三章37 再生そして覚醒
水曜日の午前中。学校を休んで健吾の病室に来ていた穹良とかがみ、暮月は、海外での現地調査から急遽帰国した健吾の母親・幸子を出迎える準備をしていた。準備と言っても穹良が心の準備をするくらいだが、産みの親がようやく来るということで、病室内には妙な緊張感が漂っていた。
午前十一時。予定時間ピッタリにやってきた幸子が病室のドアを勢いよく開け放ち、とんでもない一言を放り込んできた。
「ちょっと、裕孝さんに隠し子がいたんだけど! 信じられない!」
「え?」
「なん?」
「……はい?」
三者三様に驚き固まる風景に、幸子は一拍を置いてから笑い出した。抑えるつもりのない笑声のボリュームに、廊下を行く人々が好奇の目を通りざまに向ける。
「いやー、いいリアクションしてくれてありがとう。とくに穹良ちゃんのリアクション、新鮮でいいねえ」
緊張感を打ち砕かれた穹良が呆然とする中、そんな彼女の呆けた顔を指さして笑う。何もそんなに笑わなくてもいいじゃないかと思ったが、さすがに口に出来ない。
「……私を、叱らないんですか」
「裕孝さんは叱らなかったでしょ?」
「はい」
「なら、そういうこと。第一、穹良ちゃんのせいじゃないんでしょ?」
「でも……!」
なおも食いつこうとする穹良を、幸子は掌を差し出すだけで制した。普段はお茶らけた雰囲気を纏っている幸子の目には決意に似た強い光が宿っており、穹良はその光に気圧されて口をつぐんだ。
「この子はね、自分のすべきだと思ったことをしただけなの。その結果がこれかも知れないけど、ちゃんと生きてる。それに、もし穹良ちゃんのせいだったとしても、私に穹良ちゃんを責めることは出来ないのよ。この子には、何もしてやれていない。それどころか、研究材料にした。もちろん、大事に思っているわ。私のたった一人の息子だもの。でも、私が裕孝さんを好きになってしまったせいで、健吾には背負わなくてもいいものを背負わせてしまった。せめて、その荷物が軽くなるようにって研究してきたけど、分かったことはあまりに少ないの。自分でも歪んでいると思うわ。こんな状況でも、私はこの子の身体を研究したいと思ってる。そんな私に、あなたを責める権利なんてないのよ」
自責と後悔が入り混じったような声が、穹良の鼓膜を打つ。親として、研究者として、息子とどう向き合えばいいのか思い悩むその姿は、歪な姿のまま見舞いに来た裕孝のものとよく似て見えた。
幸子は眠る健吾の傍らに跪き、頭を優しく撫でる。起きている普段の健吾なら嫌がって触れることも難しいが、今なら存分に撫でることが出来る。普段母親らしいことが出来ていないことへのせめてもの穴埋めをしてから、幸子は穹良に目を向けた。
「裕孝さんから大筋の話は聞いてるけど、詳しく聞かせてもらっていい? 何があったの?」
穹良は幸子に、事の顛末を説明して聞かせた。守護者の力を狙われてかがみを人質にされたこと。自衛隊の応援が到着するまで時間稼ぎをするつもりだったが交戦状態に突入し、自身を庇って負傷したこと。健吾の失われた右腕が一時的に竜力で再生し、強力な能力を発揮したが昏睡し、現在に至ること。
穹良の説明を聞き終わった幸子は、かがみに歩み寄って静かに抱き寄せた。義理ではあるが大事な娘が危険な目に遭っていたこと、無事だったことを知り、心底安堵しような表情を浮かべてかがみを抱擁する。対するかがみはどこか居心地の悪そうな視線を暮月へと投げかけていた。
「そっか、怖かったでしょ」
「いや、あたしはずっと気絶してたからそんなに怖くはなかった……」
「あれ、そうなの? なら、まあ良かったかも知れないけど。でも裕孝さんったら、そこまで教えてくれないんだから」
「かあかは、どこでとうとに会ったん?」
