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お昼の合図の鐘が鳴る。
花純は音の鳴った方を仰ぎ見た。
王都でも時間を告げる鐘は、役所の職人によって鳴らされていた。多分この街クラスターでも、役所で鳴らしているのだろう。
「ねぇ、直哉君。お母さんがお昼には帰ってきなさいって言わなかった?」
直哉は立ち止まり、花純を見た。
「食堂のお昼って他より遅いんだよ。お客さんが引くまで食べられないからね。でもお店で食べることになるから、もう少ししてから戻ろうか。あ、でも疲れた? 部屋に帰って少し休む?」
気を遣う直哉に、花純は笑顔で首を振る。
「ううん、まだ大丈夫」
「じゃあ、もう一軒くらい寄ってから帰ろうか」
直哉は花純の手を引いて、また街を歩き出した。
自営業以外は雇われて働く人もいる。その人たちが一斉にお店から出てくる。皆何処かの食堂に入ってご飯を食べるのだろう。テイクアウト出来るお店もあるので、そこで買って休憩室で食べる人もいるみたいだ。
いい匂いが辺りに広がる。お腹が鳴りそうな食欲を誘われる誘惑の匂いだ。
「この匂いでお腹がすくね」
苦笑しながら直哉が言葉を紡いだ。
自分と同じことを考えている直哉に、花純も笑顔になって同意する。
「本当だね。凄くいい匂いしてる」
「買って食べたら、お昼食べられないしね」
ふふふと二人で笑いあった。
最後の店を出て、そろそろ帰ろうということになった。
「お店側から入ろう」
「うん」
仲良く手を繋いで店に入ろうとすると、擦れ違いにコイルたち数名の騎士たちと出会う。
「何だ、店にいないと思ったら。今、帰りなのか」
コイルはさり気なく、繋がれた二人の手をちらりと見た。
「何? もしかして花純さん目当て?」
「さっきも話したけど、もう一回顔を見たくてね」
花純にコイルはウインクする。
やっぱり制服を着ていると、数倍恰好よく見える。
「あ、この子ですか?」
「うわ、本当に小さくて可愛い」
また『小さい』と言われて、花純の口がへの字に歪む。
しかも何気に自分のことが、駐屯所の中で話題になっているようだ。
昨夜結構な騒ぎになったし、それも仕方がないのかもしれないけど。でも自分のいない場所で噂されるのは、何となく不愉快だった。
「お帰り、ナオヤ、カスミちゃん。入ってご飯食べなさい」
「はい」
直哉はコイルたちを無視して、花純の手を引っ張った。
「じゃあ、またね。カスミちゃん」
コイルたちは仕事場へ戻るようだ。
「いってらっしゃい」
花純が無意識にそう言うと、皆の足が止まる。
ばっと振り向いて、じっと花純を見る。
「か、花純さん。何そんなこと安易に言ってるんだよっ」
「え・・・・・・?」
惚けたような騎士たちの顔に、花純は何かやらかしてしまったのかと困惑する。
「いいな、やっぱり。カスミちゃんは」
「何か新婚さんになった気分だ」
「可愛い子に言われると格別ですね」
ただの『いってらっしゃい』の何がそんなに嬉しいのか、花純には解からない。
「花純さん、入るよ」
「あ、うん」
花純は強制的に直哉に手を引っ張られ、店の奥へと入って行く。
「お帰り」
昨夜と同じカウンター席に座ると、拓哉が笑顔で声をかけてくれた。
「はあぁぁぁ~・・・」
何故か隣で直哉が大きなため息を吐き出している。
「直哉君、私・・・何か変なこと言った?」
カウンターに突っ伏した直哉は、顔を横にして花純を見る。
悪いことをしたのかな? と眉をハの字にする花純も可愛いけど、ここはきちんと言っておかなければ後々に影響を与えそうだと心を鬼にして叱ることにした。
「いいかい、花純さん。独身男にあんな言葉をかけたら、『もしかしたら脈あるんじゃね?』って男は思うもんなんだよ」
「・・・・・・・・・」
花純は無言で直哉の言葉を聞いている。
「しかも花純さんは可愛いし、この国の女性にはない雰囲気だし・・・」
そう言いながら、花純をじっと見つめる。
「何かあったのか?」
拓哉の問いに、直哉はまたもため息を吐きながら応えた。
「コイルさんたちに『いってらっしゃい』て言うんだもん」
「ああ~・・・」
納得顔で拓哉が頷いた。
しかし確かに直哉が言うように、この国では少々勘違いされそうな言葉だ。
「日本では顔見知りに朝の挨拶みたいに普通に『いってらっしゃい』って言ったりするんだよ。ちなみに、帰りに見かけたりしたら『お疲れさま』とか言ったりする」
「でもここじゃ拙いでしょう」
「ははは、確かにな~」
拓哉は話しながらも手を動かしている。
花純の前には、生姜焼きの匂いが・・・。
じゅるりと涎が出そうだ。
キャベツに似た野菜と解き卵のお味噌汁。
「はい、どうぞ」
「いただきます」
手を揃えて直哉と二人で食べた。
美味しい。生姜焼き美味しい。
直哉は早くもご飯のおかわりをしている。
確かに生姜焼きにはご飯が良くあう。
「花純ちゃん、夜はウエイトレスしてくれるんだろ? 夜は五時から八時までだからね。よろしく」
「あ、はい」
直哉は最後の生姜焼きを呑み込んでから、花純を見た。
「しんどくなったり、疲れたら休んでいいし、そこで止めてもいいよ。気楽に考えていいからね」
「う・・・、うん。でも大丈夫と思うよ?」
そう言われると少し不安になる。それに何だか緊張してきた。
「お昼は二時までだから休憩した後、いろいろ教えるよ」
「はい、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
店の中を見渡すと、まだお客さんはいる。皆幸せそうな顔で拓哉の作ったご飯を食べているのを見て、花純は気合を入れた。




