の端部屋である一〇八号室に、十日ほど前から部屋を借りている。築年数が経っており、駅から少し遠いことも相まって、家賃がかなり安いのだ。


 「ただいまー」


 錆びついた蝶番が耳障りな高音を立てる玄関ドアを開けて、健吾は自身の帰宅を告げる。玄関灯くらい点けておいてほしいものだ。


 健吾は背後の穹良に「ちょっと待ってて」と一声かけると、暗い玄関に先に入り、手探りで壁のスイッチを押す。押されたスイッチがパチリと小気味いい音を立てると、玄関の天井の蛍光灯がフラッシュのように明滅し、すぐに点灯して玄関内を照らした。そして目の前の状況を確認して、健吾は溜息を吐いた。


 「ったく、靴はちゃんと揃えて置けっていつも言ってるのに」


 片方がひっくり返った状態で脱ぎ捨てられたかがみのローファーを整理しながら、健吾は独り言ちる。すると、家の奥からこちらに小走りで近づいてくる軽い足音が聞こえてきた。


 このアパートは、玄関に入ると一階の各部屋へ通ずる廊下が真っ直ぐに伸びている。そのため玄関を開ければ家の奥まで見通せてしまう訳だが、このことを特に義妹その二が嫌がるので、上半分に曇りガラスを張った引き戸を目隠しとして置いている。


 近づいてきた足音の主はその引き戸の前で止まると、玄関同様に暗かった廊下に明かりを灯す。玄関内より廊下側が明るくなったために、曇りガラスに小さなシルエットが浮かび上がった。その小柄なシルエットが、勢いよく引き戸を引いて。


 「にいにお帰r――――」


 健吾の後ろに人影を認めて、引き戸を開けた少女は「お帰り」の「り」まで言う前に、開けた時の倍くらいの速度で戸を閉めた。


「……あー」


 そういえば帰ることも、穹良が家に来ることも、家の誰にも連絡していなかったことを思い出して、健吾は失念を認識し天井を見やる。


 帰る連絡を忘れた上に、穹良が来ることを伝えなかったのは完全に失策だった。帰宅した兄を迎えるだけのつもりだった義妹を驚かせるような真似をしてしまったのだから、暮月には悪いことをしてしまった。


 弥涼暮月。西島の義妹の一人で、西島家に居候している半竜の少女だ。ミディアムの髪はこげ茶色で、少し長めになっている横髪の一部が小さく跳ねている。大きな瞳と丸みを帯びた顔立ちは童顔で、言動も同い年のかがみと比べると幼い。そんな彼女の頭には、半竜であることを対外に示すように、二本の小さな角が生えている。


 その角を極力他人に見られないようにする為の工夫が、玄関に目隠しとして置かれた引き戸であり、健吾が帰宅時に家に連絡する理由だ。後者をすっぽかした上に他人である穹良と帰って来たのだから、事情を知らない暮月はさぞ驚いただろう。


 「今のは、暮月か?」


 一瞬引き戸の向こうに見えた少女の顔を思い浮かべ、脳内の記憶と照合していた穹良が、健吾に訊ねる。


 「覚えてたのか」


 すると、こちらのやり取りが聞こえていたのか、引き戸の向こうの人影がおずおずと質問をしてきた。


 「もしかして、ねえねなん?」


 「息災そうだな、暮月」


 「……!」


 その答えを聞いた暮月は、今度はゆっくりと引き戸を開けて覗き込むように穹良の姿を確認する。そして記憶の糸を手繰り寄せ、自身が年上の女の子と遊んでもらっていた楽しい思い出を思い起こした。その女の子は間違いなく赤髪で、今目の前にいる少女も赤髪であることと、暮月のことを知っているという事実が、彼女が穹良であるという事をはっきりと暮月に認識させる。


 途端に、暮月の脳内に穹良との楽しかった思い出が溢れてきた。だいぶ忘れていたことだが、穹良の顔を見て思い出せたことがうれしくて、暮月は中途半端な開け具合だった引き戸を全開にして穹良に近づく。


 「ねえね、うちのこと覚えててくれたん? うち、いつかまた会えるって思ってたん!」


 舌足らずの、語尾に小さく「ん」の音が入る特徴的な話し方で、目を輝かせながら話す暮月。穹良と会話できていることが、本当にうれしいのだろう。一方の穹良はと言うと。


 「……ああ、私もだ。久しいな、暮月。大きくなって」


 興奮気味に再会を喜ぶ暮月とは対照的に、穹良は表情を変えずに淡々と受け答えをする。答えながら、穹良はすっと暮月の胸元に視線を下げた。大きめのパーカーの胸元を内側から押し上げるもののサイズが、明らかに穹良のものより大きい。