かがみからの救難信号を受けていた暮月は、幸子の注意がこちらに向くよう、そして自身の疑問を解決するために幸子に質問を投げかける。前人未到の地である小笠原諸島東之島に生息するオガサワラノコクリュウこと西島裕孝は、携帯電話を有しておらず、外部への通信手段は人間態になった際に父島へ行って電話を借りる以外にない。
「オーストラリアからチャーター機で帰国する前に、父島に寄らせもらったのよ。で、漁船を借りて会いに行ったの。そう、そうしたらあの人、竜人の女の子と一緒にいて、びっくりしたわ。息子がこんなことになっているのに何してるのって聞いたら、『仲間が殺されて一人になっていたから可哀そうで』って言うのよ? どう思う? 素敵な優しさでしょ?」
幸子が身振り手振りの一人芝居を始めたおかげで解放されたかがみが、僅かに顔を引きつらせた穹良の隣に寄り、そっと耳打ちする。
「ごめん、あの人、こんな場所でもあのテンションみたい」
「とやかく言うつもりは毛頭ないが、私の緊張感を少しだけ返してほしいとは思う」
言える立場にないことを自覚しながらも不満を漏らす穹良に、かがみが笑みを零す。困っている姉を見るのが、なんだか嬉しかった。半竜としての能力は姉である穹良の方が圧倒的に高いが、幸子の扱い方はかがみの方が何倍も長けている。二人の心持の違いが、現状を如実に表していた。
「でも、そうでもしないと不安だったんじゃないかな。血の繋がりは、健吾にしかないからね」
「ならなおさら、ちゃんと謝っておきたいのに」
暮月と楽しそうに話す幸子を遠い目で見つめながら、穹良は本心を零す。謝罪を受け入れてもらえないのが、ここまで心に響くものだとは思っていなかった。叱責してもらえた方が気持ちが楽になる気がする。もしかしたら、この心の重さが自分に与えられた罰なのかも知れない。そう思ったが、かがみの一言を聞いて違った考えに触れることが出来た。
「もう受け取ってるんだと思うよ。それより、前を向いて欲しいんじゃないかな。あの人、実はそう言うところに敏感だったりするから」
「……私なんかが太刀打ちできるような相手ではないのかも知れないな」
「当たり前じゃん」
かがみの小憎らしい微笑が、穹良を見上げる。病室を自分色の明るい雰囲気に染め上げる幸子に、穹良はただ感嘆するしかなかった。
「半竜の四肢を意図的に欠損させるということは、途上国じゃ珍しいことじゃないの」
健吾の包帯の交換に来た看護師に頼み込んで傷口を見せてもらっていた幸子が、前触れもなく不穏な言葉を口にする。幸子の肩越しに傷口を覗き込んでいたかがみは驚きと不快さを足して割ったような表情を浮かべたが、穹良は表情を変えず、その理由を口にした。
「人造の竜力結晶や竜魂石を作るため、ですか」
「正解」
ハリの無い、悲嘆と達観の混じったような声が病室を打つ。穹良の言葉の意味を理解しているかがみは不快感を露わにし、暮月は小首を傾げた。
「どういうことなん?」
竜力結晶は竜の体内で生成される高純度の竜力が凝固した物体のことを指し、竜魂石は高濃度竜力が凝集して構成する分子が置き換わった鉱産物を指す。どちらも人間が発電、空中艦艇用機関部、医療、その他多くの用途に供するために擬似竜力生成炉の燃料源として利用される資源だが、天然物は産出箇所が限られており、産出量も豊富ではない。かつては竜を狩ることで竜力結晶を入手していたが、生息数が減少した現在は遺骨を採掘することが主な入手方法となってる。
一方で、半竜も能力の強いものは竜力結晶を生産することが知られている。特に生命力の強い子供は欠損部位から竜力を放出することで傷口を保護し、再生させる。この際、特定の条件下に置くことで竜力を引き出し続け、それを集めることで人造の竜力結晶や竜魂石を作り出すことが出来る。この際の二種の違いは、鉱石を竜力を貯蔵するための器として使うかどうかの違いだ。
