第一部 異変④
何かがおかしい。亜里沙はそう感じていた。
昨秋から日課にしていた部活動後の自主練。始めたきっかけは、当然、東北大会で負けた由佳に勝つためである。中央支部前は一人でやることがほとんどだったが、終わってから突然由佳が自主練をし始めた。恐らく由佳も同じような思いで自主練を始めたのだろう。
由佳は亜里沙とは少し離れたところで自主練をしており。亜里沙と一緒に行わなかった。個々で自主練すること自体は短距離が個人競技のため至って普通のことで、特段気にすることでもなかった。が、さすがに急に毎日自分よりも遅く自主練している由佳を見ていると、少し気になる部分がでてきた。
このままではまた由佳に負けてしまうのではないか。その気持ちがないわけではなかったが、気になったのはそこではなく、日に日にやつれており、十分な休息をとったとは思えない状態の由佳のことだった。中央支部では秒数がかなり離れてしまったため焦っているだけなのかもしれないが、計画的な由佳が表に疲れが出るほど体に負荷をかけるとは思えなかった。何かあったのだろうか。
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亜里沙はいつも19時ころに自主練を切り上げて帰る。本当は今日もその予定だったが、どうしても由佳の様子が気になったため、閉門ぎりぎりまで自主練を行うことにした。
「あれ、亜里沙まだ帰らないの?」
亜里沙がいつもより多く自主練をし始めて1時間後。瞬発力強化のためのメニューをこなしていたらしい由佳が、息を切らしてこちらに近づいてきた。
「いやー、由佳が頑張ってるから。私も頑張らないとと思って」
嘘ではない。結果は練習量に比例するというし、ここで頑張らなければ越される可能性だってある。うかうかしていられないという気持ちももちろんあった。だが、今はその気持ちよりも由佳が心配になって、いつもより長く自主練している…という気持ちの方は伏せておいた。
「そっか…。じゃあ私はもっと頑張らないとな」
由佳が明らかに体調の悪そうな顔を無理やり笑顔に変えていた。やっぱり、何かがおかしい。
「…あのさ、由佳」
「ん?どうした?」
「…何かあった?」
由佳の顔が一瞬こわばったように見えたが、すぐ笑顔に戻った。
「何があったって、何もないけど?なんで?」
由佳が逆に亜里沙に聞いてきた。これは困った。なんでと聞かれても…うーん。
「あ、いや、その…。…最近顔色悪いからさ、何かあったのかなーと。」
言い淀んでいるうちに『本当のことを伏せていても何も解決しない』と思い、亜里沙は正直に答えることにした。
「あー…気にしないで。化粧失敗しただけだから!」
由佳が笑顔を崩さない。そんなわけなかろう。全く、下手な言い訳だな。
「心配してくれてありがとう。全然大丈夫だから!ほらこの通り!」
由佳が「ふぅ」と深呼吸をする。元々やせ型でほっそりしているのに、やつれている由佳はさらに細く見える。
このまま聞き続けても真相は聞けないな。亜里沙は観念して「じゃあ、私はそろそろ切り上げて帰るね」と由佳に背中を向けて部室に向かおうとしたその時、
「ぜ……けないから」
ん?由佳?ささやくような声が背中から聞こえてきた。咄嗟に振り向く。
「何か言った?」
「ううん、何も?」
由佳が不思議そうな顔をしている。勘違いだろうか。私も慣れない時間まで自主練したせいで疲れがたまっているのだろう。
亜里沙は「由佳も早く帰りなよ」と由佳に言うと、再び部室の方へ向かった。