 その時の健吾は、穹良が暮月のどこを見ているかなど知る由もなく、穹良の受け答えが質素なものである理由を暮月に説明した方がいいか迷っていたが、なんと説明したらよいのか悩み、タイミングを逃していた。

 

 そして暮月は、穹良の視線に気付くことなく、口調が淡々としていることも気に留めていなかった。


 「ねえねは、いつからこっちにいたん? その制服、にいにと同じ学校なんな。ていうかにいに、何でなんも連絡してくれなかったん?」


 健吾は頭を掻きながら、連絡し忘れたことを反省する。今日一日で健吾の脳の容量を超える事象が起き過ぎたせいで処理が追い付かなかった結果だが、自ら戦闘地域に踏み入るという愚行を犯しているのだから、言い訳など出来るはずがない。


 「ごめん、ちょっと色々あって」


 「色々あって、じゃないん! うち、すっごく心配したんよ? にいに、いきなり電話切るし、ニュースで街燃えてたし」


 怒って頬を膨らます暮月が、健吾に顔を近づけて精一杯の抗議を意思表示する。健吾はその頭にやさしく手を置くと、ゆっくりと撫でた。


 「心配かけてごめんな。つい頭がいっぱいいっぱいで、連絡する余裕がなかったんだ。でもこうして無事に帰ってきたんだから、それで許してくれよ。な?」


 暮月は少しの間不満げな顔をしていたが、「今回だけなんよ?」と小さく呟いて、表情を崩した。


 と、ここで健吾は穹良の目の前で“日常”を曝け出してしまったことに気が付いて、恥ずかしさを噛み殺しながら恐る恐る穹良の方を振り返った。だが穹良の表情は何一つ変わっておらず、相変わらずの「無」が鎮座している。そのことが健吾の精神を確実に追い詰めた。

 何かしらのリアクションを取ってくれたら、どれだけ楽なことか。彼女の表情筋は仕事をする気がこれっぽっちもないらしい。


 「ところで、何でねえねとにいにが一緒に居るん?」


 健吾に頭を撫でてもらい終わった暮月が、小首を傾げる。


 「ああ、なあ暮月、かがみはいるか?」


 「へ?」


 体を傾けるようにして家の奥を覗き込みながらの穹良の問いに、暮月は首の角度を更に深くする。


 穹良の質問に首を傾げたくなるのも無理はない。


 暮月が穹良に遊んでもらったのは十年前の話だ。当時暮月はまだ三、四歳だった計算になるが、そのころの記憶となると印象に残っているものくらいしか覚えていない。

 穹良のことを覚えていたのは、彼女と遊んでもらったことが印象深かったからだろう。


 暮月は、当時から穹良のことを「ねえね」と呼んで慕っていた。だが「穹良」=「ねえね」という記憶になっているのかは健吾には分からない。暮月にとっては、「自分に優しくしてくれる年上で赤髪の女の子」=「ねえね」となっているかも知れない。


 つまり今の穹良の質問は、暮月が穹良のフルネームを知っていなければ合点がいかない。


 「あのな暮月、穹良は――――」


 首を傾げたまま考え込んでしまった暮月に、健吾は答えを言おうと口を開く。ここでクイズ大会をしていても仕方がないし、第一今は玄関で立ち話をしている状況だ。早く穹良を家に上げて、かがみと会わせてしまいたい。


 だが、暮月が何か思いつく方が一歩早かった。


 「分かったん! そういう事なんな。今呼んでくるんよ!」


 答えが分かって胸がすいた喜びを表現するかのように、その場で身を翻す暮月。するとその時、別の少女の声が聞こえてきた。


 「つっきー、健吾が帰って来たのー?」


 健吾の家は、玄関から入ってすぐの廊下の右手に、二階へと上がる階段がある。声はその階段から聞こえてきた。


 「……あ」


 「……え」


 声の方を覗き込もうとして身を乗り出した穹良と、玄関を覗き込もうとしたかがみの目が合う。そして二人は、まるで時が止まったかのように、しばしその姿勢のまま見つめ合った。


 その間に二人の間でどんなやり取りが交わされたのかは健吾には分からない。ただ、二人にしか分からない何らかの意思疎通があった、そんな気がした。




 


 

 

 

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