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十年前

 

 気が付いたときに少年が目にしたのは、目まぐるしい速度で背後に流れ去ってゆく雲の壁だった。


 だが六歳になったばかりの少年に、自分の視界を覆いつくす鼠色の景色が何なのか、理解できるはずがない。とりあえず身の回りに目を向けて、少年は驚きに「わあ」と声を上げた。


 少年が座って居るのは、全天周囲型と呼ばれる、球形の内側にモニターが貼られたコックピットに浮くように据えられたシートだ。目の前に補助モニターが三枚、シートのひじ掛けにあたる位置には操縦桿が、足元にはフットペダルがあるが、少年の小さな体ではそのどれにも届かない。そう、このコックピットを包みこむ機体は、少年の操縦とは関係なく高速で空を駆け抜けているのだ。


 「ぼく、どうしてここにいるんだっけ」


 いつ、どのようにしてこのシートに座ったのかが、どういうわけか、よく思い出せない。覚えているのは、あの子を助けたいと強く願ったこととと、赤い機械の巨人が迎えに来てくれたことだけ。その記憶も曖昧で現実味に欠け、夢でも見ていたのでは、と思えてしまう。


 仕方がないので少年はシートに手を突き、体を前にずらして中央の補助モニターに手を触れてみた。すると暗かったモニターに明かりが灯り、現在地のようなものを表示する。だが少年には表示された内容が理解できず、仕方がないのでコックピットの中をぐるりを見回した。視界は今も灰色い空間を突き進むだけで、何の面白みもない。視界に変化が見られないので、そもそも進んでいるのかすら分からなくなる。

 突然、コックピット内にけたたましい警告音が鳴り響いた。


 「わあ! な、なに!?」


 警告音と共に全天周囲モニターの正面に赤い光点が三つ浮かび上がる。それがいったい何なのかを少年が理解する間もなく、三つの光点から計九つの新たな光点が分離するようにして、こちらに向かってきた。


 「なになに!? どうすればいいの!?」


 ――――何かまずいものが近づいてくる。


 本能的にそう感じた少年は、とっさに操縦桿に手を伸ばそうとする。するとシートの背もたれから、生物的な、蛍光緑色に輝く触手のようなものが複数伸びてきて、少年を絡めとる。


 「え?」


 一瞬何が起きたのかがわからず恐怖を覚えたが、不思議とその触手のようなものは怖く感じなかった。触手はやさしく少年の胴体を包み込むように巻き付くと、彼がシートに深く腰掛けられるように背もたれまで移動させた。そしてそのまま、シートベルトのように少年をシートに固定する。触手からは、まるで後ろから母親に抱きしめられるような温もりさえ感じさせ、少年の心を落ち着けた。


 警告音が鳴り続ける中、機体は向かってくる光点群――九発のミサイルに向かって速度を落とすことなく突進する。機体は躱そうとも迎撃しようともしないように思えたが、少年が恐怖を感じるようなことは不思議となかった。ただこの<ルシフェル>という名の戦機に身を任せておけばいい。根拠はないが、そう思えた。

 

 クリアだった少年の視界が、薄緑色の透明なフィルターを掛けられたようなものに変わる。機体のあらゆる箇所から蛍色の粒子が溢れるように湧き出てきて、機体を丸く包み込み、蛍色のフィールドを形成したのだ。


 「わあ、きれい」


 精神的余裕のある少年には、キラキラと光って見えるフィールドを眺め、その今まで目にしたことのないような光景に歓声を上げる余裕があった。

 次の瞬間、殺到した計九発のミサイルがフィールドに着弾し、火焔の華が視界を覆いつくす。

 

 「わあ!」

 

 突然の閃光に、少年は悲鳴と共に目を瞑って両腕で覆い顔を背ける。だが、機体が受けるはずだったミサイルによるダメージは全くない。

 機体を覆うフィールドが、すべてのダメージを相殺したのだ。


 「すごい、なんともないんだ」


 安堵の正体を感じて、少年は感嘆を漏らす。ここに座っていれば大丈夫だと機体が教えてくれたのは、あのフィールドがすべてを弾いてくれるからなのだと。

 

 モニターに最初に映し出された三つの光点、三機の可変型飛空戦機から、更に計九発のミサイルが打ち出される。だが結果は先ほどと同様に、フィールドがダメージを相殺して機体には何の影響もない。


 ようやく雲を抜けると、眼下に鮮やかな青一色が見えた。その青が海だと認識した時、少年は初めて自分がかなりの高度をかなりの速度で飛行していることに気が付く。視界の先には、ミサイルを撃ってくる三機の人型の兵器が、自分よりやや低空にいるのが見えた。


 その三機のさらに奥、低層の雲の向こうに、小さな島が見えた。島を目にした瞬間、意識のようなものが少年の脳内に流れ込んでくる。


 「え、あ、あそこがそうなの?」

 

