三章41 ブルーモーメント
「本気なの? 暮月」
暮月との言い争いによって塞ぎ込んでしまった健吾の様子を見ていたかがみは、穹良と入れ替わる形で台所にいた。健吾のへこみようが、小学生時代に学校に居られなくなった時の落ち込み方を彷彿とさせたため、穹良に様子を見に行ってもらっている。そして今、暮月が画策する話を聞き、驚愕していた。
「本気なん。いつまでも引き籠ってる訳にはいかないって思ってたし、にいにには悪いけど、ちょうどいい機会だと思ってる」
「でも絶対注目の的になるよ? 下手したらまた転校しなきゃならなくなるよ? そうなったら健吾が学校に復帰するとか、そういう話じゃなくなるよ?」
お茶の湯呑を掌の中で不安そうに転がす暮月に、かがみは現実を並べる。可愛い暮月が忌避の目に晒られ、嫌がらせを受けるかと思うと、耐えられなかった。そして、暮月と行動を共にする自分も同じ境遇に立たされるのかと思うと、安易に賛成出来るものではない。
「あんまり言わないで。見切り発車できなくなるん」
「見切り発車ってあんた」
「それくらいの勢いで行かないと、うちだって踏ん切り付けるのに必死なんよ。それにそんな事言ってたら、にいには本当に学校行けなくなるんよ?」
「それはそうかも知れないけど……」
暮月の言うことは間違いではない。だが、かがみが暮月を想う気持ちも間違ってはいないはずだ。こういう時、どうすれば正解なのかを判断するのは容易ではない。暮月の行動を否定すれば健吾を否定することとなり、その逆をすれば健吾やかがみが社会で生きる上で行ってきた行動すべてを否定することになる。そして最悪、この場には住めなくなるだろう。そんな、今後の生活が懸かった判断を早急に下すことなど、今のかがみには出来ない。しかし、急がなければ暮月の心が折れてしまう。
どうすればいいのか。沈黙が、台所を支配した。
「……一人にしてくれよ」
部屋の出入り口に背を向ける形でベッドにうずくまる健吾の背中からは、恐怖感が竜力と共ににじみ出ていた。背中に顕現した、鱗を纏った二対の漆黒の羽が鎌首をもたげるように広がり、穹良を拒絶していることが伝わる。病室で目覚めた際に顕現したものとは別の羽が生えていることに、穹良は驚きを隠せなかった。
飛竜のものに近しい羽毛の揃った羽は細長く、長時間の飛行には適していなさそうな形状をしている。前縁部分は黒光りする鱗に覆われ、翼角部分はこぶのように膨らんでいる。腕部の代わりとしてや格闘戦時の武器の代わりに羽を使うことがある地竜としての特徴が現れていた。
竜共通の特徴に加えて、健吾が属する種特有の特徴が顕在化しているということは、健吾の中の竜力が活発化し、半竜としての健吾本来の姿になろうとしているということだ。そのきっかけとなったのは間違いなく、先日の負傷にある。健吾が本能的に危険を感じたことで生存本能が目覚め、彼自身の能力を底上げした結果が表面に現れているのだ。その変化が日単位で怒っているということが、健吾に精神的負担をもたらしていた。
「自分の体のことなのに、何も分からないんだ。これから俺の身体はどうなる? 腕だけなら、手袋でもすれば隠せる。でも、この羽はどの段階まで隠せる? この前まで鳥の羽みたいな形だったのに、今は重い鱗が増えた。俺は、どうなっちまうんだ……?」
健吾の問いに明確に答えることは、穹良には出来ない。現在確認されているオガサワラノコクリュウは一体のみであり、当然その子孫である半竜も健吾しかない。世界にたった一人の存在が今後どうなるかなど、予測することすら難しい。当然、健吾もそのことを知っている。だが、言葉にでもしなければ不安で押しつぶされそうになるのだ。
そのことを分かっているから、穹良は無言を返した。
「……暮月が心配してくれてるのはよく分かってるし、あいつが化け物なんかじゃ言っていうのは本心だ。でも俺は化け物だろ、どう見たって。普通の範疇に収まる姿じゃないだろ。こんな姿で、出歩けるわけないだろ」
震える声を絞り出す健吾に、穹良はそっと歩み寄る。原因を作った身なので大層なことは言えないが、健吾の考えが凝り固まるのは嫌だった。
「私も、お前は化け物なんかじゃないと思うぞ」
穹良から竜力が解放されるのを感じて、健吾は首だけを動かして背中越しに穹良を見た。彼女の背中からは二対四枚の純白の羽が大きく広がり、竜力の粒子が周囲を漂っている。ホタルを従えた精霊のようだと思いながら、健吾は思ったことを口にした。
「……お前の綺麗な羽とは違うんだ」
根本的に同じものであっても、外観が異なれば他者からの評価が変わるのは自明だ。そうでなければ、料理を美味しそうに作る必要も、商品を綺麗に陳列する必要もない。人間自身だってそうだ。能力が同じなら、外観が優れる方が注目される。白鳥のような美しい羽を持つ穹良は人間社会に受け入れられたとしても、黒く禍々しい羽を持つ健吾は拒絶されるだろう。
