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花純はカイトの顔を見て、慌てて火の始末をした。こちらのコンロは基本的に下に薪を入れて上の鉄板を温めて使う様式だ。拓哉はその鉄板に小さな穴を数個開け、火が出るように細工してあった。その火を消す為には、薪を少し平らにしておく必要がある。
花純はエプロンをつけたまま、カイトの元へと向かった。
花純の顔を見た途端、カイトの瞳が優しく緩んだ。
「・・・カスミさん」
「カイト君、どうして? 授業は?」
駆けてきた花純の腕を柔らかく掴んだカイトは、笑みを浮かべたまま質問に応える。
「今日はナオヤの誕生日だろう? 俺と知り合ってナオヤの誕生日を一緒に祝わなかった日はなかったから、授業は休んだ」
要するにカイトは授業をさぼってここにきたと・・・。
「それは感心しないな、カイト君」
「でも半日だけだし」
悪びれもせず告げるカイトに、拓哉も苦笑を浮かべる。
それにしても、カイトの背後にある馬車が凄く豪華に見えるのだが・・・。御者さんも扉の前で立って、こちらを微笑ましそうに見ているし・・・。
「母さん、早くっ!」
その時、直哉の声が聞こえた。どうやら二人が帰ってきたらしい。予定よりも、遥かに早い時間のご帰宅だ。何かあったのか?
「待ってよ、ナオヤ~。母さんがカスミちゃんに叱られちゃうじゃないっ」
「いいから早くっ!」
声の方を見ると直哉が少し道を戻り、デュボラの腕を掴んで小走りになっているところだった。
「あっ! カイト。お前なんで・・・、・・・ってこういう時だけ何貴族風吹かしてんだよっ!」
ちょっと怒っている。怒っている直哉は凄く珍しい。
直哉はもう母の腕を払って、全力でこちらに駆けてきた。
「ナオヤ、お帰り」
「お帰りじゃないよっ! お前、授業さぼったのかっ?」
「うん」
「うんじゃねぇよ。・・・・・・しかもすでに花純さんのこと、触ってるし」
そっちの方が目当てだろう? と、直哉はカイトを軽く睨みつける。
カイトは笑みを浮かべたまま、それには何も反応しなかった。
カイトがくるとは思っていたが、まさか授業をさぼってまでとは思わなかった。
真面目なカイトが授業をさぼる。
それだけで、カイトが花純にどれだけ執着しているのかが窺える。
「直哉君、お帰り。・・・・・・早かったね」
「早かったじゃないよ、花純さん。僕に何か隠してるだろ?」
「・・・・・・・・・え?」
花純が直哉の言葉に固まっていると、息を切らして走ってきたデュボラが両手を顔の前で合わせて無言で謝っている。
どうやらサプライズはなくなってしまったみたいだ。すっかり直哉にばれていた。
「あ~・・・、うん。直哉君にはお世話になりっぱなしだし、何かしたいな・・・と思って」
その何かは食べるものを作ってくれているのだと、直哉は気付いていた。だって花純が可愛らしいエプロンをつけていたからだ。
「カスミさん・・・・・・、その恰好・・・・・・・・・可愛い」
「え・・・・・・っ?」
カイトがぼそりと呟くと、何故か花純も頬を染める。
可愛いなど日本では言われたこともない台詞だったので、こう面と向かって改めて告げられると照れてしまう。
「・・・・・・・・・あ、ありがとう」
でも、一応素直に受け止めておこう。
直哉は『可愛い』とか言う言葉は日本人である拓哉の血を引き継いでいる為か、言ってしまうのがとてつもなく恥ずかしく感じるのだ。だからカイトのように素直に口に出来るのが、今はもの凄く羨ましい。
ちょっと恨めしげにカイトを見詰めていると、拓哉が『おや?』と片眉を上げた。
(おやおや、この子たち。どうやら、花純ちゃんが好きみたいだな。面白くなってきた)
拓哉はとても楽しそうだ。
カイトは花純の手を取ったまま、御者を振り向いた。
「もう帰ってもいいよ」
「明日はいかがいたしますか? お迎えにあがりましょうか?」
御者の声に、カイトは花純を窺うように見る。
「カスミさん、あの馬車に乗ってみたい?」
「え・・・・・・?」
花純が馬車の方を見ると、御者が満面の笑顔を振りまいた。
凄く豪華な馬車だ。きっと椅子もふかふかなのだろう。
乗合馬車はちょっと椅子が堅かった。結構揺れるので、着く頃にはお尻が痛くなっていたのだ。
直哉もそれが解かっているからか、花純の為に小さなクッションを用意してくれていた。
「お尻、痛くならない?」
「たくさんクッションを用意させるよ」
花純は無意識にカイトの言葉に頷いていた。
「明日の昼前に迎えにきてくれ」
「かしこまりました」
御者はカイトに応えてから、馬車の中から何かを取り出し拓哉に差し出した。
「つまらないものですが、主人からのほんの気持ちでございます。どうぞ、お受け取り下さい」
御者の告げた『主人』は、この場合カイトの父親のことだろう。だから拓哉は遠慮なく、それを受け取った。
「ああ、どうも。礼を言っておいていただけますか?」
「はい。坊ちゃんをよろしくお願いいたします」
「はい、お預かりいたします」
御者は深く頭を下げてから、王都の方角へと帰って行った。
「こんな時だけ貴族風吹かせやがって・・・」
「まあ、いいじゃないか」
貴族風・・・。
花純は目の前のカイトをじっと見つめる。
今日のカイトの衣装は、凄く豪華だ。それに手触りがいい服を着ていた。
花純は思わず指でその生地に触れてみる。
「き、貴族?」
花純の動揺する声に、目の前のカイトは優しく微笑んだ。
「花純さん、黙ってて悪かったけどカイトは貴族なんだよ」
え・・・・・・・・・・・・・・・・・・?
花純は再び、身体を硬直させた。




