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三章42 暮月の初登校


 翌日。退院して登校しない日数が経過し、生活リズムが乱れていた健吾は、午前九時に目を覚ました。目を覚ましたからと言ってすぐに起床する訳でもなく、タオルケットを掛け直しながらベッドの上でうずくまる。起きなければならない理由がないのに起きるのが嫌で、再び目を閉じた。


 だが最近の健吾は睡眠だけは十二分に取れており、昼行性の生き物でもあるため、眠りに就くわけではなかった。ただ目を閉じ、自分の将来を案じ、怯え、それら現実から逃れるために思考を停止させる。心を無にしていると幾分か安らぎ、少なくとも自分が異形の存在になってしまったということを忘れられた。


 だがその時間も長くは続けられないもので、すぐに意識が散漫になって薄目を開ける。


そして、家の中が異様に静かだということに気づいた。


「……暮月?」


登校していてかがみがいないのは良いとして、暮月の気配が感じられない。


引き籠もりで生活リズムが一定でない暮月が今の時間も寝ていることは決して珍しいことではない。寝ているのであれば気配が感じられなくても不思議ではないが、半竜としての能力を身につけた健吾は、他人の竜力もわずかにではあるが察知出来るようになっていた。そして今は暮月の竜力を察知出来ないでいた。


嫌な予感がして、健吾は勢いよくベッドから起き上がり、部屋を出る。暮月の部屋をノックしても返答はなく、ドアを開け放つとそこに人影はなかった。素早く視線を巡らせるが、いくら見たところで暮月の姿はなく、まさかという気持ちを抱きながら彼女の机の上を見たが、書置きのようなものも無かった。


 一階に駆け下り台所に入ると、メモ用紙が一枚、テーブルの上に置かれていた。すがるような思いと共に取り上げると、暮月の可愛らしい文字で「学校行ってきます」と一文つづられていた。


 「……あの馬鹿野郎が」


 彼女が野郎ではないとか、そういった議論は今はしている暇がない。それくらい健吾は焦りを覚え、自室に駆け上がった。馬鹿な義妹を迎えに行く、最低限の準備をする必要があった。






 約一時間前。暮月は自室で、引っ越ししてきてから初めて制服に袖を通していた。鏡を見ながらリボンの位置を整えたり、スカートの丈を調整したりしていると、さすがに緊張してきた。ただでさえ久しぶりに規則正しい生活をした結果、体調がわずかに悪いのだ。あと一時間もすれば大衆の面前に角が晒され、忌避されるか、予想に反して受け入れられるか。今考えても答えの出ない問いを自分に問いかけながら準備を進めていると、ドアをノックする音がしてかがみが顔を覗かせた。

 

 「準備できた? お、制服いい感じじゃん」


 振り返り、ちょっと恥ずかしそうに体の前を腕で隠す暮月の姿に、かがみは高揚感を覚える。いつもと違う暮月の姿を見れて朝から眼福であるものの、緊張しているのはかがみも同じであり、手放しに暮月の制服姿を堪能する気にはなれなかった。


 「かがみん、緊張で吐きそうなん……」


 「だから朝ごはん抜いて正解だったでしょ」


 血の気の引いた困り顔を向けてくる暮月が軽くふらついたので、かがみは肩を支える。具合が悪そうなので一度ベッドに座らせると、今度はお腹の音を鳴らせた。


 「お腹空いて気持ち悪いん」


 「吐く物がない方がいいよ。体調良くないなら今日は止めておいたら? 急ぐこともないでしょ」


 暮月の背中をゆっくりとさすりながら、かがみはやんわりと彼女の行動を引き留めようとする。


 暮月の健吾に対する思いに応えるために、今日かがみも学校で羽を展開し、自ら半竜であることを公表することにしていた。だが、心の奥底ではずっと、暮月に思い直して欲しいと思っていた。努力の末になんとか人間社会に紛れ込めていたのに、わざわざ自分の行いを水泡に帰すようなことをしなければならないだけでなく、この地域で生活を送ることが出来なくなるかもしれない。そんなリスクを背負う覚悟が、かがみは出来ていなかった。


 なにより、健吾のためになるのか、その確証が持てずにいることが、大きな不安となっていた。


 「いや、今日やるん。せっかく制服着たし、今日やらなかったら、ずっと出来ない気がするから」


 かがみを安心させようと作った笑顔の色は悪く、かがみをかえって不安にさせる。だが、ここで暮月の決意を挫くことが果たして彼女によって良いことなのか、それも分からずにかがみはただ不安がることしか出来なかった。


 「でも……」


 「一番目立つのは私だ。私が中等部棟に行けば、暮月に集まる注目を分散できるだろう。二人のことは私が守るから、心配しなくていい」


 ドアが開いたままの部屋に入ってきた穹良が、かがみと暮月の頭に手を置く。掌から伝わってきたぬくもりと竜力は、彼女らを落ち着かせるには充分だった。


 「大丈夫だ。二人を悪く言うやつがいたら、私が痺れさせてやる」


 なおも不安そうな顔をするかがみに、穹良は静かに笑い掛ける。同時に二対四枚の真紅の羽を展開し、竜力の粒子を放出させた。粒子の色である緑色は、安心させる色だと言われているが、この光景を見たクラスメイト達は一体どんな感情を抱くのだろうかと思いながら、かがみは頭上に置かれた穹良の手にそっと触れた。


 「やり過ぎはだめなんよ。うちらが怖がられたら、意味ないんだから」


 「分かってる。強めの静電気ぐらいにするさ。出来るか分からないが」


 やるのはいいんだ、というのと、強めの静電気ってどれくらいの威力よ、というツッコミがかがみの脳内で渋滞する。ボケている訳ではないのだが、ツッコむ側への配慮もして欲しいものだと思えるほどに、かがみの緊張感は解けていた。


 二人の表情が和らいだのを確認して、穹良が静かに告げた。


 「さあ、行こう。私たちの居場所を作りに。この姿は、そのためのものだ」


 かがみは髪をポニーテールに結い、穹良はバレッタを留め、暮月はキャスケット帽を被る。


 半竜として人間社会で生きるための小さな戦いが、幕を開けようとしていた。


 

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