「それは、お前の主観だろ?」
「……なに?」
健吾の声には、怒気が含まれていた。何が分かるんだと訴えかけるような、寂しさを含んだ怒気が二文字の言葉に現れていた。その言葉を受け止める義務がある気がして、穹良は言葉を続ける。
「私は自分の羽が嫌いだ。でもお前は綺麗だと言ってくれた。お前が自分の羽を嫌い、暮月が受け入れているのも、それと同じだ。確かに多くの人間の目から見れば、その羽は恐ろしく映るかも知れない。だが、私や暮月から見れば、怖くもなんともない。私たちのことを知りもしない連中の目を恐れ、お前を想う者からの心を拒む方が建設的だとは、私には思えない」
穹良の心配そうに細められた視線から逃れるように、健吾は顔を背ける。穹良の言うことは正論で、いつまでも怯えていたくない想いは言葉に出来ないほど抱えている。暮月やかがみを守れるのは自分だけで、だからこうして自分の世界に閉じ籠るのは止めにしなければならない。
「分かってる。分かってるんだよ。でも自分が怖いんだ。またあの時みたいなことになったら……」
「あの時?」
どの時の話か分からず、穹良はおうむ返しに訊ねた。健吾は一瞬言おうか迷ったが、黙秘して変な詮索をされる方が面倒だと思ったのと、何かがどうでもよく感じられ、話すことにした。
「前に、小学校時代の話をしたことがあったろ」
「かがみの正体を話してしまったという、あれか」
沈黙がイエスを示す。一拍を置いて、健吾の声が続いた。
「ちょうどその頃に俺の守護者が生まれたんだ。でも、正直その辺のことはよく覚えてなかった。最近、<トラク>から色々聞いてたんだけど、その頃に俺がいた街が吹き飛んだことがあったんだ。教科書に載るレベルの出来事だ。その原因が、俺だったんだと」
予想外の独白に、穹良は言葉を失った。
所有者が力を制御するための存在が守護者なのだが、守護者を制御不能に陥るケースは無い訳ではない。生存本能に突き動かされて所有者を守るために行動するため、所有者が命の危険を感じなくなるまで動いてしまうことがあるからだ。だから健吾が守護者を暴走させたとしても不思議ではない。だが、驚きは隠せなかった。
「自業自得なのに、かがみをいじめた連中が憎かった。きっとそれが原因で、何百人も死んだ。その時のクラスメイトも何人も死んだ。俺は俺が怖くなって、自分を制御できなくなって、繋がりを断ったんだ。だから抵抗もせず、自衛隊に回収された。なんで<トラク>があそこにいるのか、やっと分かったよ。なんでそんな大事なこと、忘れられてたんだろうな」
穹良は黙って目を伏せた。かつて守護者の力を使って多くの人を殺してしまった彼女には、健吾の思い悩む気持ちが何となく理解できる気がした。だが穹良は生きるために自分の意思で引き金を引き、目の前の敵を殺した。健吾は意識せず、罪のない人々を視界の外で間接的に殺した。大勢の人を殺したと言っても、物事の性質が根本から異なっていた。だから穹良には、安易な共感は出来ない。
ただ、当時の健吾の行いを否定することも出来ない。健吾からしてみれば、思い描いた凶暴な空想が現実のものとなった、といったところだろう。思考しただけのことを、誰が責められるというのか。
「……きっと、忘れていたんじゃない。守護者が、忘れさせたんだ。お前がまともな生活が送れるように。意図せず引き起こしてしまった事件を受け入れられる年齢になるまで」
「今だって、受け入れられるわけねえだろ。やっぱり俺は化け物なんじゃねえか」
健吾の羽が力なくベッドの上に倒れ、抜け落ちた羽根が竜力に変換されて霧散する。丸まった健吾の背を見ていると、やはり一人にしてあげるべきだったのかという思いがよぎった。
だが、これでよかったのだと自分に言い聞かせる。きっと今聞かなければ、いつ聞けるかも分からない話だ。内容的に自発的に話したいような内容でもない。それを話してくれたということは、話しても大丈夫な相手だと認識され、かつ口にしたくなるくらい心が弱っていたのだろう。そのことを知れただけでも大きな収穫だ。
「話してくれて、ありがとう。やはりお前は、怪物なのかも知れない。そして私も、怪物だ」
「……違う、お前は」
振り返って彼女の言葉を否定しようとした時には、穹良の姿は健吾の部屋から消えていた。一人残された健吾は部屋が暗くなっていることに気付き、窓の外に目を向けた。
青く染まる西の空の端に、太陽が沈んでいこうとしていた。
「これも、主観か」
視線を右手に落とすと、竜力のきらめきを心外にも綺麗だと思ってしまった。そんな自分を否定したくて、再び窓の外に目を向ける。
「俺は、なんなんだ」
沈み行く太陽と広がるブルーモーメントが答えてくれるわけもなく、健吾は人知れず涙を流した。




