第二部 すぐ目の前に②
「えっ!?」
「うわっ!?」
思いっきり泰樹に抱きついてしまった由佳は、反射的に泰樹を押してしまった。泰樹はよろめくも、何とか体勢を立て直す。大きい声を出してしまったからか、公の場で抱きついてしまったからか、周りからの視線がすごく痛い。
「ご、ごめん…」
由佳はとりあえず謝った。抱きついてしまったことと、押してしまったこと。どちらも思い出すだけで恥ずかしい…。
「お、おう…」
泰樹も突然の出来事に気が動転しているようだった。余計、申し訳ない。
「じゃあ、また」
由佳は恥ずかしさと気まずさのあまり、これ以上泰樹と一緒にいるのが辛くなったため先に帰ろうとした。泰樹の横をすり抜けようとする。
「ちょっと待って!」
泰樹に腕を掴まれた。由佳は抵抗せず止まる。
「今から、帰るの?」
「…うん」
由佳は泰樹の顔を見ないように下を向いて答える。
「一緒に、帰ろう。話したいことがある」
「話したいことって…!」
由佳は顔を上げて泰樹の顔を見る。由佳は怖くて仕方がなかったが、今聞かなければもう聞けないと思い勇気を振り絞る。
「早智子のこと?」
泰樹が一瞬俯いた。分かりやすい反応だなと由佳は思った。
「それと、あと、いろいろ」
由佳は再び下を向いた。が、先ほど下を向いた時の気分とはわけが違う。気が動転しっぱなしということもあるのだが、こうやってまた泰樹と話せていることがとても嬉しかった。
「しょうがないなぁ」
由佳は顔を上げると、満面の笑みを浮かべて泰樹を見る。
「一緒に帰ってあげようではないか!」
戸田に見せた時とは違う、自然で明るい笑顔。
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一緒に帰ろうとは言ったものの、全然心の準備ができていなかった。
勢いで言ってしまった部分があった。これを逃せばもう一生話す機会なんてないのではないかという、心の中での焦りがそうさせたのだろう。
あの一件以来、由佳と話すのが怖かった。自分の元カノであり、そして由佳の親友である早智子に対してあのひどい言葉を言ってしまったし、絶対に由佳に嫌われたと思っていた。話せば『嫌い』と面と向かって言われてしまうのではないか。
しかし、同時に実は自分が思っているほど嫌われていないのではないかという期待が心のどこかにあった。そんな自分を恨みたいと思っていたが、今はその自分が逆にプラスに働いていた。
「で、話って?」
電車で隣に座っている由佳が肘で小突いてくる。まず、何から話そうか…。
「私はまず早智子のこと、聞きたいなー?」
少しおどけながら由佳が聞いてくる。だがその声には、何か強い芯があるように感じた。
「…分かった。話そう。早智子の話」
泰樹は覚悟を決めてすべて話した。早智子との馴れ初め、早智子とのたい焼き屋でのエピソード。早智子があの言葉を言い放って転校していったこと。そして、先日の学校祭で起こったこと。
「なるほどねぇ」
すべて話し終えるころには家の最寄り駅に着いていた。電車を降り、改札を先に出る由佳が相槌を打つ。
「つまり、だ」
泰樹も改札を出ると、出口で待っていた由佳の隣に並んで一緒に歩き出す。
「泰樹は早智子と付き合っていたけど、早智子がいじめで転校しちゃって、その別れ際に例のあれを言われたと」
「うん、そう」
「で、あの学校祭につながってくるわけね」
「…うん」
由佳がうーんと唸る。泰樹は勇気を振り絞って話したことを若干後悔していた。やはり自分は嫌われているのではないか…。
「まあ、確かに急にあれを言って姿を消して、一方で泰樹は罪悪感持ったままずっと生活してたのに急に現れてごめん復縁しようってのは私もちょっとイラっと来るかもなぁ。でも、あれを言い返すことはさすがに無いと思ったよ。もうちょっと言い方変えないと!私の親友でもあるんだし、しかも私の目の前で…。あれで私たちも仲違いしたことあったんだし、少し心にくるものがあったなぁ」
「そうだよね…反省してる。ごめん」
泰樹はただ謝るしかなった。
「で、だ」
由佳が歩みを止める。すこし先を行ってしまった泰樹が振り向くと、由佳がいつになく真剣な表情で泰樹を見ていた。
「早智子と復縁、するの?」
どこか重みのある声で由佳が聞いてくる。
「…いや、しないよ」
「本当に?」
「うん」
「早智子、謝ってたのに?」
「…うん」
「一緒にたい焼き屋行ってたのに?」
「…うん」
「なによもう、あの時言ってた『知り合い』って男だと思ってたのに!」
「…うん」
「なんで『知り合い』ってあやふやな言葉でごまかすのよ!」
「…ごめん」
ん?何か会話が逸れているような…
「で、なんで復縁しないの?」
「そ、それは…」
急に話題を戻してきて泰樹は返事に戸惑った。理由はいろいろあったが、9割以上は一つの理由のためだった。
このタイミング、逃したら一生言えないような気がする。でも、今言うべきタイミングなのか。
「それは?何?」
由佳が急かしてくる。由佳の顔をみると、何かを求めてくるような顔をしていた。泰樹はドキッとしてしまう。
ああ、やっぱり。
自分は彼女のことが好きなんだな。
うん、もう、この気持ちは揺らがない。揺らいだことなんてないけど。
今しか、ないんじゃないかな。
「それは…」
泰樹は一呼吸おいて、覚悟を決める。
「由佳のことが、好きだから」