第一部 求めていたもの①
「由佳…」
渡り廊下の入り口を見ると、そこには由佳がいた。かなり急いで走ってきたのか、息が切れており、両手を膝についている。
「はぁ…はぁ…」
声をかけてきた由佳は呼吸を整えるので精いっぱいで、しっかり話せる体勢になかなか持っていけないようだった。
「…とりあえず、隣、座る?」
あまりにもしんどそうにしていたので、思わず隣に座らないかと勧めてしまった。
もう関わらないと、心に決めていたのに。
「…うん、ありがとう…」
由佳はすすめられた通りに泰樹の隣に座ると、呼吸を整えて「ふぅー」と大きく深呼吸をした。
…。
沈黙が流れる。自分から話しかけた方がいいのか、それとも由佳が話し始めるのを待っていた方がいいのか。
…とりあえず、話しかけてみるか。
「…今日の打ち上げ、行かないの?」
泰樹はとりあえず、一番最初に思いついたことを聞いた。
「…そっちはどうするの?」
「うーん、たぶん遅れていくかな。」
「そうなんだ、じゃあ私も遅れて行く」
「そっか…」
また沈黙。ここで帰った方がいいのではないだろうか、そう思ったとき、由佳から声をかけてきた。
「あのね、泰樹。」
…。
「…ごめんなさい」
…由佳は謝る必要ない。
「言い訳に聞こえるかもしれないけど…」
…うん。
「あれは本心じゃなかった」
…。
「本当はね、私、泰樹ともっと仲良くしてさ、」
…。
「一緒に帰ったりさ、寄り道したりさ、もっと、そんな生活が続くと思ってた。」
…。
夕日が由佳の背中を照らしている。横から由佳の顔を見てもちょうど陰になっていて、表情をはっきり読み取ることはできない。
「でもね、なんか、うまくいかなくてさ」
…。
「…私のせい、なんだけどさ。」
…。
「だから…」
「そんなことない」
「えっ?」
ガラス越しに見える街の景色を見ながら話していた由佳がびっくりして自分の方を向いた。
「…俺も、悪かった。ごめん。」
近づきすぎて、傷つけてしまって、ごめん。でも、一緒にいたいんだ、ごめん。
「ううん、泰樹は悪くない。」
「だって、俺のせいで…傷つけちゃったし。」
「…私、傷ついてないよ」
「でも、由佳、あのとき…」
「あれは…さっきも言ったけど、本当に、違うから。本当に、ごめん。あのときは感情のコントロールができなくて…。あれ、嘘だから。本当に、思ってないから」
あの言葉は嘘だった。その言葉を聞けただけで、心の底に沈んでいた黒いものが、粉々に砕けて散った気がした。
ずっと引きずっていた心の重荷が取れる。おもわず泰樹は「ほぉ…」と変なため息をついてしまった。
「もう、こんな真剣な話しているのに『ほぉ…』って、何なのよ。やっぱり許さなーい」
由佳が腕を組みながらプイっと泰樹と反対側を向く。表情は分からなかったが、肩を震わせているということは笑いをこらえているのだろう。
「え、でもさっき『泰樹は悪くない』って言ってなかった?」
「前言撤回!もー…私も『ほぉ…』ってため息つこうかな」
由佳がこっちを向いて「ほぉ…」とため息をつく。その表情が何故かおかしくて、泰樹は笑ってしまった。
「もー、笑うなっての!」
「ごめんごめん、つい…」
由佳もこらえていた笑いを抑えきれずにくすくす笑う。
ずっと欲しかった、ずっと求めていた空間。
こんな贅沢、してもいいのか。
こんなに近づいてしまっていいのか。
自分自身、過去に引きずられすぎていたのかもしれない。
今こそ、自分自身が勝手に作っていた殻を、破る時ではないのだろうか。
というか、もう、我慢できない。今しか、ない。
「あのさ、由佳」
「ん?何?」
泰樹が話しかけると、由佳は微笑みながら泰樹の方を向く。頬を紅潮させている。その言葉、早く頂戴と言わんばかりに泰樹を見つめる。
ああ、なんてかわいいんだろう。うっとり見とれてしまいそうだ。だけど、そんな暇はない。早く、言わなければ。
「俺さ、由佳のことが…」
「泰樹せんぱ…っ!!」
急に、渡り廊下の入り口の方で自分を呼ぶ声が聞こえた…ような気がした。
泰樹と由佳は入口の方を振り向く。が、誰もいない。二人は顔を見合わせる。
「「…ん!?」」