 少年の体をシートと固定している触手状の物体から、言葉にはできない思いのようなものが流れ込んでくる。そしてその思いを受け取った時、少年は自分がここに座っている理由をはっきりと思い出した。


 「そうか、そうだった。これはぼくがやらなくちゃいけないことなんだ」


 やりたいこと。やらなくてはいけないこと。少年の目的は、あの建物群にある。


 「いこう。ぼくが、そらちゃんをたすけるんだ」


 少年の敢然たる思いを受け取り、<ルシフェル>が速度を増す。


 高度を下げつつ島に向かう<ルシフェル>に、三機の飛空戦機から光の矢が殺到する。緑色に見える光線は<ルシフェル>のフィールドに命中すると盛大に火花を散らしたが、それでも機体にダメージはない。


 「ちょっと、じゃましないでよ!」


 立ちふさがる敵に苛立ちを覚え、少年は相手の排除を強く脳内にイメージした。

 

 すると背後から金属の擦れ合うような音が聞こえてきて、少年は何事かと左右に首を振る。そしてそれを見て、驚愕に声を上げた。


 少年が目にしたのは、機体背面から脇の間を通すようにして正面に砲口を向けた二基の大筒だ。背面ユニットにアームで懸架されていた、本機の主要武装の一つである。これがあれば、行く手を阻む敵を蹴散らすことができる。

 

 これを使って道を切り開こう。そう思った時、少年は頭の中に微かな声を聴いた気がした。


 ――――ころしちゃだめ


 そう、聞こえた気がした。そしてこの忠告は、少年にとって絶対に守らなくてはいけないものに思えた。


 「しなせない。でもじゃまなんだ。ここなら……」


 少年が強く思った時、二門の砲口が緑色の光軸を吐き出した。


 飛空戦機が撃ち出す荷電粒子砲とは比べ物にならないほど高出力の、精製竜力砲だ。


 二条の光軸は二機の飛空戦機が展開したフィールドをいとも容易く飽和させると、その脚部を溶かし抉り取って戦線から離脱させる。攻撃を免れた一機は、高度を下げていく僚機の救援のために攻撃を止め、進路を変更した。


 「すごい……」

 

 たったの一撃で脚部を失い、バランスを保てずに煙を噴き上げながら墜ちてゆく飛空型を眼下に見ながら、少年は素直な感想を吐露する。煙は吹いているが脚を無くしただけだし、爆発するようなことがあってもその前に脱出できるだろう。


 三機の飛空戦機を退けた少年を今度は、先程とは比べ物にならないほどのミサイルと対空砲火が襲う。島中に設置された対空兵装と、迎撃に上がってきた別の航空兵機からの波状攻撃である。ここまで丁重なもてなしを受けるということは相当歓迎されていないのだろうが、それは少年とルシフェルが進むのをやめる理由にはならない。


 地上からの対空砲火をフィールドで受け止め、トンボを機械にしたような大型の航空兵機の翼部を精製竜力砲で少し溶かして墜としながら高度を下げると、森林が茂る島の中ほどに、コンクリート製の建物群が見えてきた。


 「ここに、そらちゃんがいるんだ」


 辿り着いたはいいものの、この建物群のどこに探し求めている相手が居るのかはまだ分かっていない。ゆっくり探したいところだが、絶え間なく撃ち込まれる対空兵装を受けながらでは、探せるものも探せない。今は高度と落とし速度も出していないので、機体へのダメージは一切ないものの、いいように対空兵装を撃ち込まれている。


 その時、また声が聞こえた気がした。


 ――――こっちだよ


 「え、どこ?」

 

 声が聞こえた方向に、少年は首を巡らす。その視線の先にあったのは、高いフェンスに囲まれた四階建てほどの建物だ。


 少年は<ルシフェル>に命じて大腿部の小型誘導弾発射管からスモーク弾を数発、その建物周辺に発射すると、煙の傘の中に機体を着陸させた。


 フェンスを踏みつぶし、建物に近づいて<ルシフェル>に片膝をつかせて、壁に手を当てる。すると<ルシフェル>の腕からシートを通じて、まるで少年自身が建物に触れているかのような感覚に陥った。それだけではない。この建物の中に探している相手がいることが、はっきりと分かったのだ。


 「まってて、いまいくから!」

 

 <ルシフェル>からの感覚を受け取れたように、少年は自分の言葉を<ルシフェル>を通じて相手に伝えようと試みる。そしてこの建物に入る方法をモニター越しに探した。


 その時、警告音がして背後からミサイルが飛来した。爆発はフィールドに吸収されたからよかったものの、少年はつい今まで外に出るためにフィールドを解除しようと思っていた。だがそんなことをすれば目的を果たす前に死んでしまう。