「半竜の子供を誘拐、昏睡させて四肢のどれかを切断することで生存本能が竜力の生成を促進させて、命尽きるまで竜力を集め続ける。集めた竜力はテロ組織なんかの資金源になるし、半竜の子供が行方不明になったところで、大した話題にもならない。未来を担うはずの子供が汚い大人の食い物にされるっていうのは、嫌なもんだよ」
散弾が抉り去った複雑な面形状を残しつつ、傷口はその大部分が皮膚に覆われてた。概ね良好な回復過程ではあるものの、皮膚に覆われていない箇所から黒色の結晶状のものが析出し、蛍光灯に照らされてガラス光沢を示していた。
「そして稀に、欠損部位から竜力結晶が成長することがある。こういう子供からは質のいい竜力が採れるから、大事に眠らされて絞り取られるって訳。本当に嫌になっちゃう」
傷口から成長するいくつもの黒い結晶を興味深そうに眺める暮月に、幸子は指で差し示しながら説明する。幸子に促されて結晶の一つに触れると、まるで役割を終えたかさぶたのように剥がれ落ち、暮月の掌の中に転がった。健吾の温もりを宿した結晶は、すぐに緑色の竜力の粒子となって溶けて消えた。
「うちらの血を集めて商売、か。うちらも減って一石二鳥、なんかな」
やるせない感情を宿した目を伏せて、暮月は健吾の傷口にそっと手を触れる。心臓の鼓動が肉を伝い、健吾の生きようとする意志として暮月に伝わる。ここが日本でなければ、今頃自分も健吾もかがみも、とっくに攫われてろくでもない連中の資金源になっていたのかも知れない。そう考えれば、病院のベッドで治療を受けさせてもらえているのは、物凄く幸せなことなのかも知れないと、そう思えた。
その時。暮月の掌に、流れて来るものを感じた。傷口からは絶え間なく竜力が流れ続けているのだから、その流れを感じ取れるのは暮月にとっては当然のことである。だが、何かが違った。細流の上流から鉄砲水が押し寄せる直前の振動のような、前触れじみた何かを感じて、暮月は幸子を呼んだ。
「かあか、にいにの身体が……!」
穹良と話し始めていた幸子が振り返り、暮月の切迫した表情に駆け寄る。そして傷口を見て、目を見開いた。黒色の結晶が目に見える速度で成長し始めたのだ。
「二人とも!」
目の前で繰り広げられる異様な事態に、幸子は穹良とかがみも呼ぶ。二人が駆けつけるなか、結晶はピキピキと音を立てながら膨張していく。失われていた部位を埋めるように結晶が広がり、腕の形を模した結晶体が成長してゆく。
「……ものすごい量の竜力だ」
健吾へと流れ込む竜力の奔流を感じ取りながら、穹良が半ば呆然と呟く。健吾の腕が吹き飛ばされた直後に再生させるために流れ込んできた竜力と同等の量だが、質が大きく異なる。あの時の竜力を腐敗した池から溢れた汚水と表現するなら、今回も激しい流れのため濁ってはるものの、本質は清流だ。
記録用のカメラを慌てて探し出す幸子に構わず、竜力結晶は成長を続け、指先に至るまでのその形を再現する。結晶の成長が止まったかと思うと、表面にひびが入り、内側から優しい緑色の光が漏れ出してきた。亀裂の入った箇所から結晶が剥がれ落ち、結晶内部で形成されていたものが姿を現す。
「……黒い、腕……」
結晶と同じ色の、緑色の複数のラインが刻まれた腕が、肩から生えていた。見る角度によっては透けても見えそうな漆黒の右腕が、蛍光灯の白色を受けて鈍く光る。その異質な腕を見て、穹良は裕孝が言ったことの意味を実感を伴って理解した。機能や形状は本来の腕と同等でも、色が全く異なる。長年守護者を忘れていたことへの代償が、目に見えるかたちで現れてしまったのだ。
