第一部 初めての帰り道
植え込みをスマホのライトで照らしている見覚えのある女の子―夏目由佳になんて声をかけようかと迷ったが、女の子とまともに話したことのない泰樹は無難に「すいません」という言葉しか思いつかなかった。彼女も何か探しているのだろうか。
夏目由佳が泰樹の方を振り返ると、「おおっ!」と言ってびっくりした顔をした。
「あ、君、ヤスキ君…だよね?」
「え、あ、うん、そうだけど…」
今日一日のうちで夏目由佳に名乗ったつもりもなかったし(そもそも話していない)、授業で一回も当てられていなかったので、自分の名前を知っていたことにはかなりびっくりした。
「何で俺の名前知ってるの?」
「前の子がヤスキって声かけてるのが聞こえたからさ、それで知った!」
いくら同じクラスとはいえ、窓側の端の方に席のある泰樹と、廊下側の端に席がある夏目由佳とはだいぶ離れている。それなのに自分と戸田の会話が聞こえるとか…地獄耳過ぎる。
「ああ、そうだったんだ…」
「あのね、今朝はお礼も言わずにごめんなさい。声かけてくれて、ありがとう。」
「いやいや。ケガしてなかった?大丈夫?」
朝の出来事のことだろう。別に自分は何かしたつもりはなかったが、お礼されたので社交辞令(?)みたいなもので身の容態を聞いた。すると夏目由佳は一瞬ポカンとした顔をした後、はっと我に返ってニコっと笑顔になった
「たいしたことないよ。大丈夫!」
夏目由佳の笑顔に泰樹は少しドキッとした。まあ、芸能人ばりにかわいい顔で笑顔になるとだれでもドキッとなるか。泰樹はドキドキした気持ちを静め、冷静さを取り戻したあとにふと自分がここに来て声をかけた理由を思い出しいた。
「そういえばさ、これ、君のだよね?」
夏目由佳に今朝拾ったお守りを差し出す。
「あ!ヤスキ君ひろってくれてたんだ!ありがとう!」
夏目由佳がさらに笑顔になって幸せそうな顔をしている。なんてかわいいんだこの子は。こんな顔されたら男子はすぐにイチコロになるだろう。
「実はね、私もヤスキ君に渡すものあるんだ」
そう言うと、夏目由佳はカバンの中をごそごそと探し出した。
「はいこれ!たぶん朝転んで教科書回収するときに私のカバンに間違えて入れちゃってたんだけど…ヤスキ君のだよね?」
そう言って差し出されたのは、ちょうど泰樹がこれから探そうとしていた鍵だった。
「おー!ありがとう!」
探す手間が省けてよかった。心の底から安堵していると、夏目由佳がこっちを見てにんまりとした顔で、
「これも何かの縁でしょ、一緒に帰ろうよ」
「えっ、いや、その…」
「はい決まり!」
突然すぎて何も返事できなかった泰樹は、幼馴染の亜里沙を除くと、高校生活で初めて、女の子と帰ることになった。
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「え!?亜里沙と小学校から一緒!?」
「家、亜里沙の家の裏なの!?」
「いいなぁー私もヤスキ君の家がよかった」
一緒に帰る途中、亜里沙の話が出てきたので幼馴染であることを告げると、亜里沙のこと、自分のことについてかなりの質問攻めに遭った。よくそこまで喋れるなと感心しながら相槌を打っていると、いつの間にか夏目由佳が住んでいるというマンションに到着した。
「え、ここって…」
「ん?どうかした?」
「いや、俺の家そこなんだわ」
まさかだった。夏目由佳引っ越してきたマンションは自分の家と細い道一本はさんで向かいあっていた。
「えっ!めっちゃ近いじゃん!よかったー友達が近くにいて」
夏目由佳がいう「友達」とは一瞬自分のことかと思ったが、よくよく考えてみたら亜里沙のことだと分かり何故かすこしがっかりした。
「じゃあ、また明日」
がっかりした気持ちが表の出るのを抑えつつ、挨拶を交わして家に入ろうとすると
「ちょっと待った!ねー、連絡先交換しようよ!せっかくだしさ」
女子の連絡先は亜里沙以外入っていない自分にとって、予想外の出来事だった。
「え、あ、うん、いいよ」
「ちょっと待ってね…あ…ごめん、電池切れてたわ…。ライト使い過ぎた…」
「そっか…じゃあまた今度だね」
気分を下げられて上げられて、また下げられて泰樹はまたがっかりしたが、こればかりはどうしようもないので仕方なく家に入ろうとすると、また呼び止められた。
「亜里沙の連絡先は知ってるんだよね?亜里沙から聞いておいて!」
なんで俺から聞かないといけないんだという気持ちは抑えつつ、「わかった」と返事をすると、
「あのさ、ヤスキ君のこと、何て呼べばいいかな?ヤスキでいい?」
と、あろうことか夏目由佳に自分の呼び方を聞かれた。女の子からの距離の詰められ方に慣れていないせいなのかもしれないが、あまりにも急すぎないか…と泰樹は思った。
「どう呼んでももいいよ。まあみんなからは泰樹って呼ばれてるかな。まあ何でもい…」
「じゃあ、ヤスキで!んじゃまた明日ー」
泰樹が言い終わらないうちに夏目由佳は満足した顔をして振り返り、マンションの入り口に向かった。この子、マイペースが強すぎるんだな…。
…何かよくわからないが、この雰囲気的に自分も聞いたほうがいいような気がした。今日、女の子と一年分の会話をしたんじゃないかと思うくらい女の子と接したせいで、精神的にヘトヘトになっていた泰樹は、さらに勇気を振り絞る。
「キ…キミのことはなんて呼べばいい?」
夏目由佳がどこか嬉しそうな顔をして振り返った。満面の笑みだ。
「私のことは、『由佳』って呼んで!」