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いつもそばには春の風


5年後。5月。


アメリカ、ボストン。



そんなこともあったなと、泰樹は他の研究グループの発表を聞きながら回想していた。


泰樹は順調に大学を卒業後、大学院に進学していた。現在、修士二年。来年、就職予定。


ボストンで行われる学会で発表するために、泰樹は教授と研究室のメンバー数名と渡米していた。泰樹は昨日すでに発表を終えていた。


英語での口頭発表は、一見難しいように見えるが結局はセリフを暗記すればどうにかなるものである。いざとなればソフトがPCのモニターに映し出してくれるカンペを見ればいい。問題は質疑応答だ。本当の英語力が問われる。…そんなこと、5年後に言える口になっているなんて当時は思ってもいなかった。


今思えば、あんなに人が多くいる空港のロビーでキスしたというのは、さすがにやめるべきだったかもしれない。自分の中で若干の黒歴史になりつつある。


大学生時代もいろいろあった。何回夜行バスに乗ったか覚えていない。何回東京駅で新幹線を乗り継いだか覚えていない。何回、出町柳駅で待ち合わせしたことか。何回、三条近辺でデートしたことか。宇治の花火大会にも行った。お隣の県の、琵琶湖の花火大会にも行った。大学生活、楽しい思い出も、辛い思い出もたくさんあった。まあ、これ以上思い出すとキリがないのでまた今度にしよう。


「That’s all for my presentation. Thank you for your kind attention.」


発表者が発表を締めると、会場から拍手が起こり、5分間の質疑応答が始まった。泰樹は、質疑応答がすべて終わる前に、会場を後にした。


今日の見たい発表を全て見終えた泰樹は、ボストン市街を散策しようと計画していた。さらに、夜はバンケットがあるので、どのみちホテルに戻って着替えないといけない。会場を抜ける口実としては都合がよかった。


「泰樹!」


後ろから自分の名前を呼ぶ女の人の声がした。振り向かなくても誰かわかる。


「ちょっと、置いていかないでよ!私まだ質疑応答してたじゃん!出ていくのしっかり見てたからね?一緒に散策行こうって言ってたのに!」


「ごめんごめん、トイレ寄りたくて先出ててた」


「もう…まあ合流できたからいいけどさっ」


「それはそうと、スライド8枚目のあの結果なんだけど…」


「発表終わったんだし研究から解放してくださーい。質問は受け付けませーん」


隣で歩いている女性が両手で両耳をふさぐポーズをする。泰樹はそれが可愛くて、仕方がなかった。



まさか、大学は違えど同じフィールドで研究することになるとは。高校のときは想像つかなかった。まあ、つかないのが当たり前なのだが。



「ねーねー、結婚指輪はティファニーがいいな」


二人で手を繋ぎながら街並みを歩いていると、ふと女性の方がいきなりねだり始めた。また始まった…。


「値段いくらするのか分かってるのか…」


「大丈夫、初任給全部つぎ込んでもらっていいから!」


「俺の生活費が…」


「来年から同棲するんだし、最初は面倒見てあげよう」


それじゃ意味ないだろ、という突っ込みは飲み込んだ。



そのとき、ふと、爽やかな風が吹いた。



これは、何の風なのだろうか。今の日本の季節はギリギリ春だが…ボストンに四季の考え方があるのかどうか、俺には分からない。


「春風、かな?」


「俺も今、同じこと考えてた」


隣にいる女性はうーんと考えると、突然笑顔になり、こちらにその笑顔を向けてきた。


「私たちの出会いの時も、春風、吹いてたよね」


「そんなの覚えてるわけないだろ。ほぼ6年前だぞ」


「えー私は覚えてるもーん。自転車でこけたもーん」


「あーそういえばあったなそんなこと」


「あーもう最悪。罰としてビールおごってくださーい」


「はいはい…」



俺は今、嘘をついた。忘れるわけないだろう。




あの日あの時、君が自転車で俺のすぐ横をすり抜けた日。




君が俺の、春風になった瞬間なのだから。





(終わり)





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