「すごい、欠損部が実際に再生するところ、初めて見た……」
研究者としての探求心を満たそうと突き動かされた幸子が写真撮影に懸命になる中、穹良の胸中は複雑であった。腕が再生してくれたことに対する安堵と、完全に元通りに再生してくれなかったことへの行き場のない無念さが渦巻く。綺麗に再生してくれれば彼に対して抱く罪悪感も少なくて済んだかも知れないのに、下手をすれば一生残り続ける傷を負わせてしまった。右腕を見るたびに思い出すような、大きな傷を。
「ちょ、ちょっと健吾!?」
幸子の慌てた声に、穹良は思考を区切って顔を上げる。そして大きく驚かされた。まだ目覚めていないはずの健吾が、上半身を起こしていたのだ。
「幸子さん、これは」
「分からない。急に起き上がって……」
予想外の事態に動揺した幸子が、健吾の身体を寝かしつけようと力を加える。だが倒すのは簡単なはずの意識のない体は異様に重たく、硬直しているかのように動かない。そして次なる驚きが、その場にいた全員の視線を健吾にくぎ付けにした。
上体を起こした健吾の背中から四条の竜力粒子が噴き出したのだ。噴き出した光柱を覆うように竜力が膨れ、トンボのそれのような形状をした四枚の羽が生え揃った。
「穹良の羽の生え方と、同じだね」
「形なんかも似ている。でも幸子さん、健吾は地竜だったはずでは」
かがみと穹良からの視線を受けて、幸子は顎に手を当てる。腑に落ちる回答は示せなかったが、あり得ない話ではなかった。
「羽の生え方については知見が少ないんだけど、力の程度が同じくらいだと似るっている研究があるの。形が似てるのは、健吾自身の自覚が欠如していてせいで身近な半竜である穹良ちゃんたち飛竜系半竜に影響を受けた結果かも知れないし、そもそもとして第三者に忌避間を覚えさせるような形状にならないように無意識下に配慮した結果かも知れない。身近な有翼半竜の姿を真似たのかも知れない。裕孝さんも地竜の割に飛行能力高いし、健吾も意外と飛べたりして」
「……俺が、なんだって……?」
押し出すようなかすれた声が、決して静かではない病室に響き渡る。声の主の方に全員が視線を注ぎ、その中心で健吾が眠そうに目を開く。ゆっくりと首を巡らせて、健吾は様々な表情に囲まれていることを知った。
後悔と謝罪の念を込めつつも嬉しそうな穹良の顔、安堵しつつも「意外と早かったじゃん」とでも言いたげなかがみの顔、好奇心旺盛な少女のような目をする母親の顔、そして目の端に涙を浮かべながら、急接近してくる暮月の顔。
「にいに!!」
「おわっと!」
飛び込んできた暮月を抱きとめて、健吾は頭を撫でてやる。ここがどこで、何を経てこのような状況下に置かれているのかはよく分からなかったが、何か大きな心配を掛けた、ということは分かった。
「ほら、そんなに強く抱きしめるなよ。骨が軋むだろ」
「だって、だって! にいに、もう三日も寝たまんまだったから! お医者さんは起きるって言ってたけど、不安で……」
「ごめんよ。でもほら、ちゃんと起きたから。な? ……ん?」
暮月の頭に回した右手に異変を覚えて、健吾はそっと手を離す。暮月から離した手を、腕をまじまじと見つめて、絶句した。そうして初めて、自分が置かれている状況を悟った。
穹良を庇って、腕を無くして、それを竜力で再生させて、消耗した体力と竜力を回復させるために昏睡状態になっていた、ということだろう。では、この腕は?
「……母さん、俺は……」
見開かれた、動揺する目を向けられた幸子は、正面からそれを受け止めた。
「健吾、落ち着いて聞いてね」
記憶が混濁している健吾に、穹良は欠如している記憶を補填する。幸子は科学者の視点から、健吾の身体の状況を伝えた。
病室を、再び思い沈黙が支配した。