 鉄壁の守りがあるので自覚はなかったが、ここは戦場で自分は狙われている身なのだ。安易に外に出ようとするなど、愚かしいにもほどがある。

 少年は<ルシフェル>に命じて出力を抑えた精製竜力砲を後方に牽制射しながら、スモーク弾を追加で発射して、建物の中に意識を流し込む。


 「さがってて、いまかべをこわすから」


 ――――わかった


 また、今度ははっきりと聞こえた。やっぱり間違いない。彼女は、ここに居るのだ。

 

 「ルシフェル、おねがい」


 少年の願いを聞き入れたことを、少年はシート越しに感じ取る。


 <ルシフェル>は掌を壁に当てて何かを探すようにゆっくりと動かして、それを見つけたのか動きを止める。三階の位置に運んだ手で壁を突き壊し、更にコックピットのある背面までを建物の中に押し込む。歩行戦機一機分という大質量を押し込まれた建物の壁面には蜘蛛の巣状の亀裂が幾重にも入り、もはや修復不可能なダメージを与えた。


 上半身を建物に突っ込んだ状態の<ルシフェル>は、崩れてくる瓦礫を押しのけながら首を前に倒し、背面ユニットにあるコックピットハッチを、少年がようやく出入りできるくらいに開けた。そして少年をシートから解放すると、少年は弾かれたようにハッチの隙間から顔を出して、探していた相手の名を叫んだ。


 「そらちゃん、どこー? ぼくだよー!」


 そこは薄暗くて湿っぽい、閉鎖的なフロアだ。粉塵が舞う視界は霞み良く見えないが、どうやら独房が並んでいるらしい。


 精一杯の声で呼びかけてみたが、どういうわけか反応が見られない。もしかしたら勘違いだったのかもしれないと不安に駆られていると、廊下の奥、薄闇の向こうから近づいてくる小さな影があることに気が付いた。こちらを警戒するような足取りで近づいて来るその小さな影は、<ルシフェル>の前で歩を止める。その影の正体をしっかりと認識して、少年は思わずその名を叫んだ。


 「そらちゃん!」


 肩にかかるかかからないかぐらいの赤い髪をした、少年と同い年の少女だ。少女は少年の顔を見ると不安げだった表情を和らげる。


 「けんごくん! なんでここにいるの?」


 <ルシフェル>の肩から腕を滑るようにして勢いよく降りてきた結果よろけた少年を抱きかかえるようにして支える。


 「ずっと、そらちゃんをつれかえしたいっておもってたんだ。そしたら、これちゃった」


 照れなのか、あははと笑うけんごと呼ばれた少年に、そらと呼ばれた少女は呆れたような表情をする。


 「いきなり()()()がいなくなってびっくりしたんだからね? おとなたちも『しゅごしゃ』がいなくなったって、さわいでたし」


 「でもよかった。そらちゃんがぶじで。さあ、いっしょにかえろうよ」


 「うん、かえろう――――」


 差し出された手を少女が握り返した時、廊下の奥から重苦しいブーツの音が複数聞こえてきた。恐怖の表情でそちらを振り返る少女の手を引き寄せ、少年は叫ぶ。


 「はやくのろう!」


 少女の手を引き<ルシフェル>のもとへ走る。背後からは複数の男たちの罵声、怒声と共に小銃弾が降り注いできたが、<ルシフェル>が展開したフィールドがそのすべてを弾く。

 

 「そうじゅうかわって」

 

 <ルシフェル>の腕を伝ってコックピットに戻ると、少年が降りた時にはなかったサブシートがコックピットシートの隣に出来ていた。少年は言うとおりにメインのシートを少女に譲り、自身はサブシートに座る。サブシートからも触手状の物体が顕現し、少年の体を固定した。


 「いくよ」


 少女の呼びかけに応じて、<ルシフェル>が立ち上がる。上半身を突っ込んだまま立ち上がったので、建物は<ルシフェル>が動くとすぐに粉塵を巻き上げながら半壊していった。


 そこからの少年の記憶は、またもひどく曖昧なものになっていた。だが、少女を宿した<ルシフェル>の動きは獅子奮迅の戦闘を見せ、逃がすまいと群がる歩行戦機と飛行戦機を圧倒していたことは覚えている。そして敵の戦闘力を大きく削ぐと、島を後にした。


 その後どれくらいの時間を飛んでいたのか、明確な記憶はない。気が付いた時には少年は森の中にいた。ギャップという、木のない一画に降り立った<ルシフェル>を見上げているのだ。どうして自分はここで下ろされて、どうしてコックピットハッチからこちらを見下ろす少女は悲しそうな顔をしているのか、全く分からなかった。


 ――――ごめんね。ありがとう。


 葉擦れの音でよく聞こえなかったが、少女はこう言った気がした。何がごめんで、何がありがとうなのか。その場の、六歳なりのやりきれない気持ちを叫んだ記憶はある。


 だが少女は<ルシフェル>と共にどこかへ飛び去ってしまった。 


 少年を一人森の中に残して。



 これが、十年前に西島健吾が遭遇した大事件の、一つの結末である。

 


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